フラッシュバック


 無意識は身体が一番心地よい状態だと聞いたことがある。だから眠るのは気持ちがいいし、寿命で亡くなる人は安らかな顔をしているのだと、テレビ画面の中の専門家は知った風に言っていた。綺麗を言うなと画面を蹴り上げたくなった日のことが、なぜか夢に出てきた。


「ほら,そろそろ起きないと遅刻しちゃうわよ」


 体の弱そうなおばさんに揺り動かされ,無理矢理覚醒させられる。意識を強制的に戻されると何よりも腹が立つ。その点、無意識が最も心地よいというあの専門家が言うことは間違ってはいないのだろうと身をもって気づかされる。いつまでも身体をゆすり続ける大介のおばさんを叱り飛ばしてやろうかと思ったが、これからのことを考えてぐっとこらえたややこしい問題を増やしたくない。


「ちょっと疲れているんじゃない? 今までこんなに寝起きが悪いこともなかったし。最近帰りも遅いけど、大丈夫なの?」


 ベッドから身体を起こすと心配そうに顔を覗き込んで矢継ぎ早に話しかけてくる。身体の弱い一人息子が暗くなるまで帰ってこないのだ。心配するのも無理もない。それでも、どこに行っていたのだとか,誰と一緒にいたのだとかを問い詰めてこないところは母親なりの気遣いや優しさの表れだろう。そんなことに気付いていながらも,もともと寝起きの悪い俺はつい荒い口調で答えてしまった。


「関係ねえだろ。ほっといてくれよ」

「・・・・・・そうね,元気で過ごしてくれていたらそれ以上何も望んでいないわ。健康にだけは気を付けてね」

「分かった分かった。準備するから出て行ってくれる?」


 背中がむずがゆくなるぐらい愛情に満ちた言葉だった。子供から口答えをされたら腹が立つだろうに,こんなにも理解のある大人はそうはいないんじゃないかと思う。おれならわがまま放題でもっとろくでもないやつに育っていただろう。大介のように育ったのは,母親の教育方針というよりは本人の持っている遺伝的なものが多いに違いない。

 待てよ,と部屋を出ていくおばさんの背中を見ながら考えた。本当に大介の母親はもとからこんなに子供の言葉を尊重する大人だったのだろうか。「健康だったらそれ以外は望まない」という一言が,頭のどこかに深く引っかかっていた。



「大介とおれが初めて出会ったのは,おれが意識不明で入院をしていた時だったよな・・・・・・」


 声に出して呟いてみると,考えが次から次へと浮かんできた。大介の身体を借りているから,頭の回転も多少は良くなっているのかもしれない。

 あの日,何があったんだっけ。何もやることがなくふらふらしていると,公園で何人かの中学生が集まっていて,いや,高校生ぐらいのやつもいた。日が沈んで街灯であたりが照らされるだけの薄暗い時間で,顔の表情ははっきりとは見えなかった。ただ,嫌な雰囲気だったのは見ていてすぐに察した。そういうことに対する嗅覚は人一倍強い自信がある。くだらないことを考えていたり,だれかを傷つけてやろうとするやつはそれだけで独特な,軽いんだけどまとわりつくような深いな雰囲気を持っている。

 忘れかけていた記憶を,糸を手繰り寄せるようにゆっくりと思い起こしていると,そのときいた連中の顔があの時の情景とともに脳裏に照らし出された。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「なあ,何やってんだよ。おれも混ぜてくれよ」

「誰だよお前」


 薄暗い公園の,大きな木が生えたさらに暗い場所で,一人の中学生を取り囲むようにして何人かが立っていた。後ろから声を掛けると,一番体の大きな男がわざと太くした声で返事をした。身長は一八〇センチは優に超えているだろう。近くで顔を見合わせると首が痛くなるに違いない。輪になっている人数を順番に数える。全部で七人。中央でうずくまっている中学生は,明らかに喧嘩とは無縁そうなガキだった。土まみれの制服を見る限り,すでに相当引きずりまわされた跡であることが想像できる。この人数で,もやしのように華奢な男を袋叩きにしていたのだと思うと,胸糞悪くなった。


「誰だって聞いてるんだよ。聞こえてないのか?」


 低く,しゃがれた声をした男が下あごを突き出すような表情で近づいてきた。威圧しているつもりだろうか。その作り出された声と,下手な俳優が極道を演じるようなしゃくれた顔を見て思わず噴き出した。


「何を笑ってやがるんだ!」

「いや,イキってるなあって思って。猪木のものまでしちゃって可愛いね。外野のみんなにコールをお願いしてたら完璧なのにね」


 煽りに食いついてくるのを待っていたが,言われた当の本人は何を言われているのか分かっていない様子だった。物わかりの悪い奴だと呆れて,イノキ,ボンバイエと節を付けて歌ってやると,目を真っ赤にして掴みかかってきた。


「てめえ,強がってんじゃねえぞ!」

「七人もいるんだからな。しかもたった一人をいじめる極悪非道なやつらだ。強がってないとやってらんねえだろ」


 回ってきた右腕を,肘を押し込むようにしてそのまま流した。体勢が崩れたつんのめりそうになっところに,思いっきり膝蹴りを食らわせてやった。まるで漫画のようにうまく決まると,今度は本物の低いうめき声をだして,猪木はそのまま地面にうずくまった。


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