第117話 最後の一雫まで

「……責任感は、昔からしっかりしてたけど……。何でもかんでも自分が悪い、みたいな考え方も変わってないなぁ…」


 椿はそう言いながら、愛おしそうに凛華の髪を触ったり頬をなでたりしている。

 ほんの数ヶ月前にこんな光景を見たら絶叫しそうな物だが…。分からない物だ。何もかも、環境が目まぐるしく変わり過ぎているのが原因だが。


 …1年のときはこんな事なるなんて欠片も思って無かったな…。


「ネガティブ…って言う程ではないけど、批判されても大人しく受け入れるし」


「昔は喧嘩っ早いんじゃなかった?」 


「私とか遥香ちゃんが何か言われると、ね。自分の事では怒んないよ。すぐに、成程悪かったんだなって納得する。根っこは大人しい普通の男の子なんだよ?」


「それは知ってるけど…」


 …いつまでぺたぺたしてるの?

 触り過ぎでしょ、いくらずっと険悪だったからって。


「にしても、まさかね〜…私が謝られる側に回るとはなぁ…。私まで凛華のこと分かんなくなってきた」


「元々あんまり分かってないくせに」


「…もっと、打たれ強い男の子だったよ。それが…こんな情緒不安定になっちゃって」


 ……そうだっけ?打たれ強いところ見たことないけど…。


 不意に凛華が体を起こした。


「あっ…凛華!」


 一瞬、凛華と椿の目があった時。

 凛華は大きく目を見開いた。


「凛君、大丈……きゃっ…!」


 起き上がった凛華は何を思ったのか突然、椿のことを力強く抱き寄せた。肩に手を置き、目を合わせることはせずに椿の胸元に額を埋めている。

 微かな声で「ごめん…椿、ごめん…」と何度も独り言のように呟き続けていた。


「だ、大丈夫だよ、凛君?誰も、何も怒ってないから…謝らないで、ね?」


 聞こえてない訳ではない筈だ。

 私もベッドに腰を掛けて、凛華の背を優しく抱いた。

 震える肩に手を添えると、椿も前から凛華を抱き寄せる。


「色んな誤解とか、間違いとかあったんだよね?ね、私もそうだよ」


「…ちがう…違うんだよ…。おれは…俺が、俺がいなければ…」


「それこそ、違うでしょ。凛華はここに居る、それを願ってる人も沢山居る」


「でも…俺は、君の…事を、大切な物を何もかも…」


「凛君。私…君のこと沢山傷付けたよ。すごく後悔してる、馬鹿だったなっていつも思う。今ではもう、なんでそんな事になったのかも、よく分かんなくなっちゃった。でも、私でもこれは分かるよ」


 椿はそっと、凛華の頬に手を添えてゆっくりと顔を持ち上げた。

 涙に濡れ、唇を震わせる凛華の額に、コツンと自分の額を触れ合わせた。

 私も瞳を閉じて、凛華の首元に顔をうずめる。


「君のせいじゃない。手のかかる男の子だなって思ってたけど、でもずっと、君は私達の事を守ってくれてたでしょ」


 凛華は自分のことはあまり気にしなかったけど、大切な人の事が絡むと真剣で、でも少し危なっかしい。そんな姿に惹かれたのは、何も私だけじゃない。


「君が何も考えないで行動したせいだって言うなら、私だって同じ。ちゃんと考えないで行動した、だから私が悪い。凛君が自分が悪いんだって言うのは、考えないで行動した所まででしょ?その先まで抱え込んだり、背負ったりしちゃダメだよ」


 …言えないな、私には。同じ事は絶対に言えない。思い付いたとしても、それを言葉にしたくない。


「…それでも、謝るって言うなら…。私は凛君を許せないな」


 凛華はびくっと大きく肩を揺らした。


「こんなに長い間、凛君と顔を合わせない、話もしない。そんな日が続いたのは、すごく空虚で、嫌になる時間だった。こうなったのは私が悪いし…君も悪い。だから……」


 凛華は、自分からゆっくりと、顔を上げて椿と目を合わせた。


「ごめんね、凛君。こんな事になっても、私はまだ君のことが大好きです」


 ……分かってるんだ、私と違って…。


 凛華はきっと、口汚く罵られたとしても受け入れる。むしろそれを望んでいたのかも知れない。

 でも、椿はそんな事しない。したがらない。


「っ…うぅ…ぁぁ……」


 椿が凛華を優しく抱き寄せたのを見て、私も凛華を抱き締めた。


 私と椿は、凛華が泣き止むまでずっと、二人で彼を優しく抱きしめて、頭をなでた。

 涙が枯れるまで、ずっと。

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