第5話

 俺と太一は元に戻れない。それは俺が私になったあの時から。


 あの赤い月を観たときから。俺は私になった。って言ったら遠回しな言い方なのかもしれない。


 だからもうぐだぐだしないでハッキリ言う。俺と言う立川京という男が女になって私という立川京になった。冗談みたいに突然に、理不尽に。


 角張ってた成長期の肉体は、丸日帯びて。胸が膨らみ。まぁその他諸々保健体育でベンキョーするような所も。まぁ別にベンキョーなんざしなくてもそういう事なんざ、別に自主的に学ぶんだが。


 私は赤い月を観たら女になった。ただそれだけの大きすぎる変化。


 たったそれだけで私と太一は終わってしまった。


 俺の親友がいなくなった。


 いや私が太一の親友じゃなくなったのかもしれない。


 だけどどうしても取り戻したい。


「待てよ」と自分が発してる声は、自分の耳だとどんな声だか分からないみたいなのはよくある。けれども変わってしまったとハッキリと分かる俺の声。


 赤い夕暮れの河川敷。下校中の一人の青年はその声でピタリと止まり、後ろを振り向く。


 私と視線が合う。ゼェゼェと自分の乱れる呼吸が鬱陶しい。


 苦しい、けど言わなきゃ。苦しいけど言わなきゃ。私は言わなきゃ。


「太一は俺のヒーローなんだよ」

 食いしばる。というか単純に息が苦しい。


 想いなんか伝わらない。言葉を乗せなきゃ伝わらない。そんな事、痛いくらいに分かってる。


 あの時に戻れるかもしれないと必死に肩パンを誘う俺。


 変わってしまったけれどもずっと一緒にいたい。そんな簡単な言葉をどうしても言えなくて、結婚をしようなんて、アホみたいな遠回しに伝える私。


 俺は私になって。けれども私は俺でもあるぐちゃぐちゃなめちゃくちゃになってる。何なのかどうなってるのか自分自身でも分からない俺でもあるし、私でもある。自分のココロ。


 そんなねるねるねるねもびっくりな感じでぐーっちゃぐっちゃの何とも言えない色具合になってる私と俺はただ一つ。


 ただ一つの願いしかない。


 アイツは俺に視線を向けて黙ってる。


 私も視線を反らせない。次の言葉を待ってるんだ。


「だからずっと一緒にいたいんだ」 

 意外とするりと出てきた自分の言葉に自分で驚く。


 俺であろうが私であろうがずっと変わらない気持ちだから。だからスルリと言えたと気づく。


 やっと放てた俺の、私の心の弾丸。


 太一に届いた?届いてるの?届けよと太一の表情を伺う。


「ふへへへ」

 不気味で何よりもらしくない笑い声で空を眺めていた。夕焼けから夜の闇に変わる狭間の空を眺めて────無い!!!!!!


 白目向いてる。てか口から蟹みたいにあぶくを出してる。


 ヒーロー、めっちゃヤバくなってるを通り越して、めーーーーっちゃ怖い!!!!


 ぞっとした。体が後ろへと引いてる。え?どうしたの?


「た…………タイチ?」と声をかけるのと同時に太一は大きすぎるガタイを必死に押さえ込むみたいに、しゃがみ込んで、頭を抱え込んで。


 そして絶叫した。


「あああえあえああああえあいあえあえあいああえあえあえあえああああえあえあえあああえあえああえああえあえあああああえいえあえあえあえいああああえあああああああえあああえあああああえあああ!!!!!!!!!!!」


 何かめっちゃヤバいかもしれない。何かこれめっちゃヤバいかもしれないとサッと癖で煙草を口に咥えて、マッチを擦る。ヤバいかもしれん。風来のシレンと深ーくケムリを体内に入れて、緩やかに口から吐き出す。ヤバいかもしれん。


「何でそんな事を言うんだよ」と太一は弱々しく呟くのに、私は「何を?」と返す?何なのこれ?


「俺はお前としたかったのをずっと我慢してたのに、どうしてそんな事言うんだよ〜」子供の駄々をこねてるみたいな。俺の知らない太一だった。


「何をしたいんだよ」と私が返すと秒速で「SEX」と返ってくる。


 ゾッとした。怖かった。分かりやすくて太一に今まで感じてこなかった、感情がパズルゲームの連鎖みたいに即座に出てきた。軽蔑と失望と恐怖。


「煙草を俺にもくれ」と太一は言う。私はマッチがもうないと伝えると煙草を咥えて太一は「火ならあるじゃん」と私の顔に近づく。


 私の煙草の火が太一の煙草へと灯る。火が伝導する。


 シガレットキスという嘘のキス。私のファーストキス。


 怖い。その気持ちしか無かった。


───────────────────────


 二人の沈黙をお互い崩すことは無く。吸い終わった煙草を足で踏みつけ火を消して、無言で、太一は去った。


 さようなら俺と私は思った。怖いとしか思えなかった。私のヒーローは私のせいでいなくなってた。


 夜空を見上げると幾つもの星々と何てことない満月が綺麗に輝いてた。私を馬鹿にしてるみたいに美しく。


 私と太一は終わってた。ただそれだけだった。


「立川さーーーん」と声が聞こえて、私の方へと駆けて近づく影が見えた。


 タチバナくんだった。


「どうしたの?」煙草のケムリを揺らせながら冷たい言葉をタチバナくんへと向ける。


 そんな私の表情を確認してないくらいに間髪を入れずにタチバナくんは


「立川さん、赤い月を見たの?」

 ギョッと目を開く私の事なんかお構いなしにタチバナくんは「実は僕も………いや、私も………」と言葉を続ける。


 私の運命の恋は私の事なんかお構いなしに、無理矢理。身勝手に始まろうとしてた。


 何でも無いただの満月はやはり私をあざ笑ってるかのように輝いてた。

 

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ねえ結婚しよっ。ねぇねぇ結婚しよ 長月 有樹 @fukulama

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