第3話

 世界一大切な人。セカイイチタイセツナヒト。

 なんて言ったらあまりにもスケールがでかい感じで嘘っぽく感じる。


 けどどう考えてもソレだった。私の中のタイチはソレしか無かった。タイチは私の中で世界一大切な人だった。


 私は不幸な人間だった。フコウナニンゲン。

 そう言うしか無かった。もしかしたら不幸な人間では無いのかもしれない。人によっては。


 けど私は私の事をフコウナニンゲンだとしか思えない。5歳の時に父は死んだ。父は元ヤンだった。

 元ヤンのテンプレって言ったらあまりにも当てはめすぎてる感が出るかもだけど、大型トラックの運転手になった。そして父は、その仕事で死んだ。事故死。しかも他人を巻き込んで。


 お酒を飲んでた。飲酒運転。笑ってるくらいに終わってると感じる父の人生はすごくあっさり終わってしまった。私に残したものが若い頃に使ってたメリケンサックだった。笑える。ワラエル。それしか形見が無いのは、笑うしかない。それ以外の余計なモノはたくさん残して、あっさりポックリ去るの。悲しみを通り越して、今なら笑うしか無いっしょとしか思えない。


 そして残された母と私は地獄が始まった。

 父の飲酒運転に巻き込まれたのは女の子だった。双子の女の子の一人。年は当時の私と同じで5歳。

 片方がぐっしゃぐっしゃで、もう片方の女の子はそれを見ていた。てのは後から知った。嫌になるくらいに耳を塞ぎたいくらいにずっと、ずっと聞かされた。


 母と私は犯罪者の妻と子供って扱いになった。具体的に何があったかなんか一つ一つを思い出したくない。私は毎日泣いて、母も毎日泣いて。


 そして母は死んだ。マンションの8階から飛び降りた。私を置いて、全てに楽になりたかったんだろうなと。まぁ別にいいけど、もう。悲しいよりもズルいなって気持ちが今は強い。


 そんな事はどうでもいいんだ。私はフコウナニンゲンだった。ただそれだけを言いたかった。そして母方の祖母に引き取られる。


 太一に出逢えた。


 それが私の始まりだった。太一と出逢えた。私の中の終わってる人生が終わってくれて、新しく私が始まった。


 祖母の田舎の家で暮らした。埼玉から愛知県の三河地方に引っ越した。けれどもそこでも私は犯罪者の子供だった。


 私は悪いことなんかしてない。けれど私を殴る事は悪いことじゃなかった。寧ろ正しい事みたいだった。そんな毎日が当たり前の事だった。身体全体に痣ができるのが当たり前だった。私が壊されていく事が当たり前だった。


 そんないつまでも続く毎日を一人の馬鹿が救ってくれた。私はもう泣かなかった。悲しくないわけでも辛くない訳でも無く。それよりも私はこの終わらない暴力にゆっくりと少しずつ心が壊されていた。


 小学校に上がっても私への理不尽の暴力は相変わらず続いていた。休み時間、私はまた殴られていた。


「てか、お前らずるくね?」


 私はその日も4,5人の同級生に一方的に殴られていた。それを遠くでぼんやり眺めていた一人の少年が私を殴っていた人間に言った。


「お前らの肩パンずるくね?何でみんなでそいつを殴ってるの?」


 鼻水を垂らして、よれてしわしわな服を着ていた少年。


「てかさー、お前ら肩パン知らねえの?馬鹿だな〜〜。肩パンって一人と一人で順番に殴んだぜ?お前ら、マジであたまわりいな〜〜」


 馬鹿だなと言ってる彼が、恐らく一番馬鹿であった。太一だった。


 私はたぶんこの時の太一より馬鹿な人間を知らない。今でも出会った事が無い。


「お前もさっきから殴らればっかじゃなくて、殴れよ。ほら、ここにさ。俺がオテホン見せてやるよ」


 と彼はポフポフ自分の肩を叩き、私を挑発する。


 この時出した程の叫びを私はコレまでしたこと無かったし。コレからもしないだろう。


 壊れかけのレディオとかダムが決壊したとか。そんなレベルの叫び。私は叫んだ。泣き叫んだ。今までの理不尽を振り払うかのように泣き叫んで。そして太一を殴った。思いっきり。全力で。興奮で殴ってる自分の手への痛みを忘れて。必死に。全力で。


 さっきまで私を殴っていた少年達は、その狂った私の姿を見て、逃げるように去っていた。休み時間の教室は私以外は静まり返っていた。私は狂ってた。狂って、叫んで、太一を殴り続けた。


「ちょ!違っ」と太一は何か言おうとしてるが、私は止めなかった。止まれなかったんだと思う。


 勢いで教室の前列の机が太一が倒れるのに巻き込まれる。近くにいたクラスの少女が


 呼吸が乱れる。肩を揺らして必死に酸素を取り込もうとする。太一は「イテテテ」と言いながら起き上がる。


「だーーーから、違うっつーの!交互に肩を殴るんだよ、肩パンって!」


 ぼこぼこに殴られて、目に私の殴った跡が残っている。パンダみたいな間抜けな姿で。世界一の馬鹿は、少し目元に涙を浮かべて笑っていた。


 私はそれを見て、泣きながら笑った。


 この時から私の中の世界一の馬鹿は、私の中の世界で一番大切な人になった。


 

 太一とはずっと一緒だった。肩パンをして。運動会で太一がパン食い競争で全員分のパンを食べ尽くすのを見て、笑って。肩パンをして。肩パンをして。部活でサッカーを始めて。夏の日熱いには二人でアイスキャンデーを食べて。肩パンをして。肩パンをして。肩パンをして、時々サッカーをして。太一はメキメキサッカーが上手くなって。私は全然成長しなくて。ずっと馬鹿みたいに笑いながら、ずっと二人でいた。肩パンはとにかくしまくった。メリケンサック使ったらブチ切れられて喧嘩した。


 そんなしょうもなくて。くだらなくて。何より馬鹿らしい毎日が。太一と一緒にいた毎日は凄く極彩色なカラフルな日々だった。色々な感情がカラフルに飛び交っていた。


「いやさぁ月が綺麗ですねぇ?洒落臭い言葉あんじゃん?」


 中学三年生となり、相変わらずの馬鹿を過ごしていた夜だった。


「あれってさぁ、よく分かんねえけど。すげえ月の時に言ってるしょ?スーパームーンとか?そうでなくても満月がよく見える日とか?そーゆーすげえ月の時にしか、アイラブユーとか言わないっしょ?」


 真夜中の河川敷。私と太一はサッカーの自主練を二人でやり、自転車を押しながらゆっくりと帰っていた。


「けどさぁ何も無い月?名前の無い月の方がたぶん多いっしょ?じゃあさぁそーゆー名前の無い月を見て、綺麗だなとか言うヤツていなくね?今日みたいなさぁ」


 太一は私に笑いかけてしょうもない話をふっていた。私は片手にタバコを挟みながら笑ってその話を聞いていた。


 煙が夜の闇に吸われていく。そしてその上にある太一が言う何も無い月へと視線を上げた。


 月は赤かった。


 私が驚いて赤い月へと指をさす。太一も月を眺める。


 月が赤くなかった。


 いや、一瞬だけ月は赤かった。


 その赤い月が私と太一の何もかもを変えてしまったんだ。


 そうだ────。あの───。


「あの赤い月で私は、変わった」


 ポツリと呟く。さっきまでタチバナくんと話していた教室。


「赤い月?」

 突然呟いた私の一言に虚をつかれたのか、タチバナくんは目を見開いて驚いてた。驚き過ぎていた。


 私は分かってしまった。私の気持ちが。


 いや本当は前から分かっていたのに目を背けていた。


 けどもう反らせない。本当の気持ちに。


 校庭を見る。気づけばあれから随分時間が流れたのかオレンジ色の夕焼けをバックに部活も終わり帰路へ向かう運動部の生徒がいた。太一はいなかった。


 私は走り出した。タチバナくんが大声で私の名前を呼ぶのを無視して、全力で走り出した。


 世界一の馬鹿に世界一馬鹿な告白をするため。私は全力疾走をキメ込む。



 

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