弁天、グッドラック、弁天

ナタリー爆川244歳

弁天、グッドラック、弁天

 

 弁天、グッドラック、弁天。

 俺は逃げているだけなのか、それとも立ち向かっているのか――。

 悶々として眠れない夜、枕元で弁天が歌を歌ってくれた。

「なるようになりますさかいに」

 関西弁で言うのであれば、そういう旨の歌詞で、かぶと虫の名を冠した世界的に有名なグループの歌だった。玉のように美しい声が、1Kのアパートの部屋中に響いて、胸に圧し掛かっていた重苦しい闇が消えていく――。

 そして、俺は決意を固めた。


 弁天、グッドラック、弁天。

 大阪・梅田の歩道橋、その欄干にもたれかかって、俺は黄昏ていた。平成から元号が変わるらしい、と世間で話題になっていたころだった。

 人生で初めて、グッドラックという言葉を使うにふさわしいシチュエーションに立たされている、と俺は思った。天に向かって親指を立てた拳を突き出す。その先には雲一つない夜空が広がっている。

 グッドラック、と呟いてみた。

 なぜ俺は、こんなに芝居がかったことをしているのか?

 早い話が、仕事を辞めたからである。

 仕事が嫌で嫌で仕方なかった。毎夜ろくに眠れず、日に日にタバコの本数と酒の空き缶が増えていた。ある夜、弁天の歌声を聴いた俺はついに退職の決意を固めた。

 解放感と未来への希望を胸に俺は「グッドラック」と呟いたのである。

 

〈Q.俺さんは仕事を辞した際に「グッドラック」と呟いたそうですが、なぜ「グッバイ」ではいけなかったのでしょうか。気になって夜も眠れず、苦しい日々を送っています。〉


 俺の書いた文章を読んで、かのごとき質問を、インターネッツの質問サイトに投稿する者が現れるかもしれない。

 さらにはその質問者に、「自分で調べてみてはいかがでしょうか。何でも人に聞いてばかりでは成長しませんよ?」と、説教を垂れて優越感にひたる、バカものが現れるかもしれない。でも、俺はそんな事態を望んでいない。

 なぜ「グッドラック」という言葉を選んだのか。

 相手の幸福、この場合においては辞めていった会社の幸福を祈ることが肝要だと思ったからである。それが自分の未来にも幸福をもたらすと信じていたからだ。

 だからこそ「さようなら」を意味する「グッバイ」ではなく「幸あれ」を意味する「グッドラック」を選んだのである。

 前の職場に対し、不満があったからと言って「辞めたらぁ、文句あんのかコノヤロー」と喚き散らして、職を辞するような愚か者ではない。私だって、人並みに社会倫理を持ち合わせているつもりである。

 もっとも相手がブラック企業であるなら話は変わってくるかもしれないが、私の場合はそうでなかった

 むしろ「大変お世話になりました」と、関係者各位に深い感謝を表明し、充分に引継ぎの期間を確保して、円満に職を辞せるように取り計らってきた。

 この別れは、きっと双方の未来にいい影響を与える、と信じて。行動で示すグッドラックとでも言えばいいのか。

 

 転職の都合で関西を離れ、福島県へ引っ越すことになった。

 二十年あまりを関西で過ごした俺にとっては大きな事件だった。初めて住む土地、初めての仕事。俺は不安で一杯だった。

 俺が不安な未来に立ち向かう唯一の方法。それは愛する家族に、友に、故郷に、幸福を祈ることだと思った。誰かの幸福を祈ることが、人間にとって一番の力になる。人はそれを愛と呼び、勇気と呼んだ。

 新幹線の車窓に飛び込んでくる風景にモノローグを浮かべながら、口にした人生二度目のグッドラック。かすかに弁天の歌声が聞こえた気がした。


 弁天、グッドラック、弁天。

 福島に来てから、たった二ヶ月後の出来事でした。

 そう、俺はまた職を辞してしまったのである。 

 想像以上に仕事が苛烈で、飯の味がわからなくなり、知らない間に涙が頬を伝うようになった段階で退職を宣言した。

 誰かに言われるでもなく、俺は自身を「根性無し」だと思っていた。だから、スーパーで安物の半紙、毛筆、墨汁を購入したるや、家に帰り、そればもう達筆な字で、「根性無し」と書して、額に貼り付けてキョンシーごっこに興じていた。俺は死体だった。生きているように死んでいる死体で、性根から腐臭が漂っていた。

 心の中に在りし日の言動が反響する。

 

〈未経験ですが、頑張ります!〉

〈コミュニケーションは得意です!〉

〈勉強は得意じゃないですが、やるのは楽しいですね!〉

 

 嘘だ嘘だ嘘だ! どの口がほざいてやがる。新天地での生活に理想ばかり求めやがって、この甘ったれが。出来ねえ約束なら最初からすんな。

 考えてみれば、キレイごとをほざいては逃げてばっかだったよな、俺。何がグッドラックだよ。祈っていたのは自分の幸せだけだろ。他人がどうなろうと知ったことじゃないくせに、人の幸せを願ってる風を装って善人ヅラすな、おタンコナス。せめて潔く悪人として誹りを受けろよ。自分では気づいていないかもしれないが、実際俺の手は卑怯な行いで垢まみれだよ。お前は一生その日暮らしを続けて行かなくてはならない。

 弁天を信じたのは間違いだったのか。

 いや、弁天は間違っちゃいない。すべては、住んでいるアパートの暖房が壊れていて、家の中が外より寒いせいだよ。こうも寒くては愛も勇気も死ぬのは無理からぬ話じゃないか。

 

 強くならなくてはならない。甘ったれた根性を叩き直さねばならぬ、と決意した。

 そして俺は「修行」と称し、次の仕事が見つかるまで、生活のレベルを下げることにした。

 布団を廃し、段ボ―ルと革ジャンと部屋のカーテンを布団代わりにした。食費は月に一万円までとし、大豆製品以外からはタンパク質の摂取を禁じた。風呂の使用さえ禁じて、台所で体を洗い、工作用のはさみで自分の髪をセルフカットしていた。

 体重が減り続け、見てくれが汚い鳥のヒナみたくなったころ、縁あって私は福島県から愛知県に移り住むことになる。

 修行の仕上げは、高速バスと在来線のみを使用した福島から愛知への移動である。

東海道本線の車窓越しに見た弁天島の鳥居。そこに射す後光はきっと弁天の導き、俺の未来の光。

 ――なるようになりますさかいに。

 腰痛と睡眠不足に苦しめられながら、自分のためだけに呟く三度目のグッドラック。



 弁天、グッドラック、弁天。

 愛知に来てからの日々といえば、穏やかなものだった。

 食事の味がわからなくなることも無いし、意味もなく涙が流れることも無い。長期連休の際には新幹線で実家に帰ることも出来た。二ヶ月で振られてしまったが、恋人も出来たし、入賞はしなかったけれども、長編小説を書いて投稿することも出来た。

 もちろん、苦しいことが無かったわけではない。ニ次関数すらロクに理解していない自分には理系の職は困難なものであったし、秋になるとベランダにはカメムシが大量に飛来、屁をこいて私の衣服を汚染するのである。

 愛知に来てニ年が経とうとしていたある夜、弁天が再び俺のもとに現れた。

 姿を見るのは、大阪で仕事を辞して以来だった。あの時の寸分たりとも違わぬ美貌と歌声が、俺の心の奥底に眠る、いや無意識に隠していたある感情を掬い上げた。

 ――なるようになりますさかいに。

 そして、俺は職を辞し、関西へ帰ることを決めた。

 ええええっ、マジ? となるのが尋常の反応であるかと思うが、私はいたって正気である。辞した理由は様々あれど、あえて書き物映えする理由を選ぶなら次のようになる。


〈弁天の導き、ひいてはグッドラックを信じてみたくなったから〉


「意味わかんねンだヨ! このジョブホッパー野郎が!」

 私が偽らざる気持ちを申し上げると、とヤンキー漫画の登場人物のようなセリフを吐きながら、殴りかかってくる人があるかもしれない。

「その拳、甘んじて受け入れます!」

 と、今までの俺なら言うていたかもしれない。だが、今俺は自分の心に正直になったから、軽いフットワークで拳を避け、仕事を辞めて関西に帰るよ。

 実際、会社の上司に退職を申し出た際には次のような引き止めを受けた。


〈自分に向いている仕事と言うのは自分で作るんだよ〉

〈君と同じような事情でやめていった人たちが一杯いたけど、みんな他の所でも転職を繰り返している〉

〈君はまだこの仕事の本当の面白さを知らないんだよ〉

 

 たしかに、正論ではあった。現に俺は何も言い返すことが出来ず、ゲヒゲヒと愛想笑いをしていた。かつて辞めていった人々と私の間には大きな違いがあった。

 俺は弁天に出会い、彼らは出会わなかった、ということである。

 

 弁天、グッドラック、弁天。

 愛知から移り住んだは大阪・弁天町。

 弁天の名を冠するこの町で、いま一度、人生をやり直す。もう二度とグッドラックなんて言わなくていい人生を送るために。

 考えに考え抜いた結論だった。そうそう間違っているなんてことはないだろう。なんてったって弁天が俺にはついてるから。

 それはさておき、本棚が欲しい。

 引っ越しの荷ほどきをしていたら、本を大量に持っていることに気が付いたのだが、本棚を持っていない私は、それらをすべて床に直置きしていたのである。

 清掃することを生業として生きていく以上、自分の住居が散らかっている、という自己矛盾が発生しないようにしたいと思ったのである。

 思い立つや否や、私は家具屋で小さいがしっかりした本棚を購入、早速持ち帰って、家で組み上げたのである。


「うーん、見事な本棚。まさにグッド(な)ラックだな!」


 やっちまった。グッドラックと二度と言わない。高潔な誓いが、地面に落ち砕けて散った。欠片を拾い集めても、もう誓いが元に戻ることは無く、俺は弁天の歌声も忘れてしまった。

 

 でも、これで良かったのかもしれない。

 導かれなくても、選ばれなくても、人生は続いていく。

 それこそ、なるようになる。

 これからは、弁天じゃなく俺が俺を導いていくのだ。


 弁天、グッドラック、弁天。

 俺は逃げているだけなのか、それとも立ち向かっているのか――。

 今日も俺は自問自答を繰り返し、嘘と本当の境界線を行ったり来たりしながらも、なんとか生きている。

 愛知での夜以来、俺は弁天に会っていない。

 こんな俺の人生にも、もう「グッドラック」と言わなくていい日は訪れるのか。そんな日が来たら、俺の心は「グッと楽」になるだろうに。

 どうにもならない物思いを抱えて、俺は「レリビー」と歌ってみる。弱々しい歌声が西日の差すアパートの薄い壁を震わせ、隣の住人がうるさい、と怒り狂って壁をドンドン叩く。(了)


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弁天、グッドラック、弁天 ナタリー爆川244歳 @amano_mitsuru

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