第88話 《赤雷の魔女》
「ねえ、どれだけ歩けば着くの……?」
先の見えない霧の中、たまらずイブキが問いかけると、残りの二人も足を止めた。
「たしかに、かれこれ2時間近く歩いてますね」
と、シャルは平気そうな顔で答える。イブキとテトは息を切らしているというのに、流石氷花騎士団第2部隊隊長というべきか。
かろうじて前が見えている程度だ。三人は木々に囲まれた道にいる。陽の光も届かず、辺りは霧で覆われている。
「お化けとか出そうよね」
イブキの言葉に、テトは体をぶるっと震わせる。
「お、お化けとか、出るわけ無いじゃん」
「例えだよ。それくらい、不気味だってこと」
「まあそうだけど……。――それに、さっきから焦げたような臭いもしない?」
テトが鼻を押さえ、顔をしかめる。すると、シャルが制服の袖を自分で嗅いだ。
「私ですか……?」
「シャルさんは、香水のいい匂い」
即答するテト。
「じゃあ、わたし?」
イブキも問うが、
「あんたは石鹸の臭い。おこちゃまみたいな」
(喧嘩売ってんのか、こいつ……!)
テトが言うには、この中の誰でもないらしい。イブキとシャルも、テトにならって意識してみるが、そんな臭いなんてしない。
「ほら、こっちの方から……」
テトが示す方向へ、三人はどんどん進んでいく。と、開けた場所に出たところで、テトが足を止めて振り返った。
「ここらへんかな。嫌な臭いがする……」
ここまで来ると、イブキとシャルにも感じ取れた。焦げたゴムのような臭いがする。ケット・シー族は、他の種族と比べ鼻がいいから、彼女だけが先に気づいていたのだろう。
「でも、全然周りが見えないわよ。道も途切れているみたいだし、さっきの場所に、戻ら……ない、と……」
イブキの声から段々と元気がなくなっていった。イブキの視線はテトの背後へと向いている。なにかに気を取られているみたいだ。
シャルの視線もテトの背後へ。テトは口元を引きつらせた。
「な、なによ? あ、あたしの後ろになにか……」
そして振り返ったテトと一緒に、イブキも叫んだ。
「「お化けだーっ!」」
霧の中、テトの背後に黒い影が見えたのだ。テトがイブキへと抱きつく。イブキも、シャルへと飛びついた。
その状況でも冷静なのが、シャルだ。シャルはじっとその方向を見据え、そして落ち着いた声でなだめてきた。
「お化けじゃありませんよ。見てください」
イブキとテトは、恐る恐る視線を向けていく。目を凝らすと、霧の奥の景色を視認することができた。
黒い影の正体は、動物だった。見た目は巨大な猿のようで、手の先には鋭い爪がある。しかし、動く気配はない。なんと、木の根本に座り込み、絶命していた。牙の並ぶ口を大きく開け、表情は恐怖に満ちている。
「クローエイプ……? そうか、霧の谷に生息しているんでしたね。でも、これは……」
シャルが視線を巡らせる。すると、イブキたちの周りに、同じようにクローエイプの死体が転がっていた。
しかも、全身の毛がなにかに焼かれたみたいに焦げていた。焦げたゴムのような臭いは、ここからしていたのだ。
「な、なんなのよ……これ……」
イブキは転がる獣の死体を眺め、声を漏らす。シャルは辺りを警戒し、はっきりとした声で告げる。
「これは魔法によるものですね。それに、つい最近のものみたいです。みなさん、念の為、気をつけ――」
シャルの言葉を遮ったのは、悲鳴に似たテトの声だった。
「シャルさん、上!!」
三人一斉に顔を上げる。すると、シャル目掛け飛びかかってきている人影が見えた。
先に気づいたテトが応戦しようとする。
「《ソードクリエイト》、ホワイト・スラスティア!!」
テトの右手に、純白の剣が生み出される。しかし、飛びかかってきていた人物とは別の誰かが、割り込むようにしてやってきた。黒いローブを被っている。体つきを見るに、男のようだ。手には巨大な剣が握られている。
その人物が巨大な剣をテト目掛け振り下ろす。テトはバックステップでそれを避け、唸るように言った。
「誰よ、あんた……!」
その人物はなにも答えない。
「テト!!」
イブキが叫ぶと、
「あんたはシャルさんを!」
と叫び返された。つまり、「こいつはあたしに任せろ」ということだろう。
シャルの方を見ると、イブキは絶句した。
わずかに気を取られている間に、シャルの首元を掴んで、誰かが立っていた。その人物は20代半ばくらいの若い女性で、髪は金の短髪。顔中に痛々しい切り傷を負っており、肌は驚くほど真っ白だ。体は細く、背は女性にしては高い。
その女性は、「ひひっ」と嫌らしく笑った。
「鈍いねぇ。これがあのシャル=リーゼロット? ――もしかして、傷が治りきってないのかなぁー?」
イブキの魔術であれば、その女性を簡単に退けられるはず。体の中で魔力を練り上げた途端、その女性が視線を向けてきた。
「《災禍の魔女》。下手な動きを見せたら、大切な仲間たちを殺すわよ」
「ぐっ……。シャル! 雷魔法を!」
イブキの言葉に、シャルは首元を掴む手を振り解こうとする。
「使ってます……! けれど……!」
「あー、無駄無駄。オレっちに、雷魔法は効かない。――自己紹介がまだだったね、《災禍の魔女》。オレは《
その女性――《赤雷の魔女》フランベールは、シャルへ顔を向けた。目を大きく開き、口元に嫌らしい笑みを浮かべる。
そして、声たかだかにシャルへ告げるのだった。
「――あたしの家族を殺したこと、忘れてないよねぇ?」
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