第35話 姉妹喧嘩とは言えないが

「真夏の太陽の下、無事火傷せずに帰宅できましたね」

「君の場合本気でそう言ってるからなんかなぁ…」


 体質だから仕方ないんだろうけど。シャレですら無い話なのが本当になんか…うん。

 それを良くネタにして話せるなって。


「あと熱々のカップルに焼かれずに済みましたね」

「心抉られはしたけどな」


 悪夢を見た気分である。


「大丈夫ですよ、傍から見たら私達もそうでしたから」

「涼し気な君が居るからそんなにアツアツには見えないな」


 少なくとも見た目だけならとても涼し気。そんな彼女から視線を外して、ため息混じりにソファに倒れ込む。


「…凛華兄さんは疲れた様な顔してますね。カップルの熱さにやられました?」

「そうかも知れない。これで俺の気持ちが冷めてくれたら万々歳だったけどな」

「上手いこと言ったつもりですか」

「本心だ」


 欠片も悩みなんて無さそうな椿を見てしまったせいで妙にモヤモヤする。

 悩んでるこっちが本当にバカに思えてきた。何で俺がモヤモヤしなきゃ行けないんだよ…。


「私は寧ろスッキリしました」

「…なんでだよ…?」

「これ以上好きな人が、余計な女に労力を割く心配が無くなりましたから」


 さり気なく好きな人って言ってくれるのは素直にとても嬉しい。

 けれど労力は割かずとも心労はするものなんだよ。見てるだけでも。


「という事で、あの人は放っておいて私とイチャイチャしましょうか」


 言いながら、寝転がる俺に覆いかぶさって来た。

 何気に右手を掴まれ、指を絡められる。

 窓からの光に照らされて透き通るような白髪が俺の頬に流れ落ちる。


 白髪と一緒に降りてきた、白い肌の中でよく目立つ彼女の唇に瞳を…そして俺自身の唇を奪われた。

 数秒ほどそのままで。もう一度雫と目を合わせた時、彼女の瞳は揺れていた。


 ノリノリで色気のあった以前とは雫の様子がまったく違う。


「…椿じゃなくて私を見てよ」


 少しだけ余裕がなさそうで、何処の誰に嫉妬してるのかまで嫌でも分かる。


 雫にここまでの顔をさせて落ちない男なんて一体何処のどいつなんだろうな?

 雫に「大好き」とまで言われておきながら、椿の妹である事を理由に、今こうして目を逸らしてるのは誰だ?


 何故そんな事を考えてしまうのだろうか。

 理由なんて分かり切ってる。やはり“椿の妹”だからだ。心の何処かで雫もそうなるんじゃないかって思ってるせいだ。


「凛華、目を合わせて」


 その言葉には従わず、俺は逸らしたままの瞳を閉じた。


 雫と椿では育った環境が全く違う。

 容姿も、性格も違う。

 でも二人が姉妹だということを実感させられる事が結構ある。


 息のかかる距離が少しの間続いて、もう一度その距離がゼロになろうとした時。


 廊下から足音がした。


「は…?」


 すぐに良く聞き慣れた声が部屋に響いた。

 触れ合い絡み合った舌先と、握られた手が強く熱を帯び始める。


 部屋の中の異常事態を気にする事もなく、雫は少しだけキスを続け…熱が離れていった時、一瞬だけ橋が掛かって見えた。


 雫は煩わしそうに視線をリビングの入り口に向ける。


「…な、何やって…」


 俺も追って目を移した。

 雫が玄関の鍵を閉めたのはこの目で見たから、恐らくは彼女も鍵を持ってるんだろう。


 さっき見たばかりの幼馴染みが、部屋の入り口で頬を引きつらせていた。

 それを見て雫は…


「別に。椿は慣れてるでしょこういうの、気にしないで」


 …と言った。いやいや…流石に無理だろ。

 幼馴染みで元カレの、自分から逃げた男が自分の妹とキスしてる状況を見て気にしないで居られるわけが無い。


 心穏やかじゃないのは俺も同じである。


「何で雫が凛華と…」

「“幼馴染み”だから、何もおかしくない」

「おかしいよ……」


 キスはともかく、距離感だけなら別におかしくはない。昔はここに椿も混ざっていた訳だから。


「そっちこそ、デートは上手く行ったの?」


 雫が聞くと、寧ろ椿が顔を背けた。

 その様子からして、“デート”という言葉を使うのに間違いは無いらしい。


 …本当に、悩んでた俺がバカなんだろうな。


 あれから一ヶ月以上も経ってるんだから、吹っ切れて別の男に尻尾振ってても俺が何か言う理由はない。


 それはそうと、椿ってメイクとか出来たんだな。出来ないことは無いと思うが、少なくとも俺は初めて見たから少しだけ意外だった。


 ちゃんとおしゃれに気を使うんだなって。


 俺の現実逃避は二人に知られることはなく、雫は何も言えなくなった椿に追い打ちをかける。


「前も言ったと思うけど、凛華は私が貰うから。椿には相手なんて幾らでも居るんだから良いよね」


 実はそのセリフ俺にも刺さるんだよね、なんでか知らないけど。


「……家族は誰も認めないから」

「私もそう思うよ。何処かの誰かさんのせいで、そうなったの」


 因みに俺もそう思う。黒崎の家族は誰一人雫の気持ちを知らないし、考えてるつもりで考えてないから。


「男なら誰でもいい椿と違って、私には凛華しか居ないから」


 そんな雫の言葉で、椿は顔を上げた。俺も痛いくらいに心臓の鼓動が早くなった。

 二人の言動は、うちに秘めた意味や想いこそ違えどよく似ている。特に、俺のことに関しては似た発言が多かった気がする。


 違いがあるとすれば、理解できない時がある椿の言葉と違って…。


「…それなら雫は、凛華に捨てられたらどうするの?」

「まるで自分は捨てられた…みたいな言い方してるけど、捨てたのは椿でしょ」

「………質問に答えて」


 苛立ち隠すことなく椿は部屋に足を踏み入れる。俺はソファに座り直して、雫は椿の前に立った。


「凛華は幼馴染みだろうと傷付けるよ、だから私は…」


 その瞬間、パチンッと叩いた音が響いた。


 俺は椿が何かするようであれば間に入るつもりだった。

 明らかに苛立っていたから。


 だから雫が椿にビンタした時、まったく動けなかった。

 そして叩かれた椿は俺以上に驚いている。


 俺からは雫がどんな表情をしているのかは見えない。ただ彼女は、いつもと変わらない声色で椿に言葉を投げかけた。


「椿にそんな事を言う資格は無いでしょ、逆恨みも良いところ。恨むんなら凛華が突き放さなきゃ行けなくなるくらいにクズな自分の性根を恨んだら?」

「雫アンタ…!」

「誰のせいで凛華のこと慰めるのに苦労してると思ってるの?椿が引っ越した時点でさっさと身を引いてれば私は今頃胸張って「彼女」って言えてたのに…。無駄に粘るせいで余計に傷付いて、凛華が一番やりたくなかった事までやらせた」


 俺からは殆ど椿との経緯を雫には話してない。恐らくは遥香経由で知った事だろうけど…。


「私は凛華のこと大好き。もう絶対に離れたく無いから、椿と同じ轍は踏まない」

「っ……雫、流石に私も怒るよ」

「好きにして。用が済んだらすぐに出てって。私も凛華も椿には用無いから」


 言いながら、雫は椿の背を押してリビングから無理矢理に追い出そうとする。


「ちょっと話はまだ!」

「話は終わり。荷物持ったら帰って、バイバイ!」

「凛華!なんとか言ってよ!」

「えっ、俺?えっ…と…鍋島先輩はプロからスカウト来てるらしいから、良いと思う」

「っ…!そ、そういう話じゃ」

「ほらほら出てった!」


 瑠衣の話だから信憑性高いよ。甲子園は確実って話だから。てかさ、高校野球って見てる分には良いよな。


 ……現実逃避しすぎかな……。


 …てかアイツ何をしに来たんだ?


「…ふう、やっと帰った…」


 椿を家から追い出して、雫はリビングに戻ってきた。

 ソファに座ったままの俺に飛びついて来ると、そのままごろんと一緒に横になった。

 クーラーの聞いた部屋なだけに、くっつかれても暑くはない。


「ねえ、凛華」

「ん…?」

「…少しは気分晴れた?」


 質問の意図は分からない。


「雫のお陰で、大分スッキリした。俺と違って真正面からああ言えるのちょっと羨ましいよ」


 素直に答えると、雫は可愛らしく笑顔を浮かべた。


「凛華大好きってくらい、いつでも言えるよ」


 そっちじゃねえ、椿に対してだ。

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