予行演習
「声が小さい! なよなよしてると一票も入らないぞ!」
目の前にあるマイクを取って投げつけてやろうかと思った。
バスケットコートを二面,さらにバレーコートを取っても卓球部と剣道部が活動できるほどの広さの体育館に呼び出された。明日の生徒会選挙の演説に向けて予行演習をすると言ったのは大栗だ。個別に見てやる,と横柄な物言いだったが,案外面倒見のいいところもあるじゃないかと少しだけ見直したのは間違いだった。体育館の後ろにパイプいすを置いてふんぞり返るように座り,少ししゃべらせては「聞こえない!」と怒鳴り散らして初めからやり直させる作業の繰り返し。あいつのストレス発散に付き合っているとしか思えない。
こいつといても何も得るものはないと思ったおれは,原稿をもってステージを降りた。
「おい,もう終わりか? 能力もない,根性もない。結果はもう目に見えているな」
相手にしない,そう強く念じても身体は言うことを聞かなかった。
体育館の出口へと向かっていた足は,体育館の後方へと向きを変えた。
「お? どうした? まさか手を出す気じゃないだろうな。生徒会長になれるっていうのがとんだ勘違いだったと証明されるな」
わざと煽るように言っていいるのが分かる。手を出したらだめだ,そんなことをしたらこいつの思うつぼだ。そう分かっていても,もう止められない。自分では制御できない力が体の内側から湧き出してくる。気づいたらほとんど全力疾走で走り出していた。
絶対に手は出さない。
大介と交わしたあの約束は頭の片隅にもなかった。
「手を出すな!!」
体育館が震えた。少なくともおれはそう感じた。あまりの迫力に怒りを忘れて身体が固まった。声のする方に向けて,大栗は舌打ちをした。入口の方を見ると,郷地先生が仁王立ちしていた。
「お前の態度には付き合いきれない。あとは勝手にやれ」
そう言うと,大栗はパイプ椅子をもって立ち上がった。おれの横を通り過ぎるとき,「命拾いしたな」とじめじめした声でささやいた。
「いつからいたんだよ」
殴りこむような覇気で声を発したはずなのに,腕を組んでいつまでも入り口で仁王立ちしていた。たまりかねて入口まで歩いた。声をかけても,ぶすっとした表情で何も答えない。こうしてみると,本当に熊みたいな先生だ。
「止めてくれたんだろ。礼を言っておくよ。一応」
郷地先生はまだ何も言わない。いつまでそうしているつもりだと呆れかけた時,大きく息を吸って長く吐いた。肩で息をするとはこういう事かと目で見て分かるくらい,大きな肩が上下した。
「手を出したらだめだ」
郷地先生はさっきと同じことを言った。目つきだけはさっきと違った。
「どんなに考えていることが正しくても,想いが熱くても,暴力をふった途端に追い込まれてしまう。先生も誰も,守ってあげられなくなる。だから,絶対に人を殴ったりしたらダメなんだ」
郷地先生がおれを守ろうとしていることが痛いほど伝わってきた。でも,分からなかった。どうしておれが,大介の見た目をした大人しいいじめられっ子だったはずの子どもが狂暴になると感じとれるのか。どうして守ってくれるのか。
「自信を持て。君は成長している。攻撃的で,誰のことも信用していないような眼をしていたけど,大切な人が出来たんだろ? 腹を割って話をする人が出来たんだろ? 入学した時から,さみしい目をしていた。自分は独りぼっちなんだって。退院したと思ったら,今度は荒々し目をしていた。何があったか分からないけど,中学生っていうのはいろんな意味で不安定だ。でも,大きく成長する時期でもある。今の大介君の目には,寂しさはほとんどなくなっている。いい出会いがあった証拠だ。たまに怒りに満ちた目を浮かべそうなときもあるけど,その時は思い出すんだ。自分には大切な人がいるっていう事を。それだけで人は立ち止まれる」
郷地先生の言葉には説教臭さはなかった。それどころか,清らかな,まるで不純物の含まれていない湧き水のように言葉の一つ一つがしみわたっていった。
おれには大切な人がいる。腐れ縁だけど,大介がそうだ。おれは大介の希望を守りたい。死にかけなのに,ゴミくず同然で価値のない人間だと思っていたおれを守ろうとしてくれた。おれはあいつに報いたい。だから生徒会長に立候補した。
常友だってそうだ。頑張りたいおれを応援してくれている。おれの周りには,大切な人がいる。
もう同じ失敗はしない。感情のままに見境なく動くのはやめよう。赤坂仁として,おれは強くありたかった。自分の強さを証明するために体を鍛えた。見栄を張った。力で服従させた。振り返ってみたら,誰もついてきていなかった。味方だと思っていた数人は,殴られるのが怖かっただけだった。
郷地先生はおれを見た。おれの目の,奥深いところをのぞき込まれている気がした。そして,深くうなずいた。
「もう大丈夫だな」
そう言って満足そうにうなずくと,体育館を後にした。
おれは,決して振り向くことはないと分かっていても,去っていく大きな背中にいつまでも深く頭を下げていた。
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