一章 第三十七話「忍び寄る者 前編」

 ロベールがマクダウェル邸を訪れるのは何度目の事だろうか。


 オスマン家とマクダウェル家。どちらも古くからある家系であり、王国騎士団の運営には王国議会の決定も関わってくるという関係も相まって、懇親という名目で招待を受けたことも往々にしてあった。


 仕事の都合上、中々実家に帰ることができないロベールにとっては、自分の家と同じくらい見慣れたものであるのだが。


 邸宅の内部に入ってまず最初に目に入ってきたのは、臙脂えんじ色の絨毯じゅうたんでも、廊下の脇に飾られた無駄に高そうな壺でも、誰とも知らぬ者の肖像画でもなかった。


「ギギギ、ギィ!」


 玄関間に放たれていた色とりどりの魔素質を放つ兎型魔獣。

 扉を開ける音に反応して飛びかかってきたそれを、ロベールは左手に携えた巨大な長方盾ちょうほうだてで防いだ。


「やはり魔獣か……!」


 的中した予想に眉を歪めるが、すぐに意識を戦闘態勢へと切り替える。


 すぐさま盾と共に身体を前に突き出して魔獣を弾き飛ばす。

 そして宙に舞うその小さな身体が地に落ちるより先に、ロベールは素早く攻撃魔法を詠唱した。


「来たれ、荒れ狂う風の暴刃――ヴェント・スカーレ」


 風の魔素で編まれた幾数もの刃が兎型の額に位置するコアを切り刻む。

 瞬く間に心臓部を失った魔獣は、断末魔を上げる間もなく魔素の塵と化した。


 身を覆うほどに巨大な盾から顔を出し、残敵がいないかを確認する。


 一先ずこの玄関間付近にいた魔獣はあの一匹のみだったようで、ロベールは深く息を吐いて盾の構えを解いた。


「いきなり襲われるとはな……どういうことなのだ、これは? 随分と荒れているようだが」


 それはざっと見ただけでも自ずと分かるほどの様相であった。


 構造はもちろんロベールの記憶にあるものとほぼ変わりはないのだが、とにかく床も壁も破損が激しいのが目についた。

 絨毯には所々に引っかき傷のようなものが付けられており、端に飾られた壺に至っては無残に割られてしまっていた。


 廃墟という二文字がこれほど似つかわしい光景もそうそうないだろう。


 人の住んでいる気配がまるで感じられず、一見すると無駄足だったようにも思えるが――。


「妙だ……何故ここだけがこうも魔獣の被害を被っている? 中央区は他の街区と比べても被害が軽微……即ち侵入した魔獣の数も抑えられているはずなのだが……」


 依然として残る違和感に、再び魔素感覚を研ぎ澄ませて辺りを調査する。


 すると先ほど家門の前で探った時よりもさらに強く、さらに混沌とした魔素が屋敷一帯に渦巻いているのが感じられた。


「少なく見積もっても三十といったところか……ふん、馬鹿げているな」


 悪態をついてみるが、それがロベールの率直な目算であった。


 今までの各所からの報告よると、街を繰り返し襲撃している魔獣はいずれも複数の種類を交えた十前後の群れであるそうで、それと比較してもやはりこの場にいるとされる魔獣の数は異常だった。


「あくまでも計算に過ぎぬが、これでは何の備えもない人間が無事である可能性など露にもないだろう」


 記憶の改ざんを行ったと思しきエリックという執事風の男、その死の前にヌール伯と出会っていたルイス、そして騎士の移動を仄めかしていたビル。


 彼らと接触することで、この襲撃の意図やアマルティアの動きを深く知ることができると踏んでいたのだが。


「無駄足か……? 否、断ずるには尚早だな。そもそもここに魔獣がいること事態、極めて異常なのだから」


 ロベールはかぶりを振り、逸る思考を留めた。


 当初の目的が叶うかどうかはさておき、この魔獣を放置するなどあり得ないことだ。

 そうと決めれば、手早く魔動通信機を取り出し、外にいる部下にこのまま調査を続ける旨を連絡する。


 先ほどの魔獣と接敵した感触を踏まえても、やはりこの入り組んだ建物内を集団で動くのは好ましくない。武器を振るうとなると、やはり室内という環境はやりづらい。


 その点、ロベールの得意とする長方盾と魔法による戦術を用いれば、閉鎖的なこの地形はかえって都合よく利用できるだろう、というのが彼の所感であった。


 騎士団の中でも圧倒的な防御力を誇り、一人で十人分の魔法士の働きをこなすとさえ謳われるロベール。

 後に応援を呼ぶにしても、彼ほどの傑物が先んじて調査に動くのはやはり正解だと言えよう。


 万が一に備えるよう部下に命令を下し、ロベールは通信を切る。


「さて……魔獣に囲まれないよう、手前側から制圧するのは勿論として、どこから手を付けて調査すべきか……。この異常も外の襲撃やヌールの件の諸々と関係しているのだとすれば――」


 照明も破壊されているからか、廊下を包む光は仄暗い。

 光魔法・ライトで行く先を照らしつつ、ロベールは慎重に歩を進める。


「せめてマクダウェル氏の直近の動向を記した資料のようなものが残っていれば良いのだが……確か彼の書斎は東棟二階の突き当たりだったはず。まずはそこを目指すとしよう」


 廊下の先に進み、正面に広がるサロンルームへと向かう。


 かつてはロベールや、友であるヴォルフガングを始めとするブラッドフォード家、その他貴族や芸術家がこの場に会したものだったが。


 やはりここも例に漏れず、魔物の住処へと成り下がってしまっていた。

 室内にいた三体の魔獣を速やかに排除し、ロベールは深く息をつく。

 見知った場所が酷く荒らされている光景を目にするのは、憂鬱な気分にさせられるものだ。


 地に転がる観葉植物の鉢や、壁から今にも落ちそうな絵画、白いクロスが敷かれた長机の上で散乱した皿とティーカップ――


「待て、この食器……最近使用された形跡がある」


 沈む心に鞭を打ち、ロベールはテーブルに転がっている一つのカップを手にした。


 カップの内側に付着した水滴、仄かに香る茶葉の匂い、掌から伝わる微かな温もり。


「休憩中に魔獣に襲われた……? む、しかしそれでは屋敷の住人が汚染された魔人や遺体が見当たらないのが不自然であるな……」


 人のいた痕跡はあるのに、それ自体の姿は不気味なほどに見えない。


 焦燥を感じなくもないが、とはいえここが魔窟と化す直前まで人がいたという形跡は確認できた。

 これに意味を見出すためにも、ロベールは慎重に先を急ぐことに決めた。

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