二章 第四話「日陰の勇」
研究部の敷地内に建てられた巨大な箱のような部屋の中。
暗闇から解き放たれたエルキュールたちの前に現れたのは、正体不明の銀色の円盤であった。
薄く平たい造形と金属を繋ぎ合わせて造られたであろう筐体は、魔動機械に感心があるエルキュールの琴線に触れるものではあったが。
事態はそう楽観視できないものであった。
「おっと、こちらに向かってきておるな」
「危ない……って、一体何ですかこれは」
空気を切り裂く飛翔音と、何かしらの駆動音を鳴らしながら高速で迫るそれを、エルキュールは訳も変わらずに躱した。
正体は何か。攻撃する意志があるのか。なぜ飛翔しているのか。どんな理由でここにいるのか。
戸惑うエルキュールには何一つ知れず、オーウェンだけが妙に楽しげであった。
「クラウザー執行部長、どういうことですか? 魔動機械なのでしょうが、なぜ俺たちを」
「正体不明ノ魔素反応ヲ感知。侵入者デアル可能性ハ依然トシテ高イ」
「魔素反応っ――」
その抑揚のない音声を聞いたエルキュールの思考は、瞬く間に最高速へと達した。
円盤型の形状や一方的な音声を考えると、やはりあれは魔動機械に間違いない。そしてエルキュールら二人を、というよりもエルキュールに対し「侵入者」だと見做しているようだ。
恐らくはこの場所の警護ないし安全確保を目的として造られた可能性が高いが、問題のなのは円盤が発した魔素反応という言葉の方だ。
魔人であるエルキュールは、その身体に物質には至らない純粋な魔素質を有している。生命活動に必要なコアも、むろん魔素から成る。
魔動機械の反応がそれに由来するものだとすれば、正体を隠すエルキュールにとっては大変都合が悪いことだった。
魔人であることが露見し敵意を向けられ命を脅かされるのならまだしも、人の伝手を頼ったアマルティアとの戦いに支障が出るのは避けたい。
「クソ……どうすれば」
幾度となく飛びかかってくる銀の円盤を避けながら、エルキュールは状況を打破する術を探した。
この魔動機械に殺傷能力はないが、明らかに研究部の成果であるものを破壊するのも気が引ける。
エルキュールが途方に暮れていると。視界の端で何かが動いた。
「おやぁー? あなたたちはー?」
間延びした声を発し、人影がエルキュールらの方へ歩いてきていた。
野暮ったい茶髪に眼鏡をかけた、物腰柔らかな男性である。
青い制服をだらしなく身につけ、さらにその上から白衣を羽織っていたが、痩せこけた体格では不釣り合いの印象が強い。
「いたのか、ローリー」
「うん、いたけども、少し眠ってしまっていたよ。それで……ああ、そこで見回りくんと戯れてるのが……」
「この度、デュランダル作戦執行部に臨時で加わることになった。特別捜査隊所属のエルキュール・ラングレー隊長だ。ここへは大まかな研究部の紹介を行うために参上した」
「……なるほどねぇ。あっと、そうだ、飲み物は……今はエスピリト霊国産のハーブティーしかないんだけど、これでも構わないかな?」
「む、率直に言うと趣味ではないが、まあよい。エルキュール殿、こちらが研究部部長のローリー・ウィズダムだ。奇特な人物だが宜しく――」
「……はいこちらこそ宜しくお願いします。しかし早くこの魔動機械を止めていただけると助かるのですが」
そっちのけで談笑され、尚且つこの事態には触れぬまま話を進める二人にエルキュールは冷たく言い放つ。
オーウェンとローリーは頓狂に顔を見合わせた。
「あちゃあ、忘れていたよ。ごめんねエルキュールくん。ただ、生憎その見回りくんを止めるための装置はまだ完成していないんだ。だから魔素反応を起こしている原因を、あなた自身で解決してもらうほかないかな」
「原因って……」
原因、即ちエルキュールに宿る魔素質。それをここで断てと、この男は言っているのだ。
狼狽えるエルキュール。けれどもローリーはそんな事情を微塵も知ることなく、穏やかな笑顔で慄く魔人を指差した。
「ライト。出しっぱなしだよ」
「あ……」
エルキュールの口から呆けた声が出る。驚きに満ちた視線を下に向ければ、白金の魔素で光る自身の右手がそこにあった。
暗かった室内を照らすために、確かにエルキュールは光魔法を放出していた。
右手を握るようにしてライトの光を消すと、円盤の激しい動きは突然制止し、それからゆっくりとローリーの手元へと帰っていった。
「ふう……攻撃魔法でもないのに反応するなんて、まだまだ見回りくんにも改良が必要なようだけど。今はあなた達の用事を優先しないとねぇ、流石に総帥に怒られちゃうよ。はい、ということでこっちに座って座って!」
頼りない恰好をしているが、思いのほか溌溂な態度で、ローリーは来客に着席を促した。資料の束と埃で汚れた机に、足が曲がってしまっている木製の椅子。
奥の方に備え付けられた台所に食器を取りに行くローリーを眺めつつ、二人はゆっくりと着席する。
隣に座るオーウェンと一定の距離が空いているのを確認し、エルキュールは盛大に息を吐いてみせた。
先刻の状況。これがもしヒトだったら「心臓が止まるかと思った」などと言うのだろうか。
綺麗に背筋を伸ばしたオーウェンは、若干光を失ったエルキュールの琥珀の瞳を見据える。
「申し訳ない。拙者もあのようなからくりがあるとは知らなんだ」
「……いえ、特にあなたから謝られる筋合いはないかと。それより、あの魔動機械は研究部長が手がけたものなのですか?」
「恐らくは。彼は王国屈指の魔動技師にして、魔物の研究家、デュランダルの心臓と称してもいいほどの天才だ。以前、魔物を感知できるからくりを制作していると聞いた事があったが、もう形になっているとは」
「そうでしょうけど……魔法と魔物に含まれる魔素の違いを判別できないようでは、完成も難しいでしょうね」
「そうそうエルキュールくん、まさにそこなんだよー」
先ほど失態を見せてしまったことへ対する強がりのつもりだったが。あまり聞かれたくなかった内容を、見事その聞かれたくない本人に拾われてしまった。
立ったままローリーが笑う。手に持った木製の板の上には、やけに上品な装飾のティーセットが乗っている。
本当に間の悪い男だと、エルキュールは眉をひそめた。その内なる心情を悟ったか、向かいに腰掛けたローリーは「気にしないで」と軽くを手を振って宥めた。
「むしろ鋭い指摘を遠慮なしにぶつけられて嬉しくなっちゃったよ。魔物との戦闘場面はもちろん、見回りくんの場合は騎士と連携して哨戒させることを考えると、さっきみたいに魔法に反応してしまうのは確かにとても不都合なことだ」
眼鏡を指で直しながら、ローリーは真面目な顔で言った。
そもそも魔人であるエルキュールの身体にも反応してなかった以上、彼の言うこと以前の問題だとも思ったが。暴露するわけにもいかないのでエルキュールは黙って同意を示した。
「それでも、実現したら便利そうではあります」
「うん。自律型の魔動機械の研究は、今の時代とても注目を浴びている分野だ。従来の魔除けの技術や防壁は、街の周りに設置するようなものが多いけど、最近では効果が薄い。アマルティアの活動と魔獣の異常活性を見れば明らかなことだけどね」
深刻な声に、忸怩たる思いを滲ませるローリー。対するエルキュールも沈黙する。
騎士や戦闘員が前線で苦い思いをしているのと同じように、研究職である彼も無力感に苛まれているのだろう。
「魔動機械は壊れても代えがきき、魔物の汚染を受けない。その上、人間が活動できないような環境にも対応できる。完成すれば、より多くの人を救える技術なのにねぇ……」
机上にあった円盤、もとい見回りくんを撫でるローリーに、エルキュールは反省の色を露わにする。動転していたとはいえ、今まで彼に対し若干冷たい態度を取ってしまっていた。
そのことを告げると、たちまちローリーの顔にも笑顔が戻った。見回りくんを近くの棚に乗せてエルキュールらに向き直る。
「寝てしまって作れなかった停止装置はこの後すぐ用意するとして……いい加減に本題へ移らないとね」
「忘れていなかったようで何よりだ、ローリー。このハーブティーだけで長居するのは、少々気が進まない」
「あちゃあ……でも、確かに薬っぽくて今一つかも?」
冗談を交わし、伸び伸びと笑い合う二人。
一方でエルキュールのカップだけは既に空になっていて、それがまた可笑しかったのか彼らはまた騒ぎ出した。
エルキュールが本題に入るように急かしてようやく、両者は落ち着きを取り戻したのだが。
この二人を放置しておくのは良くないと、初日にして学んだエルキュールであった。
「じゃあ、まずは専門的な話を省いて軽く説明するよ。ここ研究部では主に二つの研究が行われている。一つは新たな魔動機械技術の研究、そしてもう一つが魔物の生態に関する研究だ」
オーウェンから聞かされていた情報と照らし合わせて、エルキュールは頷く。
前者は既に直接目の当たりにしたことだが、後者については未だ不明な点が多い。
そのことを告げると、ローリーが得意げな顔を浮かべた。眼鏡が反射して少し眩しい。
「実はエルキュールくんに伝えたかったのがまさにそれなんだ。ここ一週間、僕はヌール=ミクシリアの変で起こったことを事務部から聞いていてね。その結果、魔物研究においてある成果が得られたんだよ」
「成果……魔物について何か新たな発見が?」
思いがけなく希望を感じさせる言葉にエルキュールの声が無意識に弾む。
アマルティアの打倒を除けば、それはいまのエルキュールが最も求めていた情報であった。
たとえばアランとの接敵の際に、エルキュールとその他魔物の間に感じた違和感。本能とも称されていたことについて。
もしくはディアマントが言っていた魔王なる存在。闇の大精霊と同じ名を持つそれは、アマルティアとも間違いなく関りがあることだろう。
今となっては、それについて知ることが自身の運命であるとさえ、エルキュールは感じていた。
その先でこそ、アマルティアの脅威を払い、自らを肯定できると、そう固く信じていたのだ。
期待に満ちたエルキュールの視線。
それを受けたローリーは嬉しそうに頷き、言った。
「成果というのはね……魔物がなぜリーベを汚染するのか。汚染はどのような過程を経て行われるのか。それらの問いを解く、ある種のカギみたいなものだよ」
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