江蓮のふしぎな考察録2 ー暗闇のなかの推理ゲームー

桜咲吹雪

プロローグ

 真っ暗だ。


 なにも見えない。


 自分が目を開けているのか閉じているのか、それすらもよく分からないほどの、ひどい暗闇だ。

 無慈悲なくらいに、ここは静かでひんやりとしていて、そして暗い。


 きっとこの場所は、宇宙よりも暗いに違いない、ささやかな星の明かりすらないのだから。


 手のひらを自分の顔の前に寄せて、ひらひらと振ってみた。

 感覚では数センチ手前にあるはずなのに、どんなに目を凝らしてみても、やはりそれを肉眼で確認することはできなかった。


 ああ、まったく。


 何も見ることができない暗闇の世界にいること、それによって、こんなにも心許ない不安でいっぱいになるなんて、初めて知った。


 せめて…そう、一匹の蛍でもいい、ほんの少しだけでいいから、光がほしい。


 しんと閉じられた暗闇のなかに、くすくすと軽やかな笑い声がもれた。

 彼女が…エレンが笑ったのだ。


 今さらになって、この暗闇に不安を感じている俺の臆病さを雰囲気から見抜き、笑いを堪えられなかったのだろう、そんな笑い声だった。


 あるいは、夜目が利くという彼女の目には、マヌケな表情を浮かべてビクつく俺の顔が、実際に、この暗闇のなかでも見えたのかもしれない。


 俺の気を悪くさせないように、忍び笑いをしたつもりなんだろうけれど、それはコンクリートで囲われた壁や床に反響して、にぎやかに広がっていく。



 「なにも笑わなくたって」



 気恥ずかしさから抗議の声をあげると、彼女はもう隠そうとすることもなく、けらけらと笑いながら、ごめん、と言った。


 エレンは、俺のすぐ隣に立っている。


 手をのばせば、きっとすぐ触れられるくらい近くに。


 それは、彼女の声が発せられる位置と、気配の感覚から分かることだ。


 もちろん彼女の姿は、この暗闇のせいで、肉眼で見ることはできない。


 だけど俺の脳内では、どんな様子でエレンが楽しそうに、ちょっとだけ俺のことをからかった感じで、ほがらかに笑っているのかが、自然に映像として浮かんでくるのだ。

 きっと、現実との誤差はほとんどないと思う。


 おかしいよな、そんな自信を持っているくせに、俺はエレンの顔を、知らない。


 顔どころか、すぐ隣にいるこの女の子が、いったい誰なのかさえ、俺は知らない。



 「こうやって、顔をすこし近づけるとね」



 耳元で、エレンの声がきこえる。

 しっとりとした吐息が、微かに俺の頬をかすめていく。



 「私には、きみの表情が暗闇の中でも、ほんのちょっと見えるんだよ。

 うん、今、困った顔してるね、ふふ。


 ねえ、このゲーム、私のほうが断然有利でしょ?」



 そしてエレンの楽しげな気配は、俺からすこしだけ離れていく。

 それはまた暗闇の中にのまれていき、それでも手をのばせば捕まえることができる距離で、足を止めた。


 俺とエレンはゲームをしている。


 彼女は、エレンとは、何者なのか。


 彼女の提示する、ささやかなヒントから、俺はその答えをみつけださなければならない、そういうゲームだ。


 そしてその答えがみつからない限り、俺は、この暗闇の世界から、脱出することができない。


 

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