不安な表情
態度の悪い大人に立てついた。気分は悪かったが,それでも満足のいく一日ではあった。「生徒会長になる」という約束へ一歩前進と捉えて十分だろう。
急いで帰宅をして,食事と風呂を済ませ,学校でのことを報告するために眠りについた。いつでもどんなところでもすぐに眠りにつけるのが特技だ。眠くなくても底なしに眠りにつけるため困らされてばかりだったが,まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
「言ってやったぞ。それにしても,胸糞悪いやつらだな」
「見てたよ。スカッとした。それより,戦略とかはあるの?」
「戦略? 堂々と正面突破だよ。どうせ難しいことはできないんだから」
「そんなこと言ったって,演説とかいろいろしないといけないんだから,どういう学校にしたいとか,どんな公約を掲げるのかとか,それぐらいのことは考えておかないと」
げんなりしてきた。やっとゴールが見えてきたと思ったのに,次から次へとやることが降ってくる。
「で,どうすればいいんだ? おれは原稿とか書けないからな」
投げやりな気持ちになってきた。椅子に座って黒板に向かっているだけでも苦痛なのだ。それに加えてノート訳の分からない呪文のようなものが書かれた黒板の文字を書き写して提出する。それだけでも労われるべきにも関わらず,賢く見せるためだけに身に付けているマルブチ眼鏡の岡野とかいう数学の教師は,「ナンセンス」だね,とか訳の分からない言葉を呟きながらノートを突き返してきた。
やたらとずり落ちる眼鏡を人差し指で押し上げるしぐさをしながらにやにやしている。岡野を睨みつけて席に戻りながらノートを開くと,そこは赤ペンでぎっしりと修正がされていた。しかも,腹の立つことに,岡野が修正したのは数学の解答ではない。それはそうだ。はなから分からないのだから,黒板に書かれた記号をそのまままに移しているのだから。岡野だ訂正しているのは,算用数字の1と7の区別した書き方だとか,3がつぶれて8に見えるといった字の書き方だ。
振り返って岡野を見ると,まだこちらを見てニヤついていた。その三日月型のスケベな目が団子のように膨れ上がるほど殴りつけてやりたいという衝動にかられたが,そんなことをしてはこれまでの苦労が水の泡だ。賢く生きるとは自分を殺すということなのか,だったら頭の悪いままでいいと思うものの,今は自分の精神で会って自分の身体ではない。まずは自分の身体を取り戻すのが先だと言い聞かせ,握った拳をポケットにしまった。
「あほかお前。お習字の先生にでも転職しやがれ」
岡野は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして突っ立った。あのスケベな顔よりかなりましだが,それでも思い出しただけでも腹が立つ。
大介は微笑を浮かべながら気持ちよさそうに浮かんでいた。何をわらってやがんだ,と詰めよろうとしたとき,この男はおかしなことを言いだした。
「原稿? 仁が読む原稿でしょ? 自分で考えなくてどうするの?」
頭に血が上ってくるのがわかる。震えるほど腕に力がこもった。
「黙って言うこと聞いてりゃ・・・・・・てめえぶっ殺してやる!」
大介の胸ぐらを掴みに駆け出した。とっちめて,一発ぶんなぐってやる。自分の立場を利用して好き勝手言いやがって。どっちが上かを教えてやらないと今後さらに横暴なことをいいかねない。こんな関係はもう終わりだ。
だが,思いとは裏腹に大介との距離は一向に縮まらない。しまいには大介が腹に手を当ててけらけらと笑い始めた。
「カエルが泳いでいるみたい。チンアナゴの方がうまく泳げそうだね」
「何を言いやがる!」
必死で足をバタバタさせてはいるものの,どうもこの無重力空間には慣れない。平泳ぎのように空気をかき分け足を曲げ伸ばししても,一向に前に進まない。時には後ろに下がってしまう始末だ。
「スポーツ,苦手なんだね」
「何言ってやがる! スポーツテストはいつもトップだ。お前やチンアナゴみたいに,根性のない奴はクラゲよりも上手にプカプカ浮かべるかもしれねえけど,おれはそういうのは性に合わねえんだよ」
「じゃあ,現実世界ではチンアナゴに勝てるの?」
もちろん大介は宮坂のことを言っている。おれとあいつのやりとりを知っているのだろう。
「見ていたんだろ? どうみてもおれの圧勝じゃねえか。サポーターがいたらリングにタオルを入れているだろうな。あの相良ってやつは宮坂を守るタイプじゃなさそうだけど」
ふと,気になることが思い浮かんだ。
「どうして宮坂なんだ? どう考えても,あのクラスで,いや,あの学校で頭を張ってるの相良だろ?」
すごいね,と大介はでこにしわを寄せて言った。本当に驚いているみたいだった。そして,背筋を伸ばして襟を整えた。。
「やっぱりわかるんだね,そんなに長い時間を過ごしたわけじゃないのに。仁の言う通り,みんな相良くんには逆らえない。同級生も,先輩も,先生でさえもね」
そして,と大介は続けた。
「相良くんは,宮坂くんに生徒会長に立候補するように指示を出した。きみは彼に勝たないといけない。できるよね」
不安そうにも試すようにも見える表情で大介は言った。
あたりまえだろ,なぜかおれはそう答えていた。大介のつかみどころのない表情が少しだけ引っかかった。
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