一章 第二十話「贈り物」

 王都ミクシリアに到着して翌日の事。その目的である会合を明日に控えたエルキュール一行は、彼の提案の通り街を散策することにした。

 見慣れない土地に慣れておきたいという事情もありはしたが、グレンとジェナの様子を気がかりに感じ、これで少し気が晴れればと慮ってのことであった。


 オルレーヌで最も栄えた都市であるミクシリアは観光地としての人気も高い。六霊教の本山の一つに数えられるミクシリア教会が位置する北西区、荘厳な王城とその下の貴族街を展望できる中央区のミクシリア広場は特にその傾向にある。


 一般人からすればどちらも人気スポットではあるのだが、グレンとジェナの興味を惹くことはなかった。どちらも王都を訪れている身であることもそうだが、六霊守護の一族であるジェナにとっては教会なぞ見慣れたものであろうし、騎士が嫌いなグレンにとってはこの国で最も多くの騎士が集まる王城なぞ近づきたくもないだろう。

 ミクシリア広場は例によって魔動鏡が設置されている場所であり、今近づくのは避けたいという思いもあった。


 そうすると、名だたる施設といえば北東区の騎士団本部と、南西区にあるらしいデュランダル本部を残すのみであったのだが、どちらもヌール及び王都の事件について話す予定のある両者であり、貴重な暇を縫ってまでも行きたいとは思わなかった。


 結果としてエルキュールらが目指したのは南東区にある市民街だった。平民が住む住宅が多い地区ではあるが、多くの商店が立ち並ぶマーケットという見どころも十分にある。


 唯一の懸念として比較的人が集まりやすいということがあったが、これも二人の仲を取り持つためだと、エルキュールは自らを律してこの束の間のに臨んだのだが――



「なあ……君たち、本当は喧嘩なんかしていなかったんだろう? なんなんだこの様は」


 エルキュールは自らの提案を呪うかのような暗い声色で呟いた。


 彼らが訪れているのはマーケットに並ぶ店の一つ、安価な日用品から高価な調度品まで揃える豊富なラインナップが売りの百貨店だった。

 そこで適当に商品を物色すれば二人の気も紛れ、亀裂が入りかけたこの三人の関係も保たれるだろうと、エルキュールは密かに目論んでいた。


 現にその目的は達せられたと見ていいだろう。今日ここを散策している時も、そしてここで珍しい商品の数々を見物している最中も、グレンもジェナも機嫌は良好で楽しそうですらあった。


 しかしあろうことか、それでもなおエルキュールの顔は依然として曇っているのだ。


「なんなんだって……それはこっちの台詞だぜ、エルキュール。元はと言えばお前が誘ってくれたんじゃあないか。『三人でどこか遊びに行かないか』ってな」


「そうだよ! それに南東区は市民の場所って聞いてたけど、それでも十分広いし、活気があって、雰囲気もとってもお洒落だし。この店だって色々あって楽しいけど、もしかしてエル君はそうじゃない? もっと他の場所の方が良かった……?」


 不思議と落ち込んでいるエルキュールに、二人は息の合った連携で尋ねるのだが、その様子を目にしたエルキュールは殊更に溜息をついた。


「いや別に、そんなことはない。二人が楽しそうなら、俺はそれでいいからな。ただ……惚けるのだけは止めてくれないか」


「惚けるってなんだよ」


「二人とも昨日は機嫌が悪かっただろう。それで喧嘩をしていた。そのことを俺はさっき尋ねたんだ」


「あはは……確かにそうだったけど、そもそも大したことじゃないし、私の態度もよくなかったなって。グレン君に聞いたら、馬車の操縦って思ったより疲れるみたいなんだ。だからごめんねって今日の朝に謝ったんだ」


「オレの方もつい熱くなりすぎたっつうか、頑固になってたみてえだ。それより聞いたぜエルキュール、ここの所毎日ジェナに闇魔法を教えているってな。それで寝不足になるほど頑張っているそうじゃねえか。六霊守護の修行も大変らしいな」


「ああ……うん、そうか。それはもちろん何よりだが」


 互いを称え合う彼らにエルキュールはいよいよ頭を抱えた。それから痺れを切らしたかのようにはっきりとこう続けた。


「だったら、俺がここまで割を食う必要はないんじゃないかと思ってな」


「なんだあ? おいおいそんなこと言う必要ないだろ? お前の健気な計画がちょっとばかし噛み合わなかったからってよ。それともオレたちの仲の良さに嫉妬したか?」


「……そんなわけがないだろう。ここまでの買い物の支払いを、全て俺一人が請け負っていることについてだ。酒類も、甘味も、魔法関連の書物も、全てだ」


「……? でも、お前が奢るとか何とか言ってたんじゃねえか」


「ああ、確かに。俺が君たちを誘ったとき、提案に乗り気じゃないようだったからな。『奢るから一緒に行かないか』、『ついでに王都を案内してくれると助かる』……そう言ったのは記憶にある」


「ああ、だから実際に色々と教えてやっただろ。あの有名な騎士団長の妻が見た目の子供みてえな亜人だということや、そのことで王都民の間では密かに変態という噂が流れていることとかよ」


「……それを知って何になるって言うんだ? 明日の会合でそれが有利に働くと思うか? そんな訳ないだろう。せいぜいその場の空気をぶち壊すのが落ちだ。問題はガレだ。王都を目指す前に多少稼ぐ機会があったからいいが、この調子だとまたすぐに底をついてしまうぞ。俺の分だけがな」


 不満を隠そうともせず、エルキュールは語彙の限りを尽くして、グレンを詰る。

 彼の手にも、そしてジェナの手にも、エルキュールのガレで購入した商品でぱんぱんに膨らんだ買い物袋が握られている。それからこれ見よがしに、その肥えた欲の象徴を指差してやった。


 我ながら面倒くさい人間、もとい魔人だと思うが、問題を解決するために動いたのが徒労に終わっただけならまだしも、その上いい様に金を出すだけの都合のいい存在に落とされるのは、身から出た錆とはいえやはり躊躇われる。


 同じ目的を目指す仲間だと認めたからこそ、エルキュールはこの二人とは対等で誠実な関係であることを望んでいた。


 腰に手を当ててポーズを取るエルキュール。グレンとジェナはそれを見て一層目を丸くし、それから堪えきれないといったようにからからと笑い始めた。


「……くっ、はははは! ダメだ、もう耐えきれねえ。真面目過ぎだっつのお前は。というか気付かなすぎだ」


「もう、ふふふ……本当だよ! エル君てば、私たちがそんな意地悪な人間だと本気で思ってたの? だとしたらごめんね、ちょっと揶揄いすぎちゃったかも」


 笑い交じりに言った二人は手にしていた袋から次々と何かを取り出し始めた。そしてそれを続々とエルキュールが見えるように目の前に持ってゆく。


「む、ジェナのそれはティーカップか? こっちは茶葉に……栞……グレンの方は研磨剤と……怪しいラベルが貼ってある飲料、そして……何だこれは? 玩具の剣……?」


 二人から代わる代わる差し出されたその一つ一つを、時に驚き、時に困惑しながら、エルキュールはそれを丁寧に見て行く。どれもつくりはしっかりとしているようで、それなりに値の張るものであることは、素人目ながらも分かった。

 が、急にそれを持ち出した理由が分からず、エルキュールの困惑はより深まった。


「サプライズプレゼントだよ、エル君! このカップも茶葉も貴族御用達なんだって。ハーブティーが好きだってあなたが前に言ってたから似合うかなぁって。黒い意匠の栞もぴったりだと思わない?」


「オレから贈るのはハルバードを磨くための研磨剤だ。これで刃をピカピカにして来るもの全員威嚇してやろうぜ! こういう些細なところに気を遣ってこそ戦士として――」


「あ、ああ。悪い、ちょっと待ってくれ。思考が追い付かない」


 いつもの調子で語り始めたグレンの言葉に被せて中断させる。それからもう一度、自分に差し出された品の数々を舐めるように見回し、エルキュールは心を落ち着けようと試みた。


「……プレゼントか、俺に。どれも俺が買った覚えはないということはそういうことなんだな。ああー、うん。ありがとう。ジェナのものは確かに見ているだけで心が休まるかのようだし、グレンのものはやはり俺の生業からしてもありがたい……だが、グレン。こちらから止めておいて悪いが、他の二つは一体何なんだ? 見ていても怪しさしか感じられないんだが」


「ん、おぉ……この飲み物の方はさっき露店で買ったんだがよ、飲むだけで口の中が刺激に溢れ、体力やら魔力やら精力やらが回復するんだと。店主もそう言ってた。もうビンビンらしいぜ、ビンビン!」


「…………」

「……いかがわしー」


 力説するグレンに向けられる二人の目は氷雪のように冷たかった。

 念のためエルキュールはその中身を魔素感覚で探ってみたが、様々な属性の魔素が複雑に入り乱れており、見るだけで凄まじさは伝わってくる。これを人間が飲めるのかはさておき、魔人であるエルキュールからすれば体よく魔素を吸収できるよい品なのかもしれない。

 人間の食べ物にも効率よく栄養を摂取できる、栄養食なるものもあるらしい。それと似たようなものだと考えれば、これもそこまで悪いものではないのかもしれない。エルキュールはひとまず当たり障りなく礼を述べた。


「これについては分かった。けど、こっちの玩具はどうなんだ? 何の意図があるっていうんだ」


「意図って……オレはそんな誰かを陥れようって柄じゃねえよ。ま、お前との出会いを考えれば疑いたくなるのも分かるけどよ……確かにその剣は玩具だ。けどな、ただの玩具と侮るなかれ……そらっ」


「わっ!? なんか変形した!? 柄の所から小さな砲台みたいのが出てきて、まるでグレン君の武器みたいだね。素材は流石に魔鉱石じゃないみたいだけど」


「ああ、鉄だ。あとは魔法機械の技術も少々使われているようだ。どうやらカヴォード帝国で製造されたみたいだぜ、あそこは変わった機械やら武器やら大好きだからなあ」


 そう言ってグレンは玩具の剣――鉄製のからくり剣とでもいうべきか――の刀身を自慢げに撫でた。柄の部分は革のようだが、刀身や鍔は鈍く光っており、グレンの言う通りにカヴォードの字が印字されている。


「へえー、ここのボタンを押せば砲門の奥の方が赤く光るんだ。実際に魔法を撃っているみたいで、小さな子供には人気だと思うけど……流石にこれはグレン君も読み違えたんじゃない? いくら凝っているとはいえ、玩具でエル君が喜ぶなんて――」


「……ふ」


「え、ウケてる!? しかも珍しく笑ってるし……いつの間にかちゃっかり剣も握ってるし……」


「……いや、子供だましだなと思ってな」


「強がるなよエルキュール。オレはちゃんと覚えてたぜ? 初めて俺の銃大剣を見たときのお前の反応をさ。ガキみてえに喜んでいたじゃねえか」


「喜んではいない」


 ボタンを繰り返し押しながら、目も合わせずエルキュールは否定する。

 確かにあの時はグレンの得物の美しさに魅入っていたが、彼が言うほどはしゃいではいなかった。ただその機構の素晴らしさに感動していただけ。

 それに今はジェナもいる。ただでさえグレンには軽んじられている節があるというのに、彼女にまでそう思われるのはエルキュールにとって好ましくない。

 それでは人間を信じてみようというエルキュールの折角の決意が、またもや崩れ去ってしまうかもしれない。


「……あの、そんな遊びながら言われても説得力ないよ……」


「いいじゃねえか。好きなようにやらせりゃあいい。何せ少し揶揄われただけで拗ねちまう坊ちゃんなんだからよ。気を紛らわさせてやらねえと」


「遊んでない。拗ねてない。ましてや坊ちゃんと呼ばれる筋合いもない」


 外套の内側に玩具を仕舞う。

 元はエルキュールが二人のためにあれこれと気を回していたというのに、いつの間にか立場が逆転してしまっているようだ。


 エルキュールの頑固な態度に、二人はまたもや声を上げた。

 エルキュールはうんざりとしたポーズは取るものの、その内心では悪い気はしていなかった。


 在りし日の、鑑定屋での出来事が想起される。エルキュールにとってリゼットやアヤと過ごした最後の時間。あの時と似たような感覚が、グレンとジェナと過ごす中にも感じられたのだ。


 温かく心地よい優しさと微かな罪悪感。


 そこで不意に穏やかな笑みを湛えていたエルキュールの表情が歪む。


 この両者の均衡が保たれているときはいいが、ひとたび天秤が罪悪感の方に傾けば、エルキュールは自分がどうなってしまうのかよく知っていたからだ。


 一度目は別れを引き起こした。ならば二度目は。このまま二人と過ごした先に、二度も同じ道をなぞってしまうのだろうかと、エルキュールは微かにコアが疼くのを感じていた。


「……どうかしたの、エル君?」


「……! いや、何でもない。贈り物はありがたく受け取ろう。ただ、君たちに振り回され続けたせいで、少しばかり疲れてしまったのかもしれないな」


「ほほーう、オレらのせいか。仕方ねえ甘ちゃんだな、全く。どこか飯が食える場所にでも行って休むか」


「じゃあ私は向こうの通りの先にある『ミーティス』っていうカフェバーがいいな! 軽食の種類も豊富で内装も落ち着いていて、ここ南東区では特に人気らしいし。それに何よりも――」


「名物ミーティスパフェだろ。買ったガイドにでかでかと謳い文句が書かれていたよな。ったく、このパフェ狂いが」


「そんなの当然でしょ! パフェほど完成された食べ物なんて他にないんだから、ヴェルトモンドの全人類がその存在を崇め奉るべきだよ! しかもミーティスのパフェはあの大陸最大の森であるゾルテリッジ大森林の豊かな植生から採れる色とりどりで新鮮な果物とオルレーヌきっての畜産地ガレアで生産される品質のいい牛乳を絶妙に織り交ぜた珠玉の一品だと王都民の間で話題でこれから到来するとされる大パフェ時代の先駆けとなる――」


「ミーティスか。そんなに凄いなら急いだほうがいいな。行こうかグレン」

「おう」


 ジェナには悪いが、エルキュールにはあまり興味をそそられないものであった。とにかく落ち着ければそれでいいと、グレンと顔を見合わせ先を行く。

 そそくさと店を後にしようとする男性陣に不満の表情を露わにしながらジェナはその後を追う。


 だが入口付近にまで近づくと、一行はすぐにその軽快な歩みを止めてしまった。


 外に出るのか、中に入るのか、用途といえばそれ位しかないそこに、どういう訳か人だかりが出来ていたのだ。

 より近づいてみれば、そこに集る人々は何かを見物するかのように入口の方へと視線を投げている。


「これでは通りにくいな……って、あれは」


 恨めしげな顔で集団に倣って目線を辿るエルキュールの声が次第に硬いものを帯びていく。


 そこでは二人の人間が何やら言い合いをしていた。


 一人は綺麗に塗りつぶされた黒の修道服に身を包む者。全身を覆い、頭にはヴェールまでも付けられているためその素顔は朧気にしか確認できないが、水色の髪に利発そうな眼をした少女であった。

 服装からして恐らくミクシリア協会のシスターだろう。平民が住まうこの地では確かに浮いているが、備品を買い足しに来たと考えれば別におかしくはない。


 エルキュールの注意はそこには向けられていない。


「ふん、なんだその瞳は。それほどまでに見つめて……まさかボクの女にでもなりたいとでも言うのか」


 もう一人は華美な装飾が施された白い服に金髪が映える貴族風の青年。その口調からは不遜が透け、胸を反らすその様からは彼の横柄な性格がよく窺えた。

 言動に問題こそあるが、ここが平民の地であったとしても仮にも王都なのだから、貴族がいるのは問題ない。


 そう、決して問題はない――


「ルイス・マクダウェル……!?」


 その青年がエルキュールの知る人物であり、あのヌール事件に関係している疑いがあるマクダウェルの人間だということを除けば。



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