014 イノシシ狩りとは

 戦いの結果は始まる前に決まっている。

 古の兵法家から現代の戦略家まで言っていることだ。


 それは人間同士の戦いに限った話ではない。

 相手がイノシシでも、事前の想定によって結果が決まる。


「雪穂、音を立てるなよ」


「うん……!」


 まずはその場で素早く状況を判断。

 幸いにも風下にいるから、匂いでバレる可能性は低い。

 これまでの足跡からおおよそのルートも特定できる。


 あの大きさのイノシシは簡単に仕留められない。

 仮に猟銃があったとしても、高確率で逃げられるだろう。

 ナイフと石斧が武器なので尚更だ。


 とはいえ、条件は悪くない。

 地形は平らで動きやすく、周囲に他の害獣はいない。

 イノシシとの戦い方も把握している。


「よし、やるぞ」


「私はどうすればいい?」


「俺のサポートを頼む。基本的には俺が一人でやる」


「危険だよ。一緒に戦わないと」


「気持ちは分かるが、その方が危険なんだ」


「私が使えないから?」


「違う。俺達の武器がどちらも近接用だからだ。イノシシを攻撃しようとして同士討ちする可能性がある。かといって、仲間に当たらないよう遠慮していたら全力を出せない」


「あ、そっか、たしかに……」


「だから俺が一人で攻める。俺が危ないようだったら、雪穂が側面からサポートしてくれ。必要な場合は指示を出す」


「分かった」


「俺が仕掛けるまでここで待機していてくれ」


「うん」


 ナイフを抜き、左手で持つ。

 体を横にスライドさせ、イノシシの死角へ進む。


 イノシシは食事に夢中だ。

 食べているのはキノコだろうか。


 すり足で忍び寄る。

 だが、うっかり小枝を踏んでしまった。


 その際の音でイノシシが振り返る。

 目と目が合った。


 奇襲攻撃は失敗だ。

 こうなったら正面対決しかない。

 問題ない、想定の範疇だ。


「うおおおおおおおおおおおおおおお!」


 一気に飛びかかる。

 まずは石斧をイノシシの脳天に打ち込む。

 斧は食い込んだが、致命傷には至らなかった。

 柄の部分が耐久不足でバキッと折れてしまったから。


「グォオオオオオオオオオオオ!」


 頭に折れた斧を突き刺したままイノシシが突っ込んでくる。


「おわっ」


 俺は横に転がって辛うじて回避。

 まともに食らっていたら肋骨が折れていたかもしれない。


 ドンッと大きな音が響く。

 イノシシが木に激突したのだ。

 額に刺さっていた斧が抜けて落ちる。


「ブォ! ブォ!」


 逃げる気はないらしい。

 振り返り、こちらを狙っている。


 俺はイノシシを睨んだまま叫んだ。


「雪穂! 石斧をイノシシに投げつけろ! 今すぐだ! 外れてもいい!」


「斧を投げる!?」


「そうだ! 早くしろ!」


「分かった!」


 雪穂が助走を付けて斧を投げる。

 思った通りの緩やかな速度で斧が舞う。


 それでいい。

 ダメージを与えられるとは思わなかった。

 ただ、イノシシの近くに着弾すれば十分だ。

 目的はダメージを与えることではない。


 彼女の放った斧が命中する。

 イノシシのすぐ傍の木に。


「ブォ?」


 イノシシの意識が雪穂に向く。

 それこそ俺の狙った展開だった。


「でかしたぞ雪穂!」


 一瞬の隙を突いて距離を詰めた。

 ナイフを右手に持ち替え、側面からイノシシに突き刺す。

 心臓を狙ったが、少し後ろに逸れたように見えた。

 その場合、当たるのは肝臓だ。

 どちらでも悪くない。


「ブォオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 今度はクリティカルヒットだった。

 イノシシは悲鳴を上げ、俺を突き飛ばして逃げていく。

 俺のナイフを腹に刺したまま。


「大丈夫!? 大吉君!」


 雪穂が駆け寄ってくる。


「背中を強打したが問題ない。アイツを追うぞ」


 雪穂の石斧を拾って立ち上がる。


「雪穂、さっきの投擲は完璧だった。助かったよ」


「えへへ、大吉君の役に立ててよかった」


「斧は君が持っていてくれ。ナイフは俺が持つ。アイツを仕留めるぞ」


「うん!」


 雪穂からナイフを受け取り、俺達はイノシシの後を追った。


 ◇


 追跡は簡単だ。

 地面に付着している血痕を追えばいい。


「いたぞ」


 川の近くでイノシシを発見した。

 走る元気がないようで歩いている。

 と、思いきや、川辺で伏せた。


 駆け足で距離を詰める。

 イノシシは立ち上がろうとするが動けない。


「これでおしまいだ!」


 トドメの一撃を繰り出す。

 今度はしっかり心臓を突き刺した。


 イノシシは「フヒィ」と甲高い声で鳴いて息絶えた。


「勝った、勝ったぞ」


「やったああああ! 凄いよ大吉君! こんなに大きなイノシシを倒しちゃうなんて! カッコイイ!」


「俺だけの功績じゃない。雪穂がいたからこそだ――ウッ」


「どうしたの!?」


「さっき突き飛ばされた時のダメージが思ったよりあるみたいだ。今になって痛みが出てきた」


「大丈夫?」


「問題ない。それよりイノシシを捌こう。せっかく仕留めたのだから大事に食ってやらないとな」


「分かった。私は何をすればいい?」


「捌きやすいよう木に吊したいから手伝ってくれ」


「了解!」


 俺達は協力して、近くの木にイノシシを運んだ。

 大きな後ろ肢を枝に吊し、ナイフを使って解体していく。

 雪穂はハンディカメラを取り出し、その模様を撮影していた。


「こんなとこ地上波じゃ使えないだろ」


「それでも撮影するの!」


 イノシシの部位は可食部が多い。

 もちろん臭みを消したらの話だが。


 残念ながら、今回は臭みを消す環境が整っていない。

 内臓を傷つけすぎたこともあって、現実的な可食部は少なめだった。

 それでも、二人で食べるには十分過ぎる量の肉を得られた。


「本当は毛皮や骨も有効活用したいところだが、今回は肉を食って終わるとしよう。雪穂、火熾しをお願いしてもいいか? 肉を焼くための焚き火を用意してほしい」


 雪穂の顔がパーッと明るくなる。

 とても嬉しそうな顔で「任せて!」と頷いた。


「大吉君に仕事を任されちゃった! 頑張らないと!」


 グッと握りこぶしを作る雪穂。

 あまりにも可愛い。


「ははは、頼もしいよ」


 俺は川の水で肉を洗う。

 作業的には俺のほうが楽だが、作業内容がグロテスクだ。

 それに肉の触り心地はお世辞にもいいとは言えなかった。

 だから俺が担当する。


「焚き火、用意しました!」


「こっちも準備万端だ」


 薄くスライスしたイノシシの肉を木の枝に刺して焼く。

 焼き上がったら、カレー粉で臭いを誤魔化して食べた。


「美味しい! すごく美味しいよ大吉君!」


「ああ、最高だな」


 自分達の力で獲得したメシは本当に美味い。

 今のイノシシもだが、昨日の川魚もそうだった。


「大吉君、今は私の顔を撮らないでね」


「どうした?」と雪穂の顔を見て気づく。


 イノシシの肉汁によって、口の周りがテカテカになっていた。


「これは撮影しないとな」


 傍に置いてあったハンディカメラで雪穂を撮る。


「だから撮らないでってば」


「遠慮するな。肉汁まみれでワイルドだぞ。ほら、笑顔笑顔!」


「もー! 大吉君の馬鹿ー!」


 こんな映像を見て視聴者は喜ぶのだろうか。

 素人の俺にはさっぱり理解できなかった。


 ピロロン。


 雪穂の非常用携帯電話が鳴る。

 社長や番組スタッフが島に到着した、という連絡だった。


「戻ってこいって!」


「ようやくか。戻ったらまずは風呂に入りたいな」


「賛成! ホテルの貸し切り風呂に入ろうよ!」


「おいおい、えらく大胆になったな。今はカメラが回ってるぞ?」


「もう吹っ切れちゃったもん!」


 えへへ、と笑う雪穂。

 その顔が可愛すぎて、俺の鼻の下はびろんびろんに伸びた。

 全国の視聴者に言いたい、「どうだ! 羨ましいだろ!」と。

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