第3話 《魔女裁判》



 まず第一に、イブキは「ここがどこなのか」を問いかけてみた。

 結果、無視された。

 《災禍の魔女》とは口も聞かない、ってわけだろう。ペペローナだけは違うみたいだが、彼は他の手下に指示を出したりで、あれ以降まともに話せていない。


(そもそも、災禍の魔女ってなんなのよ……)


  港に着く頃には、空の端が紅葉色に染まり、緩やかに上下する水面も夕日を照り返していた。 


 船が岸に寄せると、ペペローナの手下が、イブキの体を取り巻いていた縄を解いていく。その表情は、どこか怯えていた。イブキが紫の瞳でじっと見返すと、ひっと息を飲まれるくらいだ。


 代わりに両の手首をロープでくくられ、イブキはようやく立ち上がる。そして「む」と声を漏らした。わかってはいたが、背もかなり小さくなってしまっている。

 服装も、ニーソックスにショートパンツ、Tシャツ、そして羽織っただけの深紅のローブと、なんととまあ、よくわからない格好だった。


(ニーソって! 恥ずかしい! この歳で大丈夫!? けど、この太もも、ぷにぷにでちょっとクセになりそう……幼女、恐るべしね)



 とてとてと歩く姿は、本物の幼女そのものだ。あざとく見えるが、実は足が痺れてうまく歩けていないだけなのだが――。


 手下に先導され海賊船を降りる直前、イブキは港の様子を見て目を輝かせた。

 

 港は、夕方だというのに大勢の人でごった返っていた。夕焼けを背に、荷物を船へ積み込みする男たち。並べた木箱に座って、木のジョッキに入った酒をがぶ飲みしている複数の男女。近くの石造りの建物はレストランらしく、そこからも人が出入りしていた。


 ワイワイ、ガヤガヤと、都会の喧騒とは違う雰囲気が、この港にはある。みんな生き生きしていて、この時間を楽しそうに過ごしていた。



「すご……」


 イブキは呟いた後、手下に言われるがままにレンガを敷き詰めた港へと降り立った。

 と、今度はこの海賊の長、ペペローナがイブキを先導し始めた。


「さあ、魔女裁判が行われる審判所へ行くぞ、《災禍の魔女》」


 港から通りへ繋がる階段を、二人で歩み始める。木のアーチには『フェルマ通り』と掘られていた。見たことのない文字なのに、なぜか読めてしまう。死にかけて頭でもおかしくなったか……。


 近くの街灯ランプに火が灯る。通りゆく人々は、縄に繋がれた紫髪の幼女と、肌の黒いペペローナを怪しげに見ていた。イブキの耳にも、ひそひそと話す声が届く。

「あらやだ、海賊よ。奴隷を連れているのかしら」だとか「あの紫髪、《災禍の魔女》じゃないか?」だとか……。


 左右に家々の立ち並ぶ道を歩き続ける。この姿だと、大人の歩みに合わせるだけで一苦労だ。

 イブキは、先を歩くペペローナの背中へ声をかけた。


「あの、ここはどこなの?」


「ふん、《災禍の魔女》さんは、なんにも知らないんだな」


「……別にいいでしょ。関係ないじゃん。教えてよ」


 イブキはいつもどおりの強い口調で応えたが、幼い声音のおかげか、ペペローナは仕方なく教えてくれた。


「ここは水の都、マステマ。俺たち海賊には大事な街だ」


「マステマ? 日本から見てどこらへんよ?」


「……にほん? なんだそれ。新しい大陸かなにかか?」


 イブキは桜色の唇をきゅっと引き結ぶ。

 薄々気づいていたが、ここはもともといた世界とは違う。まさか、異世界に来てしまったのか。しかも、幼女の姿で。


(夢じゃない、か。なんなのよ、これ……)


 イブキは、もう一つ、問いかけた。


「……《災禍の魔女》ってなんなの? わたし、本当になんのことかわからないの。人違いじゃないの?」



「《リムル神》の予言は絶対だ。あんたが《災禍の魔女》で間違いはない。あんたからは、神の加護も感じられないしな」


「神の……加護? なによ、それ」


「これさ」


 ペペローナは歩みを止めずに、右手を宙へ差し出した。と、その右手から、ふつふつと水が湧いてきた。


「あなた、手から水を出せるの? 気持ち悪いわね」


「なにいってんだ? ウンディーネの加護――水魔法だろ。俺の家系は代々、ウンディーネの加護を受けているからな。水魔法はお手のものだ」


「まほー……?」


 魔女もいるなら、魔法もある、か。イブキは困惑しながら、ペペローナの言葉をおさらいのように繰り返した。


「その加護とやらを受けたら、魔法が使えるのか」


「ああ。あんた――《災禍の魔女》は加護から外れた存在だから、そんなことも知らないのか」


「加護を受けていないなら……わたしは魔法を使えないじゃん。なのに《魔女》なの?」


「しらばっくれるのもいい加減にすることだな、嬢ちゃん」


 ペペローナが鼻で笑い飛ばして、今度は路地を右へ曲がった。人気のない、薄暗い路地だ。


 その後を追いながら、イブキはペペローナの言葉の意味を遅れて理解した。


「……加護なしでも、《災禍の魔女》は魔法を使えるのね?」


 それ以上は、ペペローナも答えてくれなかった。



 イブキは脳内で情報を整理する。


 ①まずはこの世界――本当に、元いた場所とは別の世界らしい。この世界には、当たり前のように魔法が存在している。


 ②神の加護――加護とやらを受けることで、魔法を使えるようになる。加護の受け方、神がどういう存在なのか、はわかっていない。


 ③リムル神――不明。災禍の魔女(イブキ)が現れる予言をした?


 ④災禍の魔女――なぜかみんなに嫌われている。イブキ自身が、そう呼ばれている。リムル神の予言がなにやら関係しているみたいだ。


 ⑤この体について――自分の元の体はどうなったのか? なぜ幼女なのか? こればっかりが一番わからない。



「うーん……」


 イブキの頭から、湯気が出始めた。社畜だったころの癖で、つい眉間にシワを寄せてしまう。

 肩まで伸びるイブキの紫髪が、風に揺れる。難しい顔をしても、かわいらしい顔立ちは崩れない。考えれば考えるだけ、イブキの真っ白な頬がどんどん紅潮していった。本人は気づいていないのだが……。


「着いたぞ」


 突然、ペペローナが立ち止まった。木の扉が取り付けられた、小さな家が目前にある。壁はぼろぼろで、今にも崩れ落ちそうだった。


「審判所にいくんじゃなかったの。これ、ただの民家じゃない?」


「中へ入ればわかるさ」


 イブキは生唾を飲み込んだ。今になって、不安が胸を締め付ける。


(裁判? 死刑とかあるの? 牢獄に閉じ込められちゃったりするの? 閉じ込めるのはオフィスだけにしてよね……!)


 ペペローナが扉を開けると、不気味にぎいっときしんだ。

 中は真っ暗だ。恐る恐る覗くと――。


 とん、と背中を押された。バランスを崩して部屋の中へ足を踏み入れ――――。



 ――足が、地面につかなかった。



「ふぇ!?」


 直後、浮遊感が体を支配する。暗闇の中を、どんどん落っこちていく。体勢を無理やり変えると、続いてペペローナも飛び込んできたのがわかった。


 壁も床も、全てが黒くて自分がどれだけ落ちたのかさえわからない。

 どんどん、どんどん、落ちていく。


「なんで、こんなに落ちてばっかなのよーーーーー!」


 暗闇に悲鳴が響く。ペペローナは笑っていた。

 

 突然、アナウンスが流れてきた。声は、こう告げていた。

 

 『審判所ポータルへようこそ。まもなく、《転移魔法》を発動します。繰り返します。まもなく――』


 

 そしてカウントダウンが始まった。


 『3』




 『2』



 『1』


 …………………。


 『転移魔法、発動』


 そして、まばゆい光に包まれた。

 

 





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