一章 第三十八話「忍び寄る者 後編」

 サロンルームを抜け、右翼へ続く階段を目指してマクダウェル邸の中庭へ向かう。


 程なくして外へ通じる扉まで辿り着くが、ロベールはそれに手をかける前に、一旦そばに設えられた窓から外の様子を窺った。


 ガラス越しに見通す先、広い中庭の花園にはやはり彼の予想通り先客がいた。


 おぞましい魔素質の光を放ちながら闊歩するは、リーベの種にみられる愛らしさの欠片もない兎型魔獣。

 こちらは今まで戦ってきたものと同種であるようだが、中にはそうでないものも含まれていた。


「あれは……まさか栗鼠りすか? ミクシリア近辺はおろか、オルレーヌ全土でも生息数は少ないはずだが……」


 見慣れないその種の姿に、思わず声が漏れる。


 栗鼠と言えばスパニオの森林地帯を主な生息地とする小型のリーベであり、触り心地のよい毛並みと大きくて愛くるしい尻尾が人々の人気を博している種でもある。


 もっともイブリスとなった栗鼠型は、その毛に目が眩むような魔素質の光が混じり、可愛らしかった小型の身体も醜く肥大してしまうのだが。


 元来のつぶらな瞳は不気味な魔素の単色のみを映し、木の実を拾い集めて暮らすその習性は目の前にいるリーベを汚染することへの衝動に塗りつぶされてしまっている。


 目の前の栗鼠型はその種の珍しさで以て、長らくロベールの意識に上らなった魔獣の姿形のおぞましさというものを、この上なく効果的に伝えた。


「見える範囲だけで兎が四体に、栗鼠が二体……開けた中庭で相手をするのは望ましくないな。とはいえ、放置するのも危ういが」


 計六体――並の魔法士ではまず一人では相手にできない数だが、ロベールは怯むことなく冷静に思考を巡らす。


 別の窓からも外の様子を観察し、丁寧に、そして正確に魔獣の位置を把握していく。


 分析を終えたロベールは、やがて中庭へと続く扉を徐に開けた。


 敵の戦力を分析したところでいよいよ戦いを仕掛ける、というつもりでもないようで、彼は庭の芝生へと腕を突っ込み、手ごろな石を一つ持ち帰っただけで、またすぐに扉の影に身を隠した。


「ふむ、これで良いか」


 それから片手に握ったそれに渾身の魔素を込めると、再び扉の向こうに放りこんだ。



 魔獣の中には強い魔素に反応するものも多く、その内に高濃度の魔素を含んだ魔鉱石を採取する鉱山は、この世界で最も魔獣の被害を受ける場所の一つだとされている。


 いましがたロベールが魔素を込めた石ころは、魔鉱石の代替品とも言えよう。

 少し魔素を込めただけではその表面に微かな魔力を宿すことしかできないが、その慎ましさが今ではかえって効果的に働いた。


 一体。淡い魔素につられた兎型がロベールの前に姿を現す。放られた石に歩みより、不思議そうに鳴き声を発する魔獣を尻目に、ロベールは悟られぬよう静かに詠唱を紡ぐ。


「突風よ――エアシュート」


 兎型の額にある小さなコアを正確に、確実に撃ちぬけるよう、ロベールは通常よりも圧縮した風の塊を片手に生成する。


 より小さく、より強力に編まれた風の弾丸は、空を切り裂くが如く鋭さで放たれ、コアごと兎型の頭を撃ちぬいた。


「ギギ……?」


 中庭にいた他の魔獣の一体が、先の魔法の残滓に反応して声を上げる。

 ロベールが息を殺して窺っていると、庭にある植え込みの中から栗鼠型がのこのこ姿を見せる。


 その魔素が今しがた同朋を討った魔法の名残であるとは思わないのだろう、魔獣は頻りに辺りを見回すが、扉の裏に潜むロベールにまでは気付かない。


 こうして連鎖的に一体ずつ、確実に、かつ速やかに魔獣を倒していく。知能が低い魔獣にしか使えない手段ではあるが、一人で片付けなければならない今ではこの上なく有効に機能した。


 最後に残った栗鼠型の腹に魔法を撃ちこみ、その完全な沈黙を確認したところでロベールは一つ静かに息を吐いた。


 庭に蔓延っていた魔獣は六体。ここまでに接敵したものを合わせれば十体にも及ぶ。

 最初の目算によれば今ので三分の一を倒したことになる。


 自身の疲労具合に気を配りつつ、再度なかに魔獣がいないかを確かめる。魔獣は基本的にその戦闘力自体は大したことないが、二体以上の群れを組んで行動するのが特徴である。


 そしてどんなに力の弱い魔獣が相手だとしても、下手を打って汚染を受ければ魔人になることは避けられない。


 ゆえに武術も魔法も勿論のこと、こうした慎重さも対魔物においては非常に重要視される。特に数で劣っているときはそうだ。


 このロベールの保守的な性格はある一面においては騎士団内の記憶の改ざんを助長させてしまったが、ある面では確かに己と仲間の窮地とを幾度となく救った美徳でもあった。


 中庭を抜け、東棟へ。棟の中央にある上階へと続く階段は、白い大理石と焦げ茶色の手摺が好一対であった。


 階段前に一体、踊り場に二体の栗鼠型魔獣がたむろしていたが、これを難なく処理。

 三階建ての構造ゆえに階段をさらに上に続いていたが、ロベールは当初の目的通りに二階のマクダウェルの書斎を目指した。


 東棟を南へと進み、程なくして突き当たりの部屋に着く。

 無駄に豪華な装飾が施された扉を僅かに開け、中の様子を隙間から見やる。薄暗い室内の端に立ち並ぶ本棚、ロベールの執務室にあるそれよりも一回りも大きい長机に、微かに香る本の匂い。


 魔素感覚でも探ってみたが、中に魔獣がいる形跡は認められなかった。


 部屋の近辺にも同じく魔獣の姿はなし。ロベールはするりと部屋に入ると、内側から錠をかけた。


「よもや大貴族の当主の部屋に無断で足を踏み入れることになるとはな……」


 それは一昔前では考えられない行為であった。今ではブラッドフォードの力もあって、古来から閉鎖的だった貴族社会にも司法の光が当たるようになってはきているが。非常時とはいえ、正式な手続きを踏まずに家探しするのは、やはりどうしても気が引けた。


 幾ばくかの葛藤を抱え、ロベールは広く暗い室内をライトの明かりを導に進む。


「彼の机は……これか。随分ものが散乱しているのが気にかかるが、掃除の余裕がなかったのだろうか? まあよい、ふむ……この辺りは王国議会での資料か。『平民の課税の強化』『王都の防衛騎士の増加』……どれも氏が議会に提出した議案だ。して、こちらは『対魔獣における騎士団編成の縮小』『デュランダルの活動の規制』……? どれも私に覚えがないということは、未提出の議案のようだが……」


 ロベールはこめかみを押さえた。

 騎士の増加を求める一方で、魔獣に対する戦力を減らそうとしているようにしか見えない議案。

 一見して矛盾する両者に頭を悩まされる。


「……む、議会に関する資料の他にもあるようだ。これは……納品書? 『犬型魔獣の牙』『鳥型魔獣の羽』……なるほど、収集用の魔獣素材といったところか。趣味の悪さもそうだが、相変わらず彼のガレ遣いは荒いようだな。こちらの愛玩用の小型リーベも合わせれば、一回の会計で平民が半年に稼ぐガレすら遥かに上回っている。とはいえ、これはあまり関係が――」


 思わず目を見張る値ではあるが、所詮はただの買い物の記録。この状況に関連するものではないと、適当に流そうとしたロベールの口が止まる。


「……これは」


 そして、一瞬にしてその顔が引きつる。

 彼の視線の先には納品書に書かれた商品の品目が書かれていた。


 愛玩用の兎が十体、同じく愛玩用の栗鼠が二十体。計三十体。どこか覚えのある名前と数字に、ロベールの息が詰まる。


「愛玩用リーベ、魔獣の素材……待て、まさか……いやしかし、そんなことが……」


 兎はまだしも栗鼠などこのオルレーヌでは滅多に見ることができない希少な種。ゆえにそれをオリジナルとした魔物が半ば廃墟と化したこのマクダウェル邸にいることには、以前から疑問を持っていた。


 しかし、この納品書の情報から察するに、そのオリジナルとなったリーべは恐らく王都が襲撃される前からここにあったものと思われる。


「私が先に倒した魔獣は、元来ここで飼育されていたものと同一と見るべきなのだが……果たして何があったのか。汚染の経路は? そもそもそれらの元となった魔物はどこに? 汚染が起きたのは事故か、それとも――」


 様々な憶測がロベールの頭を飛び交う。しかし未だ想像の域を出ない事ばかり。さらなる判断材料を求め、ロベールが長机周辺から移動しようとしたその時だった。


「……オオオォ……ォォ」

「――けて――くれ!」


 暗い谷底から響くような不気味な雄叫びと、何かを叫んでいるような声が、室内の窓から漏れ聞こえてきた。


「なに……!?」


 前者はともかく、後者は明らかに人によるもの。その事実に驚愕を露わにし、ロベールは急いで窓を開いて外の様子を窺う。


「オオオォ!」


 今度ははっきりと聞き取れるようになったその声がするのは、丁度ロベールが通ってきた中庭の方からで。

 疾駆する二足、特徴的な咆哮とやけに大きいその影を加味すると、十中八九魔人であろう。


 珍しい魔獣だけに留まらず、遂には魔人までも姿を現した。立て続けに起こる異常に改めて辟易させられるが、生憎と事態はより深刻だった。



「止めてくれ、レイモンド! ボクが分からないのか!?」


「あれは――」


 その前方にいるもう一人の影。


 泣きわめくような声を上げる彼は、もう一つの影から逃げるように先を走っていた。


 今まさに、一人の人間が魔人に襲われている。二つの影の間が、徐々に狭まっている。


「ちっ……一体、何が起こっているのだ!?」


 ロベールの悲痛の叫びに答える者もなければ、彼には説明を受ける時間も残されてはいなかった。


 騎士として、いま目の前で潰えようとしている命を救え。


 怯む身体に誓いを刻み、ロベールは窓枠に手をかけると、その身を勢いよく空へと投げ出した。


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