17 予知能力は生存本能のひとつ?
もうすぐ22時になるというのに新宿の街は
となりを歩く友人は夜の散歩が楽しいようで、せわしなく目線を動かし、街のようすを見ながら軽快に歩いている。
「ご機嫌だな。新宿はひさしぶりなのか?」
「新宿じゃなくて、夜の街がひさしぶりなんだ。
夜の一人歩きはよろしくないからね。付き合ってくれて助かるよ」
有休をとってひさしぶりに東京へ来た俺――
新宿という街は夜になっても人工の光であふれていてまぶしい。活気のある街は人が行き交っているけど女性の一人歩きは危険だ。……しかもコオロギはエキゾチック系の美人だし。
まあ、それはさておき、一人で夜の街を歩かないのはいいことだ。
なにも考えていないように見えるけど用心はしてるんだな。
さて、夜の街をうろついていると思われる前に言っておくが、居酒屋を出たあと、コオロギにちょっと付き合ってくれないかと言われて向かっているのは東京都庁だ。
都庁へ行く目的は展望室で、地上200メートル以上の高さから東京の街並みを一望することができる。展望室はありがたいことに遅い時間まで開館していて、今からでも利用できるのだ。
新宿駅を通りすぎて中央通りを進む。新宿駅付近の繁華街から都庁へ向かう道は、昼と比べるとさすがに人の数は減る。しかし街灯が歩道を照らし、道路に車が走っているから明るい。なんの支障もなかった。
都庁に着いたが開館しているのは展望室のみだから建物全体は暗い。それでも展望室を利用する人のために、出入り口には警備員がいて、エレベーターには展望室まで案内してくれるスタッフが常駐している。
入り口で警備員による手荷物のチェックが終わるとエレベーターへ進む。さすがにこの時間となると、俺たちのほかに人はいない。貸し切り状態で展望室直通のエレベーターに乗りこむと、あっという間に到着した。
展望室に着いたころには22時30分近くになっていたが、まだ数名の人影があった。コオロギは足早に大きな窓へ行き、窓ぎりぎりまで近づいて夜景を見始めた。俺はあとについてゆっくりと進み、高所恐怖症で近くまで寄れないから少し離れたところで窓の外を見る。
眼下には夜景が広がる。
ふだんは見上げる建物も今は見下ろし、とらえどころがない街も展望室からだと全体像がわかる。きらきらと瞬く光は美しく、東京タワーも見えるくらい眺望がいい。地平線の彼方まで途切れることなく続く街は、夜でも活気が伝わってきてエネルギーにあふれている。
俺とコオロギは言葉もないまま広がる関東平野の夜景を見入る。
「紫桃に教えてもらって以来、
「気に入ってもらってよかった。俺も新宿の中で一番好きな場所なんだ」
「夕焼けも見ごたえあるけど、やっぱり夜景が東京らしくて好き。
でも一人だと夜は訪れにくいから、付き合ってくれる人がいないと来れない。
紫桃、ありがとう」
夜景から俺に目を移して笑顔で礼を言った。
こういうときにコオロギが見せる天真爛漫な笑顔はどきっとすることがある。
……くそっ、不覚だ。
都庁に到着して1時間もたたないうちに展望室は閉館時間となった。エレベーターで1階まで戻り、出入り口をぬけて再び街路に出た。中央通りにきたところで、コオロギは足をとめて空を見た。
そびえ立つ都庁のほかにも高層ビルがあるから空はせまく感じる。空には満月が浮かんでおり、ビルに負けまいと懸命に存在をアピールしているように見える。コオロギがぼそりと言った。
「そういや前にも紫桃と満月のときに歩いたことがあったね」
「俺も都庁へ向かっているときに思い出していた。
職業訓練の飲み会の帰りに、コオロギが横断歩道前にいるカップルを見て、立ちどまったことがあった」
「ああ。満月を見たのはあのときと同じ日だったのか。
ふふっ、紫桃は予知できるのかって聞いてきたよなあ」
コオロギは満月を見ながらなつかしむようすで微笑んでいる。好奇心を抑えられなくなった俺は、あのときもらえなかった返事を催促する。
「答えをまだ聞いていないぞ」
「ん―――? なんの答え?」
「予知できるのかってことだよ」
「予知……ねえ……」
夜空を見ていたコオロギの視線が俺に移り、目をとらえると黙って見つめている。真っすぐ見つめる目には力がある。毎回どきっとするけど、悟られないよういつも平静を装う。コオロギはクールな表情をゆるめて人なつこい顔で言った。
「質問の答えは『わからない』だよ。
紫桃には予知したように見えたかもしれないけど無意識なんだ。
似たようなことはたまにある」
「『たまに』? ごくまれにじゃなくて、わりとあることなのか?」
「 ??
そんなに珍しいことじゃないよ」
「珍しいことだろ! 例えばどんなことなんだ!?」
予知することを珍しいとは思っていないコオロギの感覚が理解できなくて、俺はせっつくように説明を求めた。そんな俺にコオロギは少し驚いた表情をしたけど、すぐにいつもの顔に戻って新宿駅方面へと歩き始めた。
俺があわててとなりに並ぶと、思い出すように経験したことを話してくれた。
✿
新宿区のオフィスビルでのことだ。
そのときの職場は高層ビル。仕事はパソコンを使った作業で、チーム制ではないから休憩は各自で自由にとれるスタイルだった。作業していて、きりがよかったから休憩に入った。
ずっと座って作業するから、休憩に入ると体を動かすようにしている。非常階段へ行って階段の上り下りをし、体をほぐして気分転換を図る。階段を下りながら肩をぐるぐる回したり、手首をぶらぶら振ったりして、固まった体の緊張をとっていた。
3フロア階段を下りたらUターンして階段を上り、もとの階まで戻った。非常階段からフロアへ入る踊り場に着いて前には扉がある。あとはIDカードを通せば解錠されてフロアに入れる。
いつもだと階段の上り下りを終えたら、すぐに非常階段からフロアへ行くのに、この日はすぐに非常口の解錠はせずに、壁のほうへ向かったら、ぴったりと壁に背をつけた。
壁についたとほぼ同時にピッと解錠する音が鳴り、非常口のドアがいきおいよく開かれて、そのままドアは壁にぶつかって大きな音を立てた。
ドアが開いたとき、自分はドアと壁の間にできる三角形の隙間部分に立っていた。隙間の大きさは一人分ぎりぎりのサイズだったから、ドアが目の前に迫ってきたときはさすがにびっくりした。でもドアは自分にはかすりもせず壁にぶつかって直撃を避けられた。
ドアを開けたのは男性だった。
壁に当たった衝撃とはね返ったドアから判断して、ものすごい力で開けたんだと思う。機嫌が悪くてドアにうっぷんをぶつけたのだろう。
壁にぶつかった反動でドアが閉じようとしていくなか、自分が隙間から出て行くと男性が青ざめた顔で見ていた。手に持っていた書類を床にばらばらと落として
乱暴にドアを開けた先に自分が居たことに動転していて、謝る言葉は途切れ途切れで体は小刻みにふるえている。後悔しているのがわかって無傷であったことを伝えても、男性は放心していたのかその場から動かなかった。
男性が落とした書類を拾い集めてから彼に渡したら、気にしないでくださいと言ってオフィスに戻った。
✿ ✿
「身の危険が迫るようなときに、意図せず回避していることはたまにある。
そのときは『危ないからこうしよう』とか『こんなことが起きそうだからこうしよう』とか知っているわけじゃないんだ。無意識に行動していて結果がでてから、取った行動の意味がわかる。
だから『予知なのか』と聞かれても『わからない』としか言えないんだ」
話し終えたコオロギを見ると思うところがあるのかクールな表情で黙っている。俺は過剰な期待をこめてコオロギに予知能力のことを聞いたことに、悪いことしたような気になった。
気まずいと思っていたところにコオロギが聞いてきた。
「もう遅い時間だけど、紫桃は今夜どうするんだ?」
「友だちのところに泊まる予定。コオロギのほうは時間大丈夫か?」
「あ―――、始発で帰ろうかと」
「えっ? 終電逃したのかよ」
「違う。今から帰るのはおっくう。
数時間もすれば始発があるから、それまでカフェですごそうと思って。
紫桃は気にせず友だちのところへ行って」
「それなら始発までコオロギに付き合ってもいいか?(ひさしぶりだから、もっと話したいし)」
「自分はいいけど」
「……コオロギ、今日はいろいろ引きとめて悪かった」
「引きとめていた?」
ふしぎそうに首をかしげているコオロギのようすに、気まずくなりそうで焦っていた緊張がほぐれていく。
あいかわらず鈍いなあ。本当はランチだけの約束だっただろう?
それなのに仕事が終わったあと、飲みに行こうと強引に誘ったというのに……。
そろそろお開きかと思っていたところ、朝までコオロギと一緒にいられるなんて運がいい。電車の始発までの数時間、有効に使わねば!
今回は制作の神様は俺の味方のようだ。
このチャンスにホラー小説のネタとなる話をコオロギから聞きだしたいなあ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます