グータッチ
「悪いな。生徒会長になるっていう約束,守れなかった」
言葉とは不釣り合いに体をふわふわと風船ののように揺らして心からわびた。この無重力空間でなければ土下座でもしたいところではあるが,あまりにも滑稽な姿が想像されてやめておいた。
「なんで謝るの?」
そういう大介の顔は血が出てしまうのではと心配になるほど口元に力を入れていた。そうとうお怒りのようだ。
「そんな怖い顔すんなって。おれだって一生懸命やったんだよ。予想外のことが続いて,話の成り行き上仕方なかったんだ。分かるだろ?」
「だって・・・・・・」
固く結んだ口から辛うじて漏れ出たような声を大介は出した。様子がおかしいと思って大介の顔を見ると,蛇口を閉め忘れたお風呂のようにとめどなく涙が溢れだした。
「おいおい,勘弁してくれよ。人生始まったばかりなんだ。やり直しはきくし,生徒会長に立候補する機会なんてこれからいくらでもあるじゃないか。いや,そりゃあいくらでもって言ったら言い過ぎだけどさ」
あたふたしながら慰めの言葉をかけていると,蚊の鳴いたような声で大介は何かをつぶやいた。「何て言ったんだ?」と聞き返すと,大介は袖でごしごしと顔をぬぐって目を真っ赤にはらした顔で目に力を入れた。
「ありがとう」
「・・・・・・なんのお礼だよ。気持ち悪いな」
「ぼくのことをこんなに思ってくれる人なんて今までいなかったからさ」
そう言ってまた目に涙を浮かべた。なるほど。怖い顔をして怒り心頭だと思っていたけど,どうやら涙をこらえるのに必死だったらしい。紛らわしいやつだ。それに,別に泣くほどのことをした覚えはない。むしろ願いを叶えてやれずに申し訳ないぐらいだってのに。
「そんなんじゃねえよ。全く,泣いたり怒ったり忙しいやつだな」
「でも,仁は言ってくれたよね。仲良くしてくれって。ぼく,別に今まで友達がいないことについて何とも思っていなかったんだ。強がりでもなんでもなくて本当にそう思ってた。でも,仁が生徒指導室で話をしてくれた時,思ったんだ。ぼくは相良くんや常友さんや宮坂くんと仲良くできるのかなって。そんなことなんて今まで考えたこともなかったからとても新鮮だった。そして思ったんだ。みんなと仲良くできて,話し相手がいて,くだらないことで笑い合って,時にはけんかもするかもしれないど競い合う。それって,なんかとっても楽しそうだなって。ぼく,みんなと友達になりたい。仲良くなりたい。そんなことを思ったのっていつぶりか分からない。ぼくはいじめられて,見下されて,立場を上に見せるための踏み台であることに慣れていたから」
鼻をすすりながら話す大介の顔を見ていながら,違う,と唱えた。違う。そうじゃないんだ。礼を言わなければいけないのはおれのほうだった。
「あの日,おれを助けてくれたよな。あれは何でだったんだ?」
公園でのことだよね? と大介は首をかしげて考えた。
「なんか,ひどくやられた後で,体中が熱くてボーっとしててはっきり覚えていないんだよね。助けてもらったし,目の前で同じ目に合っている人がいたからかな? 考えて動いたわけではないから分からないや。それにしても,今思えばほんとひどいよね? なんでぼくたちボコられてたの?」
そう言って大介は楽しそうに笑った。全く楽しくない出来事なのに,大介にとっては大切な一コマだったのだろうか。そうだと嬉しい。
今度はおれの視界がぼやけてきた。
「何うるうるきちゃってんの? そりゃ感謝はしているけどさ。泣くほどのことは言ったつもりないんだよね」
大介はけらけらと笑っている。そういえば,大介は本当によく笑うようになった。初めに出会った時なんて,ミステリアスなところはあったけど,それ以上に表情がなくてとっつきにくくて,もやしみたいに覇気のないやつだったのに。それが,偉そうなことを言って楽しそうに笑っている。ついこの間あったのに,ずいぶん遠くまで一緒に来たような気分がした。
「ちげえよ」と大介の言ったことを否定した。ちょっとキザな言い方になったかな。まあいいや。大介の顔を見ていると,なんか細かいことはどうだってよくなる。
「お前さ,初めて会った時すげえなよなよしてたよな。陰湿だったし」
「何だよそれ。全く関係ないじゃん」
大介は少しふてくされた。
「そんなやつに助けてもらったなんて,笑っちゃうよな。でも,お前には本当に救われたんだ。全てがどうでもよくなって投げやりになっている時,笑えるくらいぼこぼこにされている奴がいたんだよな。あいつと一緒にボコられてもいいやって,最初は本当に軽い気持ちだったんだ。そのあとはどうにでもなれって感じでさ。リストラされたサラリーマンってあんな気持ちだよ,多分。」
でもさ,と続ける。
「あんだけ人数がいるんだ。そりゃ勝ち目なんてねえよな。やっぱりあいつらひでえや。容赦なかったし。案の定ボコられて,生きている意味ねえんだからこのままくたばっちまえ,って思った時に大介が現れたんだよ。現れたっていうか,死にかけの状態ではいつくばってたよな。今思い出しても笑えるぜ。おれよりも何倍も貧相で,もやしみたいな見た目の優等生が,社会のくずって言われてるおれのために身体を張ってるんだ。なんか知らねえけど,おれにも生きている意味ってのがあるのかなってほんのすこしだけ思えたんだ」
最後には人目もはばからず嗚咽が漏れていた。人目をはばかる必要がないのが幸いだ。大介も,同じように泣いていた。
「ぼくたち,戻っても友達だよね」
「当たり前だろ。てか戻れんのか? おれ。」
迷いなく言った。大介は泣きながら笑った。
「起きたら戻っているよ」
大切な人できた,おれ戻っても頑張るよ。なぜか,郷地先生のことが頭に浮かんだ。
大介が拳を突き出してきた。言わなくても分かるよね,という顔だ。
おれも拳を突き返した。
少年漫画のワンシーンのように,おれたちはグータッチを交わしてそれぞれの世界に戻っていった。
王の住む教室 文戸玲 @mndjapanese
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