災禍の王国

第84話 《ドロシーの器》



 その日の夜は、雨が降っていた。


 冷たく、暗い洞窟の中で、胡桃色の髪をした少女が膝を抱えて座っている。髪はさらりと流れており、瞳は左右で赤と青と色が異なっている。《紅血の魔女》ドロシーに違いはなかったが、どこか様子がおかしい。

 可愛らしく整った顔はうつむいており、ただじっとなにかを待っているようだった。


 と。


 ランプを片手に、銀色の髪をした女性が洞窟へと入ってきた。外は土砂降りだ。髪先から雫が垂れ、服も濡れているが大して気にしていない様子だ。

 その女性――《鎖の魔女》チェインが、くすんだ瞳を少女へ向け、声を掛ける。


「いつまで、そうしているつもり?」


 声を掛けられた少女は顔をゆっくりと上げ、そして視線を逸らす。


「もう、なにもしたくない。ドロシーも、勝手なのよ。ボクの体であれだけ人を殺しておいて、今はぐっすり


 少女は自分の手の平をじっと眺めた。ランプの明かりを頼りに、かすかに見ることができる。

 手には血がこびりついていた。体からも、鼻をつんとつくような血の臭いがする。


 少女は膝を抱え、自身を抱きしめるようにぎゅっと力を込めた。目を瞑ると、死者の顔が浮かび上がる。あの時、は――ドロシーは笑っていた。


 少女は深く息を吐いた。ここがどこなのか、まったくわからない。目の前の女性――チェインは、自分をどこかへ連れて行こうとしているみたいだ。


「……ボクを、どこに連れて行くつもり?」


「決まってるじゃない」


 とチェインが答える。相変わらず抑揚がない。まるで感情の無い人形と話しているみたいだ。


「《魔女の茶会》の集会に参加するのよ」


 少女は、《魔女の茶会》について、嫌でも脳内に叩き込まれていた。その集会へ向かうべく、こんな険しい山道を進んでいたのか。


 チェインが腰を下ろした。指先で小さな鎖を生成し、絡み合わせてはほどいてを繰り返している。少女は、その仕草をぼうっと眺め、そして体を横にした。


 ごつごつとした地面は、とてもじゃないが熟睡できそうにない。少女は目を瞑る。そして、涙を流すのだった。


 


 ――翌日は雨も上がり、太陽が顔を覗かせていた。チェインに叩き起こされ、夜を過ごした洞窟を出る。木の葉に滴る雫が陽光を照り返し、頭上では小鳥の囀りが音色を奏でる。

 そのままチェインの後ろをついてき、坂を登り谷を超え……正面に古びた屋敷が見えた。チェインが、屋敷の巨大な門に手を触れる。すると、魔法陣のようなものが正面に展開され、ひとりでに門が開かれた。


 門をくぐった先には、。少女は「えっ」と声を漏らし、くぐった扉の方を振り返る。元来た扉の奥には森が広がっている。

 しかし、扉が完全に閉まりきると、そこには果まで続く草原が広がっていた。


 草原の中心に、巨大な大理石のテーブルと、石椅子が用意されていた。テーブルを囲むように、椅子は全部で7席ある。その内の4席はすでに埋まっていた。椅子に腰掛ける人物はほとんどがフードを被っていた。

 ただし一人だけ、顔中に切り傷を負った20代半ばくらいの女性だけは、フードも被らずに目をぎょろぎょろと動かしていた。髪は金の短髪で、唇はふっくらとしている。その女性はチェインと少女に気がつくと、わざとらしく手をあげ、かすれた声で呼びかけてきた。


「よお、《紅血の魔女》、《鎖の魔女》。久しぶりじゃんか! ひひっ」


 最後に高い声で笑った女性を、チェインが冷たくあしらう。


「前回の集会時、あなただけ不参加だったものねぇ……フランべール」


「ちっ、仕方ねえじゃん。時間守るのは苦手なんだよ。つーか、ドロシーも元気そうじゃんかー……って、あれ? あれれ?」


 その女性――フランベールは徐ろに席を立ち上がると、少女の元まで駆け寄ってきた。大きな目で、少女の顔をじっと覗き込む。少女は息を飲んで、顔を逸した。


「なん、ですか……」


「ありゃ? ……誰、こいつ?」


 空いている席に向かいながら、チェインは当たり前のように、


「ドロシー様のよ。最近、不安定でね」


「ボクは、器なんかじゃない!!」


 少女は声をあらげ、チェインを睨みつけた。チェインは「ふん、どうだろうね」と含みをもたせ、相手しようともしない。


 すると、フランベールは目をぎょろぎょろと動かした後で、口の端を吊り上げて笑った。


「まあ、《紅血の魔女》には変わらないだろー? とりあえず座りなよ」


「ちょっと……なにするのよ……」


 フランベールに肩を掴まれ、少女は無理やり石椅子に座らされた。左にはチェイン、右にはフランベールだ。

 しかしあと1つだけ、席が空いている。


 少女が凝視していると、どこからか声が聞こえてきた。しわがれた、老婆の声だった。


「集まったかい、我が愛しの子たちよ――」


 


 


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