貴女が死んだ暁に



貴女が死んだ暁に

真白の花を咲かせよう

貴女が遠く離れても

香気で私が分かるよう

貴女が死んだ暁に

永遠の愛を咲かせよう

貴女が深く沈んでも

小指の糸で分かるよう





ロニメイがその扉を開けた時、第三皇女は縁起でもない歌を楽しそうに口ずさんでいた。ロニメイは自分が来たことを気に留めてさえいない彼女に小さく舌打ちをして、わざとらしく咳き込んでみせた。

「アシュリー・ニルジオン。食事の時間だ。受け取るがいい」

「あら、騎士団長様。お手を煩わせてしまって申し訳ありません。ありがたく頂きますわ」

しおれた様子で音も無く、固く乾いたパンを手に取った彼女は、模範囚と言って差し支えなかったが。ロニメイはその実、底知れぬ気色悪さを覚えていた。彼女のこのささやかで落ち着いた声が瞬間的に上擦るのを、ロニメイはあの時聞いたのだ。

「何を眠たいことを。その手で三十人も殺しておいて」

「三十四人にございます、騎士団長様。分かっております。覚えておらずとも、この身に刻まれた罪の重さは、痛いほどに」

ロニメイは己の顔が打つ前の鉄のように赤くなるのを感じた。ロニメイにとって彼女が殺した人数はさほど重要ではなかった。彼女が殺した三十三人とやらに、ロニメイの一切の同情はなかった。

「っ数が何だ!!多く殺せば罪が重いか!!私のっ、私の姉を殺しておいて、っ何を嘗めたことを抜かすのだ!!」

ロニメイの姉は優和で聡明だった。物心もつかぬ頃に両親が死んでから、年の離れた姉は当然のように、母代わりとしてロニメイを丁寧に育ててくれた。元より裕福ではなかった上、大人ではない姉が稼げる金額など知れている。端的に、貧乏ではあった。だが、常にロニメイを認め、やりたいことをさせてくれた姉がいたからロニメイは、貧乏を病むことはなかった。

「姉は、何も、何も……っ」

目の前の第三皇女に殺されたその他は、犯罪者だった。指名手配を長年くぐり抜けていた者もいた。罪を犯した人間が死ぬことに一滴の疑念もないロニメイは、その他に意識を向けはしていなかった。

「なぜ、なぜ姉を、私の姉を、殺した!!」

ロニメイの慟哭とも紛う叫びに、第三皇女は早くも食べ終えたパンの屑を服から払い落としてちらりと声へ視線を向けた。

「騎士団長様。私がもしや、罪人ばかりを選んで殺したとお思いですの?」

ロニメイは怒りと憎しみで回らぬ頭でその言葉を何度か咀嚼した。罪を犯した者しかいなかった。ロニメイの姉を除いて。

「……何を」

「あのね、騎士団長様。私、そのような陳腐でくだらない理由で人殺しなんていたしませんわ。第三皇女ですもの。彼らはね、私の求婚に最初は応じたのに、途中で手のひらを返したのです。例え第三であれ、皇女からの求婚を断るのは大罪なの。彼らがそんな悲しい罪に溺れないように、私が罪を背負っただけよ。犯罪者だったと知っていれば、元より私は何もしませんでした」

彼女は言いながら分かりやすく肩を竦めた。自分とて心外であるとでも言うようなそれに、ロニメイは殊更腹の底を煮え滾らせた。

「そうか。そうか。ならば、ならばなぜ、私の姉を殺した?姉は、何と言って、お前の気に触れたのだ」

ロニメイの問いに第三皇女は、さりとて特別動転したこともなく瞑目した。しばらくの沈黙にロニメイが痺れを切らしかけた頃、彼女はようやっとその口を動かした。

「ノーゼンは、初めから断ったのよ。まずはお友達からと言って」

「……待て、断ったって」

「ええ、もちろん例に漏れてはいませんよ。私は貴方の姉に求婚しました。殿方があんまりくるくると手首を翻すから、同じ女ならどうなのかしらと思って」

「何を、何を言ってる?女同士で婚姻など結べるものか、それに姉は、姉はそんなこと」

「告げなかったでしょうね。私が秘密にしてほしいとお願いしましたのよ。どこからか漏れてしまえば、もう二度と会えなくなってしまうもの。最初はただの箝口令のつもりだった。でもノーゼンは今までの殿方と……いいえ、今まで出会った、全ての人たちと違って。第三皇女という肩書きだけを目当てに寄ってくる人間たちとは違って。ノーゼンは、私を、知ろうとしてくれたの。驚いたし、嬉しかった。何度も話をして、笑い合った。真面目な話もしたけれど、できる限り楽しい話がいいと我儘を言った私を、ノーゼンは快く受け入れてくれた。いつしか私は、本当に彼女を愛してしまった」

ロニメイは絶句する他なかった。何か普段と違うことがあれば必ず報告してくれていた姉が、そんな隠し事をしていた事実が、ロニメイには深く突き刺さっていた。

「だから、もう一度言おうと思ったの。今度はちゃんと、心を込めて。彼女が断ったら、友人として、仲良くしてほしいとお願いしようと思って。それで、手紙を書いた。次に会えるのはいつになりますかと書いた。いつも通りの言葉で、できる限り悟られないように」

第三皇女は瞑っていた瞼を、重そうに開けた。ロニメイは未だ押し黙ることしか出来なかった。目の前の女が話す様子は、ロニメイの目に虚言としては映らなかったからだ。彼女は微かに口角を上げた。嬉しそうだった。

「そうしたらノーゼンは、何と言ったと思う?ふふ。家族なのだし、彼女に求婚などしたことないでしょうから、流石に分からないかしら。ノーゼンはね、……ノーゼンはね。『本当?』って言ったのよ。泣きながら。ノーゼンはね、泣きながら、私を抱きしめたの。『弟が居る。いつまでも付き纏ってくるの。怖いけれど、死に際に両親から頼まれて、お母さんとお父さんとの最期の約束を違えたくはないから、逃げることも出来ない。でも、生きている限り、あの子は私に縋ってくる。もう嫌なの』って」

ロニメイは自分の喉を唾液が通る音をはっきりと聞いた。本能的にその言葉を拒絶しているのが自分でも分かる。そんなはずはない。ロニメイは激しく動揺し、考えるよりも先に目の前の女の肩に掴みかかった。

「っ嘘を吐くな!!!」

「嘘ではありませんわ。罪人への処刑以前の暴力行為は禁止のはずだけれど、この手を退けてくださる?」

「ふざけるなよ!!姉さんが、姉さんがそんな、そんなことを言うはずがない!!!」

最早ロニメイに正気はなかった。ずっと信じていた姉を、嘘であれ崩されたことに加えて、これが嘘ではないと宣う目の前の女に、ロニメイは憎悪を隠せはしなかった。そんなロニメイを同じように隠そうとしない憎悪の目で第三皇女は、じろりと睨んでため息を吐いた。

「騎士団長様。自分がした事も忘れたと言うの?随分と傲慢な方ですこと。貴方、ノーゼンを押し倒して強姦したそうね。ノーゼンは震えておりましたわ。身体的にも精神的にも限界が来ていたのよ。如何に恐ろしくて惨めな思いをしたか、それを誰にもいえなかった苦しささえ吐露した後で、『貴女の手で殺して』と言ったの。『これでも愛してくれるなら』って。貴方から逃げたい、けれど汚れてしまった体がもう耐えられない。せめてそれを話せるほど自分が心を許した相手に、自分が自分であるうちに、殺してほしいって、ノーゼンは言ったのよ」

「そんな、そんなはずはない、そんな……そんなはずは」

「実の姉の心を殺しておいてまだ言いますか。まぁでも別に、貴方がどう思っていようが私はどうでも良いのです。寧ろ感謝さえしているわ」

目の前の女は力が抜けたロニメイの手を肩から叩き落とし、人形のように笑んだ。動揺と衝撃で頭がさらに回らなくなっているロニメイに、女は呪うように口を開く。

「ノーゼンを殺したのは私よ。ノーゼンが最期に見たのは、貴方ではなくこの私。ノーゼンが最期を見せたいと願ったのは貴方ではなくこの私。ノーゼンは私の手の中で微笑みと共に死んでいったわ。私が教えた歌を口ずさみながら息絶えた。ノーゼンが来世も共にと願ったのは、貴方ではなく、この私。お気の毒ね。本当に、お気の毒。そんな汚い人間に生まれなければ、私のようにノーゼンの最期をノーゼンから望んで見せてもらえたかもしれないのにね。ねぇ、騎士団長様。私はこの世で一番の幸せ者よね。

ノーゼンはね、私の手の中でね。

『幸せ』

って、言ったのよ」

何かがちぎれる音がして、何かを殴る音がした。気づいた時には、ロニメイの手は拳になって目の前の女の頬を打っていた。女は頬に手を当てて俯いている。何事かと騒ぐ声が聞こえる。外に居た部下たちがこちらに向かってくる音がする。同じように聞こえたのだろう、女はロニメイを嘲笑うように、流し目を寄越した。

「そんなだからだーいすきなお姉さんに嫌われるのよ、ボウヤ」

同じ拳が腹を狙う前に、扉が開き部下たちに取り押さえられる。ロニメイの極刑は免れないだろう。これから裁かれる罪人を必要以上に痛めつけることは、法と国民への侮辱である。これが第三皇女の策略であることに、哀れなロニメイは気づかない。離せと喚くロニメイをもう一度見ることもなく、アシュリー・ニルジオンは騎士にばれないようにひっそりと笑った。それから、乱入者に邪魔されて歌えなかった歌の続きを、嬉しそうに口ずさんだ。





貴女が死んだ暁に

真赤の紅を咲かせよう

貴女が暗く眠っても

笑顔の色が分かるよう

貴女が死んだ暁に

永遠の愛を咲かせよう

貴女が深く沈んでも

小指の糸で分かるよう


貴女が死んだ暁に

真黒の闇を咲かせよう

貴女が例え忘れても

無限の時を分かつよう

貴女が死んだ暁に

永遠の愛を咲かせよう

貴女が例え忘れても

小指の糸で分かるよう……


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