冴えない彼女の短編集

@HAGE00675

恵と倫也の結婚準備-楽曲編-

「恵、ちょっといいか。相談したいことがあるんだが」


「あ、ちょっとだけ待ってもらっていい?顔の保湿だけ済ませちゃいたいから。

 倫也くんがそうやって切り出してくるときは、たいてい長くなるよね」


「お、おう……」


意気揚々と話しかけた俺を、数年前に戻ったかのようなフラットな声で制したのは、お風呂上がりで上気した顔へ俺にはよくわからない化粧品を塗っている女性。


公では、俺が立ち上げたゲーム会社「blessing software」の副社長にして、実質的には会社の権力を一手に掌握していると社員全員から認識されているやり手経営者。


「ごめんね、お待たせ……。それ、どうしたの」


「よくぞ聞いてくれた!これは俺のオタク人生の総決算、検討に検討を重ね、名曲の中でも粋を集めた、式にふさわしい最強の楽曲集だ!だが、既に涙を呑んで厳選したにも関わらず、すべて流してしまうと式を2回繰り返しても足りない。そこで、更なる厳選を手伝ってほしいんだ!」


「無事マスターアップして、作業も落ち着き始めてるのに何を夜更かししてるのかと思ったら、そんなもの作ってたんだね、倫也くん」


私では、数々のイベントを乗り越え、今では同棲をするようになった俺の、愛すべき、冴えない彼女。


「当たり前だろう。blessing software社長としての仕事は一旦一区切りがついてきたけど、い、い、一家の大黒柱としての仕事は、これから佳境を迎えるわけだからな!最高の結婚式にしような、恵」


「っ……。そんなに顔を赤くするくらいなら、言わなかったらいいのに。

それにその柱、女の子たちの働きが無いと崩れ去ってしまう儚い柱なんだから、あんまり大きな声で言わないほうがいいんじゃないかな?」


「照れ隠しにしては言葉の攻撃力が高すぎるよ!あともういい加減に広報担当を会社の一員として認めてあげて⁉」


そして、ようやくたどり着いた、大学を卒業するまでは、会社が軌道に乗るまでは、マスターアップするまではと伸ばしていた……。入籍と結婚式を数か月後に控え、いずれ名字が安芸へと変わって、俺の妻となる、女性。


「はいはい、考えておくね。それで、なんだったっけ?」


加藤、恵。



*******************



いつもは会社のみんなで囲んで、作品の進捗やイラストの確認をする大きなダイニングテーブルを、今は二人で向かい合って使いながら、俺のプレゼンは進む。


「でさ、このシーンの声優さんの演技だけでも涙でコップが一杯になるくらい泣いたんだけど、その後二人で手をつないで帰る場面で流れてくるこの曲がこれまでのヒロインの想いを凝縮したような歌詞で……。男泣きするしかないよなぁ。あ、でも出海ちゃんも泣いたって言ってたし、男泣きじゃないか」


「っ……」


「で、次の資料なんだけど!この作品はそもそも中学生で出会って結婚までを描くっていう触れ込みで、元は英莉々に教えてもらったんだけど……」


「ねぇ、あと何枚あるのかな。流石にちょっと疲れてきちゃったよ」


「ごめん、やっぱり名作の話をしていると熱が入りすぎちゃうな。ちなみに、今までの中だと気に入った曲はあったか?」


「あれだけ長々と語った人の前で、気軽に気に入ったなんて言葉は使えないかなぁ」


時計を見ると、深夜の1時。なんと、語り始めてからおよそ1時間半が経過してしまっている。

あれ……?さっき時計を見たときは12時を少し回ったところだから、もうちょっとは大丈夫だなって思ったところなのに……?


「語り始めたら自分の世界に入って周りが見えなくなっちゃうところ、出会った時からずっと変わらない倫也くんの悪い癖だよね。私はもう慣れたからいいんだけど、いつか取引先の人とかに出しちゃわないか心配になるよ」


うっすら半目になってこちらを見ながら、非難するような視線を送ってくる恵。出会ったころならフラットだったその視線も、今ではフラットではなくなり、裏に隠れる感情を出会ったころよりは読み取れるようになった。

そして今は、さながら黒髪ロング美人先輩が燃え上がらせるような黒い炎を、金髪美少女幼馴染が振り回すツインテールのように吹き散らしている。

あれ……めちゃくちゃ怒っていらっしゃる……?


「ごめん恵、悪かったよ、つい話し込みすぎちゃって。でも、俺たちの大事な結婚式のことだから、いつも以上に熱が入ってしまってさ」


「それはまあ、気持ちは嬉しいし、さっきも言ったように慣れたことだからいいんだけど」


だけど、の語尾が示すように、表情や裏に隠れる感情は、全然いいとは言っていない。

でも今さら俺のオタクトークに怒るようなら、俺たちはこんな関係にはなっていない。どうやら怒っていることだけはわかるけど、思いつく原因がなく、どんどん焦ってくる。


「なあ、機嫌なおしてくれよ、恵。俺が悪かったからさ」


「何が悪いかもわかってないのに、言葉だけで謝られても、なんだかなぁだよね」


あっさりと怒っていることを認める恵。しかも原因はやっぱり俺にあるらしい。

いや、1時間半の演説をかましておいて自分が悪くないというつもりはないんだけど……。

焦る頭をフル回転させ、なんとか思い当たる理由を捻りだし、許しを請うときの声で言う。


「それともあれか?恵、最初に式場に見学に行ってから、めちゃくちゃ美容に気を遣ってたもんな。肌のケアとか……。それでこんな遅い時間になったら、そりゃ怒るよな。夜更かしは美容の大敵だって言うし」


俺の言葉の途中で、ついに我慢ができなくなったのか、目を大きく見開く恵。


「っ……。そういう、どうでもいいことには気付くのに、なんで」


「どうでもよくないよ!だって俺、恵も結婚式のこと楽しみにしてくれてるんだってわかったから、嬉しかったんだぞ!でも、悪い、今恵が何に怒ってるかはわからないから、頼むから教えてくれよ!」


「じゃあさぁ……!じゃあ、言わせてもらうけどさぁ……!」


あぁ……。つい、気持ちが高ぶって声を荒げてしまった。俺も、きっと恵だって、こんな言い合いをしたいわけじゃないのに。でも、一度転がり始めてしまった感情は止まらなくて、喋り始めた口は止まらなくて、冷静になれという脳の指令は、体のどこにも届かない。


「倫也くんいつも言ってるよね?最高のイベントシーンには、最高の音楽が必要なんだって。音楽があるから、登場人物の、ヒロインの、輝く姿が引き立つんだって」


「あ、あぁ……。そうだけど、それが、」


「じゃあ、私たちの結婚式にはさ、私たちのイベントにはさ、私たちにとって、最高の音楽が流れてないと、ダメなんじゃないかなぁ……?」


感極まってしまったのか、恵の目尻に涙が浮かぶ。

声は震えていて、顔はうつむいていて、怒っていたと思っていた俺の想像とは違う顔で……


「それなのに……。倫也くんは、私たち二人にとって最高の曲より、出海ちゃんや、英莉々との、最高の曲を、選ぶのかな……」


「あ……」


恵の顔に浮かんでいたのは、悲しみと、小さな、嫉妬だった。



********************



恵は、俺よりも、誰よりも、二人の結婚式を大事にしてくれていたんだ。

俺が、いつもの通りに大げさに舞い上がって、はしゃいでいたから、隠してしまっていただけで。会場を見に行ったその日から、今まで以上に、自分のケアを怠らなかった。肌の手入れも一層力を入れているし、食べるものや生活習慣にも気を付けて、昼夜逆転が当たり前の業界でも、せめて今だけはって。

そんな恵だから、当然、当日のあれこれも、一生懸命考えていたに違いなくて。


「倫也くんの大好きなアニメや、ゲームは、大事にしてもらいたいし、私も今はゲーム会社で働いてるんだから、それを否定したいわけじゃないよ。」


それはきっと、恋愛の経験はなくて、でもデートや、結婚式や、いろんなイベントのことを世間以上に重く考えている、オタクのテンプレートみたいな考え方の、俺のため。


「でもさ、結婚式の、一生に一度のイベントにはさ、私と、倫也くんにとっての、大事な音楽が流れててほしいって、そう思うのは、おかしいかなぁ……?」


そして、そんな、もしかしたら女の子よりも、恋に恋している、めんどくさいオタクを、それでも伴侶に選んで、これから一緒になる、二人のため。


「そっか。そうだよな。ははっ」


「なんで笑ってるの、倫也くん。私、怒ってるんだからね」


「だって俺、今すげぇ嬉しいんだよ。恵が、二人のこと、こんなに大事に考えてくれてて」


「それは……そうだけど。今このタイミングで言われると、なんだかなぁだよね」


唇を尖らせて、むくれた調子でこちらを睨む恵。

さっきよりも鋭くなった視線は、でも、さっきよりも暖かい色に変わっていた。


「ごめん、恵。俺、必死に考えたつもりだったんだけど、独りよがりになってた」


「うん、いいよ。まあ考えてみれば、倫也くんが結婚っていう人生の一大イベントで、だ~いすきなみんなの影響を受けないわけないもんね?」


「お前さぁ……。いや、俺が悪かったけど、悪かったけど、勘弁してくれよ……」


「え~。なんのこと言ってるか、わかんないよ。いいの、倫也くん。Trueエンドは、自分が一番好きなヒロインと迎えるのが最高だって、いつも言ってるよね。一番好きなヒロインとのエンド、迎えられそう?」


明らかにからかう調子で言う恵。まだ見せていない資料の中にある、美智留にメロディを、詩羽先輩に歌詞をお願いして曲を作るという案は、永遠に出さないほうがよさそうだ……


「もう迎えてるんだよ!もうわかってること言わせないでくれよぉ……」


「でも、不安になっちゃったからしょうがないよね。ぐっすり眠るために、この人を選んで大丈夫だったんだって、安心させてほしいなぁ」


もう完全にサンドバッグ状態だ。もう今日は恵に頭が上がらない俺は、恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら……いい年をした男が赤面するという、誰も求めていない状態になりながら言う。


「恵が一番だ!」

「聞こえないなぁ」

「好きだ!」

「し~らない」

「一番好きだ!」

「そうなんだ、よかったね~」

「なぁ、これ前にもなかったか?」

「あ~、口では好きっていいながら、別のこと考えてたの?」

「そんなことないぞ、恵のことしか考えてない!好きだ!」

「ほんとうかなぁ」

「本当だよ!愛してる!」


「うん、私も。愛してるよ、倫也くん」


その瞬間、次第に縮まっていた距離が、ゼロになった。


**************************


「あ、そういえばあの曲はどう?あれだったらゲーム制作の時に勉強だって倫也くんと一緒にプレイさせられたし。おが……おぎ……?なんだったっけ、そんな名前の人が歌ってる、白い……」


「いやそれだと式中どころか式の後にも大波乱が起きちゃうから!

数年ぶりに因縁のある人と海外で再開することになるから!その曲だけは絶対にダメ!」


「ええ~」

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