第5章 18 ザヒム・オルタート

 『リムネー』の旅行から帰ってから1週間程経過したある日の出来事だった―。


ボーン

ボーン

ボーン


アリオスの執務室に置かれた大きな振り子時計が午前10時を告げた。


「ふ~…」


アリオスは溜息をつき、ペンを書斎机の上に置くと目頭を押さえた。今日は朝から細かく書かれた書類に目を通す仕事が多く、業務を開始してまだ1時間しか経過していないがアリオスはすでに疲れがたまっていた。


「アリオス。お前疲れているんじゃないのか?ここ最近ずっと働き詰めだろう?」


アリオスの秘書を務めるザヒム・オルタートが声を掛けて来た。彼はアリオスの学生時代からの友人で、非常に頭が良かったが変わり者だった。同じ職場に居続けた事が無く、半月ほど前に2人で会って食事に行った際に貿易会社の社長秘書を辞めたという話を聞かされ、それなら自分の秘書になってみないかとアリオスが声を掛けたのがきっかけだった。


「ああ…確かに少し疲れてはいるが…」


アリオスは溜息をついた。


「よし、任せろよ。俺が今お茶を淹れてきてやるよ」


ザヒムが立ち上がった。


「お、おい。わざわざお前がする事は無い。メイドかフットマンに頼めばいい事だから」


「いいって。いいって。俺はな、オールマイティな男なんだ。以前働いていた職場でも社長のお茶を淹れていたんだぜ?社長は俺のお茶が偉く気に入って、他の誰かがいれたお茶はもう飲めないって言ってたくらいなんだからな?」


「本当か?話を少し盛ってるんじゃないのか?」


アリオスはからかように言う。


「お?言ったな?それじゃお茶を淹れてくるから待ってろよ?俺のお茶を飲んで腰を抜かしてもしらないからな?」


軽口を叩きながらザヒムは執務室を出て行った。


「全く…本当にあいつは相変わらずだな」


ザヒムはアリオスの一番の親友と言っても良い程の仲だ。彼は裕福な伯爵家の三男で家督を継ぐ事は決してなかった。もとより本人にその気が全くなく、その為貴族でありながら会社勤めをしているのであった。



****


「えっと…厨房は何所なんだ‥‥?」


広々とした廊下に出るとザヒムはキョロキョロ辺りを見渡した。この時間は使用人たちは外回りの清掃をしている為、屋敷の中は静まり返っている。


「参ったな…アリオスに聞いて来るか…」


そうつぶやいたとき、ザヒムの目に1人の女性の後ろ姿が映った。長い金色の髪に白いブラウスに紺色のロングスカートを履いている。手には数冊の本を持っている。


「あの女性は…侍女かな?よし、彼女に聞いてみるか」


そこでザヒムは大股でその女性に近付くと、足音に気付いたのか女性が振り返った。その人物はスカーレットだった。


「あ、すみません。厨房の場所を教えて貰えませんか?」


「え?ちゅ、厨房ですかっ?!」


スカーレットは苦手な男性に声を掛けられて思わず硬直してしまった。


「あの…どうかしましたか?」


何も事情を知らないザヒムは首を傾げた。スカーレットはザヒムを見た。ダークブロンドの巻き気にグリーンの瞳…アリオスと同じ位整った顔立ちで、身なりもきちんとしており、シャツにポーラー・タイを結び、ダブルベストにボトムス、そして革靴と整えている。


(た、多分真面目な方だわ…)


身なりでそう判断したスカーレットは震える声を抑えながら説明した。


「あの、こちらの廊下をまっすぐ歩いて頂くと階下に続く階段があります。その階段を降りて右に進んでいただくと厨房があります」


「ああ、そうですか。どうもありがとうございます」


ザヒムは笑みを浮かべて頭を下げると厨房へ向かった。そして思った。


(とても美しい女性だったな‥‥)


と―。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る