027 利害の一致とは

 11月某日――。

 万丈結衣は、とあるビジネスホテルの部屋の前に立っていた。

 デリヘル嬢のユウカとして。


「この仕事のほうが稼げるなんて皮肉ね……」


 結衣が芸能界から追放されたのは7月末のこと。

 引っ越しや賠償金などにより、事務所に多額の借金を作ってしまった。


 それを返すべく始めたのが風俗だ。

 元々はデートクラブで稼ぐだったが、高級店に歓迎してもらえなかった。

 高級店を利用する大富豪は、表向きだけでも清楚な人間を求めるからだ。


 かといって、小金持ちが利用するデートクラブでは稼げない。

 そこで目を付けたのが高級風俗店だった。


 店に入ったのは10月になってすぐの頃。

 ずば抜けた容姿のおかげで初日から人気になれた。

 ネットで噂が広まった後は、予約が殺到して店のトップになった。


 そして今日も、彼女はいつもと同じように働く。

 ――はずだった。


「ご指名ありがとうございます、ユウカです」


 扉をノックする。

 返事がない。


 嫌がらせか?

 いや、違う。


 無人というわけではなかった。

 おもむろに、ガチャッ、と扉の鍵が開けられる。


「はじめまして、ユウカです。本日はよろし――――えっ」


 固まる結衣。

 扉の先にいたのが女だったからだ。


 紅谷朱里である。


 ◇


 朱里はしばらく前から外へ出るようになっていた。

 お金を稼ぐ為に。


 ネットで暴れても鬱憤が晴れなかったからだ。

 それに雪穂の地位が危ぶまれることもなかった。


 別の方法が必要だと思った。

 しかし、考えてもいっこうに浮かばない。


 そこで、とりあえず外へ出てお金を稼ぐことにした。

 何をするにもお金が必要になるだろう。

 なのに、自分はあまりにもお金を持っていない。


 日雇い派遣を数件こなした後、治験を始めた。

 1週間ただぼんやり過ごすだけでお金が貰える。

 最高だ。


 治験の最中、暇だからスマホでネットを見ていた。

 そして、結衣が高級デリヘル店で働いていることを知った。

 天啓だと思った。


「結衣さん、お久しぶりです。といっても、覚えていないですよね」


「ごめんだけど、覚えてない。あんた誰?」


 結衣はそっけなく返す。

 もはや芸能人ではないので、愛嬌を振りまく必要はなかった。


「昔、貴方に握手してもらったことがあるんです。握手会で」


「ふーん、そうなんだ」


 結衣はなんとも思わなかった。

 同じ事を言う客は他にもたくさんいたからだ。

 そいつらと朱里の違いは性別だけである。


「で、わざわざ高いお金を出して私に何のよう? また握手したいの? それとも顔に唾でも吐く?」


「いえ、吉川大吉と高峯雪穂の件で来ました」


 朱里がベッドに腰を下ろす。

 結衣はベッドの傍にある小さなテーブル席についた。


「私の前でその名前を出さないでもらえる? 特に吉川大吉のことは思い出したくもない」


 朱里が雪穂に対してそうであるように、結衣も大吉を逆恨みしていた。

 あの男が拒まなければ何の問題も起きていなかったのに。

 そんなことばかり考えていた。


「私、大吉の元カノなんです」


「えっ」


「これが証拠です」


 朱里がスマホを見せる。

 そこには中学時代に撮った大吉との写真があった。

 イチャイチャしているものが多い。


「本当のようね。で、これを見せてどうするつもり?」


「私は高峯雪穂が許せない。あの女がいなければ、大吉はいつまでも私に未練たらたらで待っていたはずなのに……」


 結衣は思った。

 この女、雪穂に対して筋違いの恨みを抱いているな、と。


 その考えは正しい。

 他人のことになると、彼女は冷静に考えられていた。

 とはいえ、ここでそのことを指摘しても無益だ。


 結衣は「そうかもね」と適当な相槌を打つ。


「だから私は高峯雪穂に復讐したい。アイツの人生をぶち壊したい。でも、私だけじゃどうすればいいか分からない。だから貴方を呼んだんです。貴方なら大吉か雪穂のどっちか又は両方を恨んでいると思ったから」


「なるほどね」


「ねぇ結衣さん、一緒に復讐しませんか? あの二人に。貴方は大吉を、私は高峯雪穂を恨んでいるわけだし、利害は一致していますよね? 私達、似たもの同士ですよ」


 結衣はイラッとした。

 お前みたいなカスと一緒にするな、と。

 お前のはどうせ自業自得だろうが私は違うのだぞ、と。


 朱里も内心では同じ事を思っていた。

 私の恨みは復讐に値するが結衣のは自業自得である、と。


 それでも、朱里の言う通り利害が一致しているのはたしかだ。


 結衣は「そうね」と同意した。


「じゃあ、連絡先の交換をしましょ。あと貴方の名前を教えてもらえる?」


「紅谷朱里です!」


 朱里が嬉しそうにスマホを取り出す。

 あの万丈結衣と連絡先を交換できると思って浮かれていた。

 この時、彼女は復讐のことを一瞬だけ忘れていた。


 結衣はそれを見逃さない。

 心の中で、コイツの覚悟はその程度なのね、と見下した。


「登録完了ね。朱里はいつ暇?」


「いつでも。いつでも大丈夫です」


「なら明日にでも打ち合わせしましょ。今日はまだ仕事があるから」


「打ち合わせ……」


 朱里がニヤける。

 芸能人から飛び出した「打ち合わせ」にうっとりだ。

 正確には元芸能人だが、そんなことは関係なかった。


 結衣は張り倒したい気持ちでいっぱいだった。

 それでも、実際には無表情でやり過ごす。

 こんなカスでも使い道はあるだろう、と思っていた。


「話は以上ね」


「ですね」


「まだ30分くらい残ってるけどどうする?」


「結衣さんの仕事の話、聞かせてもらってもいいですか?」


「仕事って、風俗のこと?」


「違いますよ。アイドル業とか女優業とかです。〈夜空のアケボノは蜜の味〉って映画あったじゃないですか。あれで共演していた山本君のことも奪ったんですか? 山本君ってプライベートだとどんな感じとか分かりますか?」


 朱里の目がキラキラしている。

 それに声も弾んでいた。

 久しぶりのことだ。


 その様を見た結衣は思う。

 この女と連絡先を交換したのは失敗だったな、と。

 手綱を締める必要があるようだ。


「あんた、勘違いしてない?」


「え……」


「私とあんたは客とスタッフの関係じゃないの。利害の一致したパートナーでしょ。なにウキウキしてんの。あんた、私を呼ぶのに15万も払ったんでしょ。そこまでしたのは高峯さんが憎いからじゃないの?」


 ハッとする朱里。

 結衣の言葉で目が覚めた。


「ごめんなさい、浮かれていました」


「分かればいいのよ。明日は空けておいてちょうだい。あとでまた連絡する」


「はい、よろしくお願いします」


 主導権は握った、これでどうにかなりそうだ。

 そう思って結衣はほくそ笑んだ。

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