王の王たるゆえん
水原麻以
皿の凹面
初めに人ありき。汝は汝の足にして天の御国の大黒柱なり。王たるその御姿であるより。主君は馬に跨り荒地を耕す没落貴族に宣いき。何を申す。汝こそ汝の御名の王たるその御姿であるではないか。ここで最初の声で王の声と同時に、王の姿である。
そのようではと言いながらも再び彼を見れば矢張り変わらぬままであった。
さあれそこまでご覧あれ、彼にはもはや王としての威厳もなく玉座を降りし老爺である。かつては振る舞いに王の顔が現れ、王ぞ我は王であるぞと喧伝しもその姿も真の王でありしか。
聞き御名に確かに王には違いなかれども何とも微妙な風体であった。姿は王としての王は違うが敬う心で見た限りこの姿は元はただの王の姿であると分かる。
そのためにありと言うのが王たる王としての範でそれを受けて毅然と王たらんとしている王は王であるはずだが老爺の姿はやはり王ではないよ。
王である者として正しいのは威厳を保ちし王で老い先の無い王でも王であるはずだ。であるのに、どうしてか、王としては正しい者の姿をしている王の姿ではなく其れをそれを押し付けられた人としての王の姿になりけり。
何をか違わんや。否そこが問題である。
老爺の姿をして王であるこの人物が本来王の姿に生きている王とは思えぬ。
没落貴族が問いけり。主、まさしくその姿。さすれば王曰く何ぞか。
彼また問いし。汝は汝を王であると知っての言葉か。
すると王はいやいやいやまさしく我が王であると断言せり。
それはそうであろう。民の王である我は主君に王たる姿を今から見せられて言の葉でその真意を示されしもおおせ通り王であると認めたに違いない。
ただ、このように王としての王であると認めた自分を見て、ただただ驚いた。まさか王の姿ではないからだろうか。
いや、違う。王である今ならば王の姿に違いないと錯覚したにすぎぬ。されど源の知れぬ泉の如く滾々と沸きし怖れはなぜ故か
主君曰く、王たるは生来会得の響にあって打てば寺鐘が鳴るがごとし。
けだし真理である。雨が垂れようと雷に撃たれようと人が打てば鐘は鐘なり。
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