029 結衣の末路とは

 数日後、結衣と朱里は復讐計画を決行することにした。


「朱里、ビビるんじゃないよ。これを逃したらチャンスはないんだから」


 結衣はかつて所属していた事務所の近くに張り込んでいた。

 スマホを使って朱里と話す。


『分かっています。絶対にビビりません。覚悟は決めています』


「頼むわよ」


 通話を終えた後、結衣はメールを確認した。

 店長から「分かりました」という返信が届いている。

 体調が悪くなったので休む、と連絡しておいたのだ。


「早く来い、吉川、高峯さん……!」


 結衣は手元に目を向ける。

 硫酸の入ったビーカーがそこにあった。

 中学で理科を教えているという客をたぶらかして調達させた物だ。


 結衣の計画はこれを雪穂の顔に掛けること。

 雪穂の顔に消えることのない傷をつけられるだろう。


 そうなれば、大吉に最大級の絶望を与えられる。

 自らの愚行によって雪穂が傷ついた、と死ぬまで悔いるだろう。


 だから雪穂を狙う。

 結衣は嫌いな相手に対し、直接的な攻撃をしないタイプなのだ。

 相手の大切な物を壊す方が傷つくと知っているから。


 硫酸攻撃の成功率は五分五分だ。

 いや、失敗する確率のほうが高いかもしれない。


 それでもかまわなかった。

 二の矢として朱里が控えているから。


 むしろ本命は朱里だった。


「あんた達が事務所に来ることは分かっているのよ……」


 結衣の事務所では、月に1回、必ず事務所に顔を出す必要があった。

 この1回はタレントによって日時が決まっており、滅多に変更されない。


 結衣は大吉や雪穂と同じ日だった。

 加えて二人の仕事に関しても把握している。

 だから確信があった。

 二人はじきに姿を現すだろう。


「来た!」


 思惑通り大吉が現れた。

 タクシーに乗って一人で登場だ。


 その直後、マネージャーの車で雪穂が到着した。

 ありがたいことに事務所の前で大吉と立ち話をしている。


「もらった!」


 結衣はすかさず飛びだそうとした。

 しかしその瞬間、何者かに肩を掴まれた。


「その辺にしておけ」


 振り返ると、事務所に雇われている黒服がいた。

 声を発したのは黒服の後ろにいる社長の霧島だ。


「自分の価値を落とすような真似はするな」


「私の価値をどん底に落とした張本人がよく言う……!」


 結衣がギッと霧島を睨む。

 硫酸は黒服に没収された。


 大きく息を吐いた後、結衣は笑みを浮かべた。


「流石は社長、よく私の魂胆が分かりましたね」


「お前が小学校の頃からの付き合いだぞ。性格くらい把握している。もちろん、お前が男をたぶらかしていたことも知っていた」


「だったらなぜ私を生け贄にしたんです?」


「そうすることで大吉の価値がより高まるからだ。それに、ああやって対処しなければ、いずれ大事おおごとになる可能性があった」


「大事に?」


「お前は問題ないだろうが、大吉は雪穂に対する罪悪感から潰れてもおかしくなかった。それは絶対に避けねばならないことだ」


「社長がそこまで吉川に入れ込む理由は何ですか? 所詮は高峯さんのオマケでしょ。無人島の番組にしろ他の番組にしろ、高峯さんがいるから視聴率すうじがとれているに過ぎない。そうでしょ」


「お前は何も分かっていないな。大吉はその程度で収まる器じゃないんだよ。どんな男にも決して興味を示さず、常に理想のアイドルとしてあり続けたあの高峯雪穂に、仕事を辞めてでも一緒にいたいと思わせた唯一の男だぞ。アイツがいるから、雪穂は最上位の更に上へ羽ばたけるんだ。たしかにどの番組でも大吉はオマケに過ぎない。だがな、雪穂にそれだけのパフォーマンスを発揮させているのは大吉なんだよ。大吉が潰れれば、雪穂も潰れる」


「たしかに……」


「ここまで言えば分かるだろ? お前を犠牲にすることで大吉を救えるなら、俺は喜んでお前を捨てる。お前のことは好きだが、俺は仕事に私情を挟まない。芸能界は弱肉強食の世界で隙を見せられないからな」


「……ですね」


 結衣は再び大きく息を吐き、話題を変えた。


「私が休んだら連絡するよう店長に頼んでおいたのですね」


「そういうことだ」


「社長は本当に頭が切れる」


 言った後、結衣はおぞましい笑みを浮かべた。


「でも、今回は私が上回った!」


「なに? それはどういうことだ?」


 結衣は天を仰ぎながら叫ぶ。


「やりなさい朱里! 邪魔者は抑えた! 今なら誰も止められない!」


 結衣は霧島が動くことを見越していたのだ。

 この男なら自分の行動を察知して止めてくるだろう、と。


 しかし、朱里を止めることは不可能だ。

 彼女の存在はイレギュラーであり、予想できない。

 だからこそ、フィニッシュブローを朱里に任せた。


「全てを燃やし尽くしてしまえ! 朱里!」


 朱里の役目は放火だ。

 事務所にガソリンをばらまいて火をつける。


 そうすれば、大吉も、雪穂も、他の皆も死ぬ。

 おそらく朱里も巻き込まれて死ぬだろうがどうでもいい。

 むしろ恨みを晴らせた上に自殺まで出来て羨ましいくらいだ。


 朱里が作戦を成功させたら私も死のう、と結衣は考えていた。

 それが彼女の覚悟だ。


「……………………」


 が、しかし、何も起きない。


「朱里! 何をしているの! 早くしなさい!」


 叫ぶ結衣。

 黒服は慌てて扉の前まで走る。

 しかし、朱里は伏せているはずの場所から出てこない。


「朱里ィイイイイイイイイイイイイイ!」


 結衣がどれだけ叫んでも、朱里は出てこなかった。


 ――朱里は逃亡したのだ。

 土壇場になって死ぬのが怖くなった。

 結衣が黒服に捕まったのを見て更にビビった。


 逃げた理由は他にもある。


 そもそも彼女は大吉の死を願っていなかった。

 雪穂を排除できれば大吉が戻ってくる、と思っているから。

 殺してしまったら大吉とよりを戻すことができない。

 しかし、事務所に放火すれば大吉も死んでしまう。


 そこが朱里と結衣の決定的な違いだった。

 朱里が望むのは雪穂の排除だけであり、大吉には無事でいてほしい。

 一方、結衣は両方が消えてくれてもかまわないと思っていた。

 一致していた利害が、計画を過激化することで不一致に変わったのだ。


 結果、朱里は逃走した。


「この臆病者! ビビりやがって! 恥知らず! クソ女!」


 結衣が叫ぶ。

 場所柄か野次馬は集まってこない。

 距離がある為、大吉や雪穂も気づいていなかった。


「おしまいだな」


 霧島の冷たい言葉が響く。

 黒服が戻ってきた。


 結衣は自爆テロの話を思い出した。

 ――覚悟のある者から死んでいく。

 自分に比べて、朱里には覚悟が足りなかった。


「クソ! やっぱり自分でやるべきだった!」


 最初、朱里の任務は結衣が自ら遂行するつもりだった。

 しかし、朱里が志願したことで翻意したのだ。

 自分は顔が割れているので失敗率が高いだろう、とも思った。

 その考えこそが誤りだったのだ。


「んぐっ……」


 結衣の口にハンカチが当てられる。

 ハンカチには薬剤が塗布されていた。


「まだ……わたし……は……」


 結衣の意識が途切れる。


 霧島は別の黒服に電話し、黒塗りのワゴン車を手配した。

 そこに結衣を放り込み、運転手の黒服に命じる。


「モンダイナイ精神病院に連れて行け。手はずは整えておく」


「分かりました」


 ワゴン車は静かにその場を離れた。


 ――――……。


 ――数ヶ月後。

 モンダイナイ精神病院の患者用個室にて。


「万丈結衣さん、今日も問題ないですか?」


 医院長のモンダイナイ先生が回診に来た。


「あー先生、今日も問題ないですよ」


 結衣は虚ろな目で窓の外を見ながら言った。

 言葉や表情に心が宿っていない。


「そうですか、問題ないですか」


「先生、今日もいい天気ですね」


「そうですか、たしかに問題なさそうですね」


 モンダイナイ先生が部屋を出ていく。


「あー、本当にいい天気ね。ポカポカ陽気で気持ちいい。こんな日は外でロケをしたいわね。あー、早く次の撮影が始まらないかしら」


 そう言って微笑む結衣。

 病室は地下にあり、窓の外は石の壁なのに……。

 彼女は深い絶望と怪しげな精神薬によって、現実が見えなくなっていた。

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