至高ナル世界

かぷちん

第1話

 キミはさ、笑ったほうが素敵だよ。絶対。

 懐かしい言葉が不意に蘇ったのは偶然ではない。遥かな稜線から突然に射し込んだ、柔らかな曙のせい。茶色く寂れた山肌が、とたんに色を帯び始める。

 しかし外気は変わらず冷たいままだ。まもなく終わりを迎える冬はいまだ粘り強く居座って、朝露の気紛れな瞬きも、地中で目覚めを待つ春の熱さえも及びはしない。

 優しく暖かな季節が、街道沿いの殺風景な薬師畑を彩るには、まだ二月ほど早かった。

 高々と飛び上がった空中。その頂点でほんの一瞬だけ感じられる無重力が、志弩しど秀礼ひでゆきはたまらなく好きだった。

 浮き上がった躰と高揚感は、やがて万有引力の摂理に絡め取られ、腰にしつらえた網代編みの小物入れがことり、と鳴る。これもいつものことだった。

 落下をはじめると同時に、携えた長尺の斧槍を構える。『はるばぁど』と銘打たれた得物の、まさかりのように分厚い刃の切っ先を、目下で両腕を振り上げたばかりの四、五間はあろう歪な形の巨岩へ差し向ける。

 骸霊がいれい。要約すれば人型の巨人。大陸の読みに字を当てただけにすぎぬから、その字面に意味はない。今回のヤツは岩や砂礫を寄せ集めて人型を為しているものの、鉄製のものや液状の個体もいる。昨今では鳥や獣を象ったものも確認されているから、共通項として『巨人』としてしまうのは相応しくあるまい。

 あえて枠に納めようとするなら、一様に巨大であることくらいか。ああ、それともうひとつ。

 精霊のしもべとされる骸霊は、人間とその文明を襲う。骸霊は人間の敵だった。

 落下の速度を増し骸霊へ迫るにつれ、頭巾付きの黒い肩掛けがばたばたと風にはためいた。『けえぷまんと』という、大陸伝来の外套らしいが、支給品だから詳しくは知らない。

 石積みの櫓のような骸霊。その頭上に数尺まで詰め寄ったところで、志弩は己に授かった能力を解き放った。

 時交わさず、躰が強烈な加速に支配される。『Wicked Beat』と名付けられた力は、もとは骸霊の有するものだったと聞く。何をどうしたものか、その特異な能力を奪い取った人類は、それを適性ある人間に貸し与えて、増加の一途を辿る骸霊被害の対処に当てている。欧州由来の骸霊の力は陰陽師や修験者が用いる、いわゆる神道や魔道とは異なるものなのだそうだが、細かいことは忘れた。まあ崇高な存在である精霊のしもべから抽出した力なのだから、人知れぬものという点では、さしたる違いもない。

 まるで強力な磁性を帯びたような、一心不乱な加速。狙いを付けた頭部から逸れてしまわぬよう、身の丈を越す長さの斧槍をいっそう握り締める。

 今にも振り下ろされんとする、大人の胴体の数倍はあろう巨人の腕を横目に、斧槍の刃先が頭頂に触れた。

 硬く重い衝撃。普通の岩石ではない。意図して密度を高めてあるのだ。骸霊は往々にして、こうした小細工をする。

 だが小細工とするにはなかなか大したもので、帝国陸軍の野戦砲ですら、この外殻に満足な打撃を及ぼすことは叶わない。

 しかし、そうした物理的な攻撃は通らずとも、骸霊の力を預かるこの身と、骸霊を屠るために鍛えられた武器ならば話は別だ。

 泥沼に沈むような緩慢な感触を伴って、斧槍の先端が巨人の冷たい頭部へ亀裂を生んだ。裂け目は見る間に拡がっていく。硬いが、その分だけ脆くもあるのだ。

 脳天を貫かれた骸霊の巨躯が、びくりと痺れたように震えた。

 どれほどの大きさも無いし、どうやら下級の個体だったようだ。やれやれ骨折り損か、と力任せに刃を捻じ込むと、難なく全身が左右真っ二つに割れた。

 地に降り立ち見上げると、縦に分たれた巨人は、崩れ落ちるさなかに風化した。降り注ぐ無数の瓦礫を検めるまでもなく、文字通り土に還ったのだ。

 もうもうと舞い上がる土煙。頭巾の端で口元を庇い俯くと、霞む視界に、玉虫色をした小指の先ほどの珠が転がった。

 精霊球と呼ばれるその珠を拾い上げる。他に例えようもない雅な小石は、断じて綺麗なだけの代物ではなかった。

 あらゆる骸霊はこの精霊球によって駆動する。いわば骸霊の心臓部である。加えて、万物の境を取り払い肉体とするための繋ぎ、つまり依り代でもあるのだそうだ。

 小難しいことはさておき。これを回収するのは、その美しさゆえではない。雇い主であるアメス神教へ提出することで、その希少性に応じた報酬を得られるからだった。

 開国から数年、はじめて日本に骸霊が出現した。帝国陸軍は甚大な被害を被りつつ、からくもこれを撃退。

 だが、これで終わりとはならず。全国で骸霊の出現が頻発し、新政府は思わぬ痛手を余儀なくされたのである。

 仏国に総本山を置くアメス神教が日本へ上陸したのは、そんな折のことだった。宗教的に中立に徹し、かの伴天連すら受け容れぬ仏国が認めた、唯一無二のキナ臭い宗教である。

 精霊球から骸霊の能力を取り出し、人に宿す技術を手土産に、彼らは新政府に掛け合った。

 我々ならば骸霊の殲滅が可能である、と。

 まともに火力の通らぬ謎多き巨人と、骸霊に精通した謎の宗教を天秤にかけた新政府は、渋々ながらアメス神教の国内活動を認めた。

 もとより欧州列強の脅威に晒される新政府に、骸霊に割く余力などあろうはずがなく、かくして骸霊討伐と精霊球獲得のための戦闘行為を許された民間人が誕生した。とされている。教本から学んだにすぎぬから、真実がどうであるかは、知らぬし知ろうとも思わない。

 今しがた回収したものは二束三文だ。換金しようにも、教会支部のある牡丹町に一泊するほうが高くついてしまうような安物である。

 この稼業に身を置いて三年。一見して精霊球の見極めは付けられるようになっていた。

 より高い報酬を得るには、希少性の高い精霊球であることが好ましいが、当然そこいらに落ちているものを偶さかに見付ける幸運など持ちあわせてはおらず、また同業者間でのやり取りも厳に禁じられている。結局のところ、労働の果てに手に入れるほかにないという、まったく民間企業そのままの仕組みが構築されてしまっていた。

 骸霊退治は、労働ではなく活動であろうに。だが、その考えに賛同する者に会ったことはない。むしろ、弛んどるだの理屈をこねるなだの非論理的に罵られるばかりで、まともな討論にもならぬ。しばらくは意地を張ってみたものの、理解されぬことにとうとう嫌気がさしてしまい、近頃ではとんと口にしなくなってしまった。日本のアメス神教徒は働き者であるということだ。

 鈍い光沢を返す精霊球を摘み上げ、小物入れへ収める。安物でも捨て置くわけにはいかなかった。放っておけば、周囲の物質に干渉した精霊球が、新たな骸霊を生み出すおそれがあった。

 其ノ価値ニ依ルコトナク、総テノ精霊球ヲ回収セヨ。

 これこそが、アメス神教日本本部麾下の対骸霊戦闘集団、通称『鬼人衆』に課せられた使命であった。

 骸霊を相手取るのが鬼である必要はあるまいが、きっと仏語そのままでは不都合があるのだろう。外来語は、往々にして長ったらしいものだ。

 維新より数十年。この国は驚異的な速度で吸収した西欧文化を、肚のうちでは認めていないのだと思う。いや、活かせるものは活かすが、日本人たる根底まで譲りはせぬぞと、そういうことかも知れなかった。

 昨年、縄張りを荒らす北の帝国を相手に戦争を始めたのも、そんな矜持あればこそか。とはいえ近代の戦争というのは金が掛かる。骸霊などという怪異に手を焼く金も時間もない新政府は、宣戦布告の直後、実質的に骸霊の討伐から手を引いた。

 街から遠くないところで火器をドンパチされなくなったのは、こちらとしても有難いことだった。軍人に出会う頻度も顕著に減ったから、変な絡みから諍いを起こすこともなくなった。最初はそれで良かった。

 だがどうだ。最近の骸霊の出現数たるや、常軌を逸していると言わざるを得ない。今年に入ってから、骸霊は顕著に数を増やしている。アメス神教の調べによれば、先月は先々月のおよそ二倍の骸霊が確認されたと言うし、志弩の今月の討伐数も、まだ中旬だというのに、すでに先月の討伐数を上回っていた。

 増えたのがノミや蜚蠊ごきぶりであれば人死にが出ることも稀であろうが、骸霊はたった一匹現れただけで多くの人間を死なす。何せ巨大だから、歩くだけで人を圧殺する。だのに歩くだけでなく、充分な怪力を積極的に振るい殴殺する。さらに奇妙な能力を操ってまで殺す。

 てっきり人同士が争うことを戦争と呼ぶのだと思っていたが、ともすれば、この様相もまた人と骸霊の戦争といえはしまいか。人間は平和に過ごすそのかたわらで、どうあっても何かと戦わなくてはならぬと宿命づけられているらしい。

 人であれ骸霊であれ、何かを踏みにじった末に訪れた平和は、真に平和たり得るのか。汚物に絹地をかぶせただけの、勝者の詭弁ではないのか。はたまた平和とは、単に戦争でない時間を数えるための単位でしかなかったのか。

「……」

 考えすぎるのは、悪い癖だった。思考を巡らせることは、それ自体は良いことに違いなくとも、悲観的な思考に取り憑かれて、気持ちを沈めてしまうのは上手くはあるまい。

 今もって人間を襲う目的も判然とせぬ敵の正体を自分が考えたところで、何が分かるものでもない。そういうのは、手先の器用な賢い連中の仕事だ。

「……てる? ねえ聞いてますかぁ?」

 弾むような高い声が耳に飛び込んだ。ぎょっとして振り返ると、薙ぎ倒された馬車の荷台に背を預け、均整の取れた面差しの少女が座していた。

 こちらが少女の存在に気付いたのを確かめてから、少女は身軽に立ち上がった。

 白シャツに黒のネクタイ、燕尾の胴着の上に『くろーく』だったか、同色の長い外套を羽織っている。その隙間から覗くスカートは着ける意味を疑うほど短い。下に黒い股引きを履いているから、他人がとやかく言うものでもないが。

 都会的というか前衛的というか、ともかく面妖な出立ちである。腰をめぐる真田紐にぶら下がった小物入れも、今は手に下げた革製の背負い鞄も西洋のもの。親が西洋かぶれなのだろうが、ここいらの糞田舎では目立つこと請け合いだった。

 鬼人衆の一員となってアメス神教への出入りを重ねるうち、欧風の身なりにいちいち目を丸くすることも減ってきたと思っていたが、こんなに上から下まで洋風で固められると、個性的を通り越して可哀想にすら見えてくる。

 だのにその佇まいは、春を醸す穏やかな風に揺れた赤毛に、とても良く似合った。

 柔和に降り落ちた朝日の陽光を、小さなその躰いっぱいに浴びた少女は、何か聖なるもののように映った。

 自分から声掛けておきながら、志弩が一歩前に進み出ると、警戒心を露わにした少女は身を強張らせた。良い気はせぬが子供のすることだ。斧槍を下げて、露骨に笑顔をつくる。

「逃げ遅れたのか。怪我はないか」

鬼人衆は、骸霊との戦闘行為を行なう以前に、周囲の一般人を非難させる義務を負っている。骸霊はもとより、鬼人たちの身体能力と固有能力も一般人には危険だからだ。

現着時、骸霊が破壊した馬車からは全員を逃したものと思っていたが、こんな派手な子供を見落とすとは。教会に苦情を入れられても不都合だし、少女の見てくれはただの町娘とは言い難い。この場に捨て置くのには一抹の不安があった。

 少女を探す姿も声も聞こえないのは妙だった。一人なのか、と尋ねると、少女はこくりと頷いた。

 仕方ない。面倒だが親元まで送り届けてやるとしよう。娘を助けた事実は揺るがぬのだから、こちらの説明の仕方によっては、親からの心付けだって期待できる。

 笑顔の奥であれこれ思案していると、不意に目の前の少女が瞳に朝日を湛え笑った。

「今のすっごいカッコ良かったんだけど! ね、もう一回やってみてよ。木よりも高く飛ぶヤツ!」

「……え?」

「もしかして鬼人衆? ううん、絶対そうだよね。すごい、初めて見た!」

「それは光栄だ。で、お嬢ちゃんのおウチはどこかな」

「はぁ? なに、ノリ悪ぅ。同年代に見えるけど、もしかしてオジサンなの?」

 歯に衣着せぬ物言いはどこか異国の言葉のようで、志弩がもう少し上の年代だったら聞き取れなかっただろう。

 だが、言葉が荒いからといって、実家が金持ちでない根拠にはなるまい。それに話してみると、初見の印象ほど幼くもない様子だ。振る舞いの大きさは稚児そのものだが。

 二十歳前後、と志弩は当たりを付けた。仮にそうであれば、それなりの説明、釈明は必要である。

 軽めの謝罪を前置いたうえで、改めて自宅の所在を問う。いちいち感情を口にしなければならぬ性分なのか、要領を得ない会話にはいささか苛立ったものの、まさか口にも顔にも出すわけにはいかない。しばし忍耐強く話をした末に、咲楽町という西の隣町に住んでいることを訊き出し、送ってやるからと促して前を歩かせる。

 自らを栞菜かんなと名乗った彼女は十九で、朝の散歩に出た先で骸霊の被害に会ったのだという。散歩なら対骸霊防壁に囲われた、安全な町の中でしろとも感じるが、そんなものは好き好きだろう。

 風のない日は高い壁の中の空気は淀むし、見上げる空も狭い。新鮮な外気に触れ、背筋の伸びるほど広い空に包まれたい思いは志弩にも分かる。

 とはいえ間断なく喋り続け、また問い続ける彼女に、何ら違和感を抱かなかったというのは、まったく不覚というほかない。

「へえ。ここが咲楽町かあ」

 半刻ほど西へ歩いて、磯臭い町の中心部へ着いた矢先の、彼女の嬉々とした一言だった。

「ちょっと臭うなあ。でもお魚が新鮮だっていうから許す!」

「おい」

「菊町のと、どっちが美味しいかなぁ」

「おいって」

「んー。なに?」

「おま……いやキミは、本当にここに住んでるのか?」

「ううん、住んでない。ごめんね嘘ついて」

 苛立ってはならない。どのみち骸霊討伐完了の報告のため、依頼主である咲楽町役場へ立ち寄る必要はあったから、この娘に無駄足を踏まされたわけではない。だから、心を静めろ。

「本当はどこに?」

躑躅つつじ町」

「真逆じゃないか。今度は嘘じゃないな」

「ホントだよ、信じてよ」

 どの口が、とは言わない。餓鬼にしてやられたのは自分だ。その脇の甘さをぶつけるのはお門違いだ。

 餓鬼相手にムキになることもあるまい。

「あの馬車に乗って?」

「うん、荷台にねー」

 破壊された馬車は、確かに頭を西へ向けていた。東の躑躅町からやって来たとする彼女の弁は、ある程度信用しても良いはずだ。

 躑躅町は県境を越えた先の、明峰火神岳の麓に広がる町だ。ここからだと二十里ほどはあろう。距離はともかく、道中は整備の進んでいない箇所も点々とあって、今からでは馬車を出しても日没までに辿り着けるかどうか。

「送ってくれると嬉しいんだけど」

厚かましい台詞に耐えかね、非難の視線を寄越すと、彼女は大きな目を悪戯っ子のように細めた。

「ちゃんと送って頂けないと、両親に何て話しちゃうか、分からないわ」

 少女は、こちらの意図を見透かしたような発言をした。

「護衛が鬼人衆なら親も安心するわね。愛娘を無事に帰してくれた恩人に、余計な詮索もしないと思うけどなぁ」

 鳥肌が立った。

 見掛けよりも、ずっと賢い。

 こいつ何者だ。華族かそれに連なる筋の女と思っていたが。大陸伝来の悪い薬を扱う連中のような、強かな周到さを彼女は窺わせた。

 だが、彼女の身元の如何にかかわらず、教会に告げ口されるのは好ましくない。新政府の耳にまで届けば、最悪の場合、鬼人衆の資格の剥奪もあり得る。

 こんな小娘に首根っこを押さえられているのは面白くなかったが、上手い具合に言いくるめられる相手とも思えぬ。今は従うほかあるまい。

 いっそ事故を装って、どこかで殺してしまおうか。昨今の状況を鑑みても、躑躅町に至る道のりで骸霊に出食わす可能性は低くない。たとえ骸霊が出てこなくとも、そんなものは後でどうとでもなる。山のほうはまだ雪深いから、死体を隠しておく場所にも事欠くまい。

 よし。ならば幾らか準備が要る。今頃になって目覚めたように、急速に頭が回り始める。

「牡丹町までだ。そこまでは送ってやる」

 ほの昏い胸中をこれ以上見透かされぬよう、彼女を追い越して前を歩く。

「えー。その先は?」

「キミの態度次第」

「なに、変なことさせる気?」

「もう少し魅力的だったら—— ぐっ」

 彼女の拳が背を突いた。当たりの強さから、人を殴り慣れていると知れる。やはりこの女、ヤバい筋の関係者か。

「ほら、早く行こうよ」

 しかし横目に見えたその表情は、無垢な子供のように生き生きとして見えた。


 ねぐらのある神門かんど町の外れに戻った時には、もう昼を回っていた。これから牡丹町へ向かうと夜中になるがどうするかと尋ねる。自分一人なら少し休んでから夕刻に出るところだが。栞菜はさすがに夜間の旅を嫌がった。夜の暗さを恐れたというより、東司の都合を憂いたようだった。

 そうした心配をするあたり、やはり良家の出を匂わせるものの、それだけで見極めるのは時期尚早だ。

 水はどこかと訊かれ、障子の外の井戸を顎で指す。揚々と屋外へ踊り出た騒がしい彼女は、汲み上げた桶を覗いて悲鳴をあげた。

「あなた、あんなの良く飲めるわね。信じらんない」

 障子の隙間からしかめっ面を突き入れて喚く。人の家にお邪魔する身の上で、失礼にもほどがあろう。

「嫌なら川まで行ってくるといい。綺麗だぞ」

「川って?」

「用水路。少し歩くがな」

「えー。着いて来てよ」

「疲れた、面倒臭い」

「……もういい。てゆうか、あなた絶対カノジョいないでしょ」

 言わでものことをさらりと抜かして、腰袋から小さな紙包を取り出した彼女は、こちらを憚るように井戸へ戻り、包みの中身を口に流し含んだ。

 薬か。あれで隠れたつもりであるなら、如何わしい商売に加担しているということもあるまい。

「どこか悪いのか」

「ううん、気休め」

 その後の彼女はそれまでが嘘のように静かになって、陽が沈みきる前に眠ってしまった。そして晩飯を済ませたころにようやく目を覚まして、差し出された食事をぺろりと平らげた。彼女が語る通り、体調が優れぬわけではないようだった。

 灯を消し、煎餅布団に包まって月を眺めるうち、志弩はいつしか眠りに着いていた。

 断続的に何かを引き摺る音が聞こえて、夜中に目が覚めた。音の出どころを探ると、障子を開けて月空を見上げる栞菜が鼻を啜っていた。

 月に涙を流す彼女は夢の続きのように幻想的で、その光景を不覚にも雅だと感じてしまった。声を掛けるべきか躊躇ううち微睡に呑まれ、再び目を覚ますと朝だった。

 やや冷える朝。空気は軽やかだから、概ね晴れるに違いない。

 先に風呂に浸かってから、おそらく遅い就寝を迎えただろう彼女を叩き起こす。屋内から風呂の位置を確かめた彼女は、また喚き散らした。

「小っさぁ! あれホントにお風呂?」

「気にいらんなら、別に入らなくても良いぞ」

 背に腹は代えられぬらしく、彼女は不貞腐れたまま外へ出た。絶対見ないでよ、などといっぱしの女性の台詞を吐き捨てた彼女が消えて、その間に朝食を準備する。

 二人で取る朝食はずいぶん久しい。そして騒がしい。だが、悪い気はしなかった。

 一服して、昨日のうちに纏めておいた荷物を担ぎ塒を後にする。

「そういえばさ、牡丹町へは、わたしを送るためだけに?」

 両脇を乱雑に組まれた石垣に固められた細道を、さも楽しげに弾みながら先を歩く栞菜が、振り返って訊いた。

「まさか。換金と更新のため。キミはその次いで」

「手続きのためだけに? 莫迦みたい」

 精霊球の換金こそ次いでで、目的は鬼人衆之証の更新だった。鬼人はすべからく、その躰のどこかに『焼印』を捺されていて、これに適合することで骸霊に対抗する身体能力と特殊能力を手にする。ただ、焼印と称されはするものの、これが真の焼印でないばかりに数年も経つと徐々に薄れて、やがて消えてしまう。焼印が薄まるにつれ能力の力は弱まり、完全に消失すると当然ながら能力を失う。

 再契約すればまた能力を与えられるものの、この場合、それまでとは異なる能力になってしまうことから、現在の能力が気に入らないだとか、鬼人衆を抜けるつもりでもない限りは、定期的に捺し直さなくてはならなかった。

 胸元の焼印は、おおよそ半分に薄れている。いったん薄れ始めてからの進行は早いから、もってあと数週間。戦闘頻度によっては数日で能力は失われてしまうだろう。もっと早めに更新して然るべきだろうが、事情もあって後回しにしたあげく、著しい能力低下を感じて焦り出した、という体たらくだ。

 そんなだから、取り立てて栞菜の要求を拒む理由はなく、むしろ重い腰を上げる良い機会だと思えば、有り難くすらあった。

 神門平野の畑一色の景色が開けて、愛宕湖の水面が陽を照り返す。岸辺を北へ回り込み、山々の麓に沿って東へ転進すれば、やがて薬師山宿場に辿り着く。

 薬師山には骸霊が出現しない。対骸霊防壁もしつらえてないというのにだ。山の中腹にある宿場でも、骸霊を目撃したという話を聞いたためしはなかった。

 つまり薬師山へ入山してしまえば、山を降りるまで骸霊に会うことはない。科学的な根拠は薄いが、傾向的にはそういうことになる。

 霊験あらたかな土地ということもあって、宿場へ近づくほどに人通りも増える。

 本気で栞菜の始末を考えるなら、人目は憚らなくてはならない。だが往来の少ない湖南側の街道は、満足に休憩できる場所も少ないことから、栞菜が嫌がった。無理強いして怪しまれることを気にする当たりが、小心者の証拠である。

 骸霊を狩り人を守る鬼人が、人を殺めるために骸霊を待ち望むなど前代未聞。それこそ教会に知られれば大問題、死罪もやむなしだ。

 これほど薬師山に近付いてしまってはもう期待できぬかと、鏡の湖面に目を落とした時、あっと栞菜が叫声をあげた。

「ねえ志弩。あれ見て!」

 突然の金切り声に驚いて、志弩は彼女の指差す先へ視線を流した。

「陽炎だよ、こんな時季に」

 確かに。十間ほど離れた正面に、空気が揺らぎ踊って見える。見えるが、しかし。

「だから何なんだ。いちいち騒ぐな、うるさ——」

 言葉が途切れたのは、眼前でみるみる大きくなる陽炎に抱いた違和感からだった。

 陽炎とは普通、地面から立ち昇るものだと思う。自然現象に長じているわけではないが、空中で寄る辺なく弧を描く淀みは、陽炎とは違う気がした。

 訝しんで見詰めるこちらを意に介するふうもなく、それはなおも大きく、色濃く変容していく。

 志弩は斧槍の刃を覆った晒木綿さらしもめんを剥ぎ取った。

「そーゆう言いかたは良くないよ! 『でりかしぃ』って知ってる?」

「そんなだから、女もいないんだ」

 これは骸霊だ。骸霊は肉体を構築する際、構成する物質を急激に寄せ集める。

 差し当たりコイツは空気を肉体とする個体で、それが実体化する瞬間を、図らずも栞菜が見付けた。そういう解釈になる。

 己の内に力のみなぎる感触を得て、その仮説は確信的となった。

 実体化を果たした、半透明の塊。体内の空気がぐるぐると渦巻いている。鎌鼬かまいたちのようだと思った。

 近くに通行人もいない、今が好機である。アメス神の思し召しだろうか。自分を拾う神など、どこにもいまいと疑わなかったが。

 興味津々の様子で首を傾ぐ栞菜。彼女を退けることもなく、陽炎に正対し得物の先端を差し向ける。

 空気の奔流はいまや、高さも横幅も十尺を超す大きさで、それでも足らぬとばかりに膨らみ続けている。やがてそれが徐々に変形して、人のような手足を生やした。

 ようやくその異様を察知した栞菜が、唖然と押し黙ったままきびすを返した。しかし骸霊は、己の間合いにあるはずの彼女が逃走に転じても、その手に掛けることはしなかった。

 やれやれ、やる気があるのか。

 ならば、その気になって貰うとしよう。

 たん、と跳ねて陽炎へ突撃。骸霊にこちらが鬼人だと知る手立てはないから、その虚を突いて初撃で仕留めるのが定石である。精霊という崇高な存在の遣わした尖兵といえども、その知能は虫並みなのだ。

 たが今回は己の保身のため、僅かばかり手加減してやる。

 人体の耐え得る限界を凌駕する、激しい加速からの刺突。骸霊の力を纏った肢体から繰り出す一撃が通じぬ道理などない。

 だというのに、斧槍の先端は何かに弾かれた。何にかは分からぬ。言うなれば不可視の何か、ということになろう。それは武器を弾いただけに留まらず、猛烈な圧力で躰を押し返した。

 真横で爆発でも起こったような、急激で強力な圧力。耐えきれず遂に両足が浮き上がり、吹き飛ばされる。

「弾け、『Wicked Beat 』——!」

 賜りし力の名を囁き、骸霊の攻撃と思しき圧力から逃れる。上体を捻って着地、間断なく再度の突撃を試みたのは、敵が何をしたのか、知っておきたかったためだ。

 よくよく見れば、陽炎の巨人はこちらの動きに応じて身を屈め、次いで一気呵成にその四肢を伸ばした。

 これが見えない圧力を生じる所作だ。だが始解の動きを見切ったに過ぎず、敵の攻撃の正体を見極めたわけではない。

 圧のはしる速度を思い描きながら、今度は目一杯の力で斧槍を突き出す。先端が重苦しい衝撃に触れ、そして裂いた。

 しかし、先刻と同じく斧槍が逸らされる。嵐のような爆風に躰ごと吹き飛ばされ、同じように能力を用いて脱出。よろけながらどうにか着地するものの、三度の特攻は躊躇われた。

 全力をもってしても、骸霊に刃は届かなかった。

 見えない力とは如何にも怪しかった。もしや自分と同じ能力だろうか。

「ちょっと、やられっぱなしじゃん。何やってんの!」

 一度は距離を取った栞菜が、今度は不用心な大声を上げて駆け寄って来ていた。反射的に手を払って追い返すが、言うことを聞かぬ彼女は、志弩の傍に添った。

 考える前に躰が動いてしまう、こうした気質もまったく餓鬼臭い。

「離れてろ、危ないんだ」

 思ってもいない台詞が口を突いて出た。こんな心無い言葉を、難なく口にするのが大人であるとも思いたくはなかった。

「鬼人衆でしょ。どうして超能力を使わないのよ」

 なるほど。傍目にはそう映るらしい。

「使ってるんだ、これでも」

「え」

「俺の『Wicked Beat 』は、効果範囲内の慣性を支配、制御する能力だ」

「ん? うぃっきー?」

「もういい」

「ていうかさ、アメス神教ってフランスでしょ? 今のういっきーナントカって、英語なんだね」

 言われてみればそうだ。いやいや、違う。戦闘に集中だ。

 依然、骸霊に能動さは感じられなかった。迎撃特化の能力か。ますます同系統の線が濃厚だ。

 だとすれば、栞菜が骸霊の被害にあって死ぬという筋書きは、いささか無理がありはしまいか。警察の捜査はそれで誤魔化せるとしても、教会の研究所が精霊球を解析すれば、栞菜を殺した骸霊が自発的な攻撃をしないことくらい、容易に露見するのではないか。

 それに、そろそろ騒ぎを察知した平民たちが集まって来る頃合いだ。爪の先ほどの疑惑も持たれるわけにはいかない。

 仕方ない、ここは諦めたほうが無難だ。

「良くないよ。もう一回説明して」

 ああ、鬱陶しい。苛立ちに思考を乱される。

「俺を中心として、およそ十六尺。この範囲内のあらゆる運動で生じた慣性を、曲げたり跳ね返したり、逆に引き寄せたりするのが、俺の能力だ」

 この説明をすんなりと飲み込んだ人間はいない。説明としての出来の悪さは自覚するところだが、みんな一様に小難しい顔で押し黙る。

「うん。それで?」

 莫迦なのか莫迦にしているのかは分かりかねた。

「てゆーか、引き寄せるって言ったけど、あんな大きい敵をわざわざ近付ける意味は?」

「敵を引き寄せることも無くはないが。大抵は敵へ向けて俺が急接近するために使う」

「あーなるほどね。理解理解」

 嘘つけ。よもや彼女の水筒には、酒でも忍ばせてあったのではないか。骸霊が進路を塞いでいて、頼みの綱の鬼人の力が及ばぬ状況下で、どうしてそんなに冷静でいられるのだ。恐怖の感情が欠落しているのか。

「で、苦戦の理由は説明できる?」

「……慣性を操作するには、俺がその慣性をどれだけ認識しているかが肝要となる」

 慣性のはたらく方向、速度、性質を具体的に認識、理解しているほど、より強く干渉できるのだが、じつは慣性だけが動いている状況というはあまりない。普通は何らかの物体を介した『運動』という形で慣性を目視しているのだ。

 つまり目に見えぬものを思うさまにすることは出来ぬし、目で追えぬ速さで移動するものを操ることも叶わない。少なくとも今の自分には、視認し得ないものに能力を及ぼすだけの技量はなかった。

「カンヨウ?」

「大事ってこと」

「つまりこういうことね。敵の攻撃を認識できないから、防げないし破れない、と」

「え——ああ、まあその通りだが」

 何だ、こいつ。瞬くほどの僅かな不審の眼差しを、彼女は見過ごしてくれなかった。

「こんな見た目に反して、頭は結構良いんだよね。高等女学校だって出てるんだから」

 無邪気な哄笑に似つかわしくないことを言う。

 半透明でその威圧が伝わりにくいとはいえ、確実に存在する骸霊を前にして、しかも反撃の手立ても見付からぬというのに、こいつは何なんだ。

 栞菜が得体の知れない生き物に見えて、志弩は背筋がぞくりとした。だが、すぐに気持ちを整える。

 鬼人として認められたその日より半年間、あらゆる武道を教わり、それらに共通して根差す感情の制御、すなわち不動の心構えを嫌というほど叩き込まれた。動揺を抑え、最大効率の技を迷いなく打てる精神状態へと、即座に立て直すものである。

「敵の姿、攻撃。これらを明確に視認しきれていないことが、俺の能力を減衰させているんだ」

 ややこしくなりそうなので、焼印が薄れていることは伏せ置く。

「ゲンスイ?」

「……弱めている、で良いか?」

 うん、と首を縦に頷き、彼女は元いた場所へ足速に帰って行った。

 やれやれ。彼女を始末する役どころとしては最高に不向きで、それどころか、今のところ倒す算段も立てられぬ敵。能力的な相性の悪さを差っ引いても、そこそこ高位の個体に違いない。

 溜め息しか出ない戦況だったが、高位の骸霊ということは、その精霊球には相応の価値があるということでもある。そうとでも思い込まなければ、萎えしぼんた己の志気を奮い立たせることはならなかった。

 そう思って、ただ佇立するだけの骸霊に目を向けると、揺らめく骸霊の胸部に納まる玉虫色の粒が透かし見える。

 あれは『枷』による『過給』だ。敢えて弱点を晒すという『枷』を身に課すことで、能力の底上げを図っているのだ。鬼人衆対策かどうかは定かではないが、この手のせせこましい増強を施した個体は多い。

 今回は骸霊からの手出しがない防御型だから、過給で嵩増しした分を守備に全振りされていると厄介だ。単独で倒せぬとなると、応援を要請しなくてはなるまい。だがそれでは精霊球を換金しても、取り分が目減りしてしまう。

 面倒ばかり目につく。とはいえ知恵を絞って精霊球を取り出しさえすれば、骸霊はただちに沈黙、間を置かずして崩壊する。幸い、というか向こうから行動する気配は無いから、考える時間は充分あった。

 ともかく、骸霊の放つ圧力に一度でも耐え凌がなくてはならない。さすれば二撃目が来る前に斧槍が届くはずだった。そのためにも圧力の認識を強める策が必須。何とかして視覚化できれば、勝ち筋も見えて来そうなのだが。

「ちょっと離れてて!」

 おもむろに栞菜が巨人へ走った。慌てて止まるいとまも無く、骸霊の間合いにあと僅かというところで立ち止まった彼女は、両手に抱えた袋を高々と放り投げた。

 袋に反応したのは疑いようもない。骸霊は屈んだのち、大きく伸びをするように身を開いた。

「そうか!」

 彼女の意図に気付き、同時に自分の莫迦さ加減を呪った。

 圧力に触れたとみえる袋が、骸霊の頭上で炸裂、中身が撒き散らされる。一方の栞菜は、と視線を落とすと、すでに圧力の及ばぬ位置まで逃げおおせた後だった。聡明なのは認めるが、俊足でもあるのか。無茶をまかり通す少女の後背に、図らずも失笑が漏れ出た。

「何が入れてあった!?」

 飛び散ったものが毒物では目も当てられぬ。まあ、そこを考慮できぬ娘でもあるまいが。

「メリケン粉ぉ! 馬車にあったヤツ!」

 莫迦莫迦しさに耐えかね吹き出してしまう。そうと知られてしまわぬよう、頭巾に顔をうずめて、上目にメリケン粉をまぶされた巨人を覗き見る。

 見える。骸霊を軸に半球状の壁が膨張している。

 これならやれる。斧槍を天に掲げ、跳ぶ。

「そう、それ! カッコ良い!」

 十間ほどは跳んだか、ついに重力に縛められた躰が下降を始めた。いや増す落下速度に委ね、斧槍の先を足元の壁へ差し向ける。

 メリケン粉のおかげで、回転しながら拡がる壁の子細がありありと見て取れる。こんな突破口も見い出せなかったとは、つくづく情けない。

 渦巻く壁に切っ先が触る刹那、能力を発動。斧槍で回転を巻き取るふうに絡める。

「引き寄せろ」

 わざわざ言葉にするのは、そのほうが認識の強化に一役買ってくれると知ってからだった。言霊というものは存外、疎かにできぬものらしい。

 引き寄せるとしたものの、彼我の質量差は歴然。引き寄せられるのは壁や骸霊ではなく、自分自身だった。

 圧力の壁から奪い取った慣性は強烈。四肢が千切れるのではと不安を抱くほどの、傍若無人な加速を強要した。

 果たして手も足も出なかったはずの壁は、溶けるように綻びを生じ、左右に裂けた。熱したさじを当てられた『あいすくりん』みたいだと思った。ちなみに食べたことはない。高いから。

 いまだ衰えをみせぬ加速感に身を任せ、骸霊を守る繭のような渦を突き抜けると、渦は瓦解し消失した。回転力をなくしたのだから、それも当たり前だが、それは慣性すなわち、志弩に怒涛の荷重を与える推進力を失くしたことでもある。

 しかし躰にはまだ加速の残渣が残されている。この勢いをなるべく殺すことなく、骸霊の胸元ただ一点に狙いを付ける。

 舞い散る粉が肌に煩わしい。せ返るのを堪えて、刺突を繰り出す。

 衝突の瞬間、よもや落雷かと見紛うほどの衝撃が骨身を穿つ。身体強化が施されていなければ、骸霊と身に纏った加速の荷重との狭間で、ぺしゃんこに潰されるか、ばらばらに千切れてしまっていたはずだった。

 その雷鳴の如き渾身の一撃を、骸霊は止めた。刃先が精霊球まで到達せずに、半ばにて失速したのだ。骸霊の防御云々の話ではなく、単純な出力不足だと思えた。焼印の薄まった弊害は、予想するよりも深刻だったらしい。

 おぼろな巨人の肩口に足を掛け、斧槍を急いで引き抜く。

 もう一度だ。同じ箇所を突けば、次こそ必ず精霊球に至るはず——再び上空へ揚がろうと膝を屈めた時、巨木の幹まわりのような骸霊の腕が迫って、首から下を囚われた。

「志弩!?」

「くっそ……!」

 迎撃特化はどこへやら。渦の壁を破るか内側へ侵入すると、とたんに排除に動くのか。

 握り潰される。死の覚悟を決める猶予さえ寄越さず殺す気だ。そう悟った、その刹那。

 むかしの攻城兵器で城門を突き崩したような、鈍く重厚な音とともに、骸霊がその巨体を傾いだ。

「!?」

 それは一度のみに終らず。轟音が大気を震わせるたび、骸霊の躰が低く折れ、やがて膝が地に落ちた。

 するりと緩まった巨人の掌から抜け出し、不測の追撃に警戒しつつ、こちらも地に降り立つ。

 虫のように身を丸めうずくまる骸霊。その傍らに、大柄で屈強な男の姿があった。不動を貫きながら淡々と、しかし執拗に巨人を責める男の正体を認め、志弩は舌打った。

 くろがね灼道しゃくどう。それが本名であるか定かではない。分かっていることは、彼が鬼人衆の一員であること。そして極めて厄介な男だということだけだった。

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