その13 偶然は諦めない時にやってくる

「やほー」


 自習となった6時限目に、西園寺はいつものようにやってきた。


「さっきは、ありがとうね」


 西園寺は糸のように細いぐるぐるした横髪をかきあげながら口を開いた。

 ただ、彼女の横髪は細すぎて、すっと手をすり抜けて、元通りに戻った。

 その仕草に、俺は悔しくもドキドキしてしまった。


「さっきじゃないよ、もう1時間以上前のことだし」


「こまかいー」


 そりゃ、ラノベ作家になってから、死ぬほど締切というものに時間の大事さを教えこまれたからな。

 現に、俺が今自習時間を使って、原稿書いてるのもそのため。


 さすがに学校では堂々とパソコンもしくはスマホを出して書くわけにはいかないから。

 今原稿用紙に書いたものを、家に帰ったあと、推敲しながらパソコンに打ち込むつもりだ。


 どこの学校も同じだとは思うけど、自習とは名ばかり、こうやって、会話をしているのは俺と西園寺だげじゃない。

 黒板に大きく書かれてある「自習」という文字を皮肉るかのうように、教室は仲良しグループごとに集まって、ワイワイしているのだ。


「時間にルーズになったら、地獄が待ってるからな……」


 地獄というのは誇張でも比喩でもなく、そのままの意味だ。

 『虹色の涙』の第一巻が締切に間に合わなさそうだったときは、俺の担当編集の沢咲さんは毎日の電話による進捗確認を30分ごとに変えてきやがった。

 あれで、俺はひどくメンタルをやられたのと同時に、締切は守ろうと心に誓ったのだ。


 その時は夏休みに突入したからいいものの、もし、二学期で締切に間に合わなかったら、沢咲さんはなにしてくるか分かったもんじゃない。

 それほど、あの人からはやばい匂いがする。

 いや、物理的に嗅いだわけじゃないよ? 「私の匂い嗅いでみる?」って誘われたことはあるけど……


「なにそれ、ウケるー」


「だから、ウケないって」


 西園寺がクスクス笑ってるのを見て、俺ははぁとため息をついた。

 

「てか、何の用だ?」


 俺は原稿用紙をそっとしまいつつ、改めて西園寺に向き直った。

 草稿とはいえ、商業作品を見られるのはまずいからな。


「いや、聞いてなかったの!?」


「急に大声出すなって! 頭に響く……」


「だから、さっきはありがとうって」


「あれね、俺はなんもしてないよ」


 自分の作品の世界とリアルを行き来していたら、すっかり西園寺と話してた内容を忘れていた。

 にしても、わざわざお礼を言いに来るなんて、案外律儀なやつだな。

 でも―――


「感謝するなら、瑠璃川に言いなよ」


 ―――そう、西園寺、彼女を助けたのは瑠璃川で、俺はただ階段の下で見ていたに過ぎない。


「うーん……そうだけど……でもさ、伊桜くんも助けようとしてくれてたでしょう?」


「別に?」


 なんもしてないやつが気持ちレベルの話で感謝されてもね……


「なにそれ? ツンデレ?」


「ツンデレの『ツン』の字もないんだが?」


「あはは、ウケるー」


「だから、ウケないって」


 ほんとに、西園寺との会話は目的を把握しにくい以前に、そもそも進まない。

 もしかして「別に」という言葉を使った人間は全員ツンデレだとは思ってないんだろうな、この子は。


「伊桜くんはどうしても、あたしのことが好きで助けたかったことを認めたくないなら、この話は置いといてやってもいいよー」


「勝手に惚れさせるな。あと、なにその上から目線は?」


「素直じゃないね、ウケ……」


「ないよ」


 伊達に西園寺と長らくこんなくだらない話してきたわけじゃない。

 さすがに3度目は先手を打つよ。

 頼むから、話を進めてくれ……

 こちとら締切という悪魔に取り憑かれているんだから。


「伊桜くんはなんで自習の時にみんなみたいに誰かと雑談したりしないの?」


「それは嫌味か?」


 話が進んだと思ったら、皮肉かよ……

 俺に話しかけてくるのはお前みたいな残念系美人しかいないんだよ。


「あっ、そういう意味じゃなくて、伊桜くんはいつも自習時間になにか書いてて、すごいなって……思ったの!」


「それはどうも。でも、これはただの暇つぶしだよ」


 佐渡川文庫大賞に受賞するまではねというのは言わなくていいだろう。

 実は俺ってラノベ作家なんだよねって自慢するタイプの人間じゃないし、俺が『虹色の涙』のだって知ってるのは瑠璃川だけでいい。


「そう? はこれからどうするの?」


「そうだね、初音の気持ちはまだ憧れだから、主人公に恋するのはまだ先かな……ってお前、今なんて?」


「うん? 気になったから聞いてみただけだけど?」


「いや、そうじゃなくて……」


 初音というのは、俺の『虹色の涙』のヒロインの名前だ。

 なぜ、西園寺は俺の前でそれを聞いてくる?


「そうそう! ずっと聞きたかったんだけどさ、初音ちゃんのキャラデザどうだった? 沢咲さんは伊桜くんが執筆で忙しいから、なかなか取り合ってくれなくてよ」


 何かを思い出したみたいで、西園寺は急にまくし立てる。


「キャラデザ?」


「伊桜くんの描写だと、弱気な女の子みたいなのがしっくりくるけど、よくよく読んだら、初音ちゃんって芯が強い子だって分かったの! だから、私なりにそういうふうにアレンジしたんだー」


「ちょっと待って……」


 俺はこめかみを抑えて、じっくり考えだした。

 初音ちゃん? 沢咲さん? キャラデザ? 私なりにアレンジした?

 うん、分からん。


 俺の作品のイラストレーターがよりによってクラスメイトなわけないよね。

 しかも、まだ俺の作品が書籍化決定されていなかった一学期からずっと話しかけてくるこの子だなんて、偶然にしてもほどがあるわ。

 それこそ世界狭しといえどありえない話だ。


「お前、なにもんだ?」


「うん? 『虹色の涙』のイラストレーターの『Reina』だよ」


「はい、OK、これは夢だ。西園寺、1発殴ってくれー」


「はーい」


「痛てぇな! まじで殴るやついるのかよ!」


「えっ! 伊桜くんが殴れって言ったんだけどなー」


 俺の肩に拳を叩き込んでくる西園寺。

 この場合、冗談言って殴られたやつと冗談を真に受けて殴るやつ、どっちのが被害者だろう……


 でも、時系列的にはおかしくないか。

 俺が『虹色の涙』の第一巻の原稿を提出したのは夏休みに入ってまもないころのことだった。

 だから、西園寺がほんとに俺の作品を担当したイラストレーターの『Reina』だったら、確かにいくら早くても、俺と面と向かってこのことを話せるのは新学期の初日の今日しかないわけで。


 てか、西園寺って絵とか書けたっけ?

 こいつの美術の点数いくらだ?

 やばい……そもそもそんなもんに興味がなさすぎて覚えてるかどうか以前の問題だ―――これからは少し他人に興味を持とう。


「いや、でも、お前、授賞式のときにいなかったよね?」


「依頼が溜まりすぎて出る余裕が無かったんだけど?」


 お前、ほんとに高校生か?

 いや、俺も人のこと言えないか。

 大賞なだけあって、『虹色の涙』の売れ筋はおおむね良好。

 賞金に加えて、先日印税も振り込まれたから、俺は普通の高校生よりちょっと金持ちになっている。


「それだよ! なんで天下のイラストレーターの『Reina』が新人の俺の作品のイラストを担当してるんだよ!」


 もし、西園寺がほんとに『Reina』なら、忙しすぎて授賞式に出れなかったのも頷く。

 だって、『Reina』は今大人気のイラストレーターで、色んな出版社から引っ張りだこなんだから。


 そんな『Reina』が俺の『虹色の涙』のイラスト担当になったと沢咲さんから聞いた時はそれなりにびっくりした。

 というのも、俺は正直出版業界に疎く、『Reina』に関する情報は全部沢咲さんが教えてくれた。

 「伊桜くんのイラスト担当は大物だよ」とそう言われた。


「だって、伊桜くんの作品のイラスト描きたかったもん!」


「いやいや、もん! じゃないよ! なんで『虹色の涙』の原作者は俺だと分かった!? 俺はペンネームで発表したんだよ?」


「え? だってそのペンネームって伊桜くんの名前をちょっといじっただけじゃん?」


 なぜか、すごいデジャヴだ……

 そんなに俺のペンネームは身バレしやすいのか!?

 それともこいつは名探偵だからか!?


「お前のペンネームだって、名前の『玲奈』をそのままローマ字にしてるだけじゃないか!」


「玲奈って……いきなり下の名前はちょっと……」


 なぜか、西園寺はただでさえぐるぐるとした横髪を巻きながらもじもじしだした。

 やめろ! それ以上やったら、ドリルになるわ。


「いや、照れてる場合か!」


 よくよく考えたら、こいつもどっこいどっこいじゃないか。

 ていうか、それで西園寺が『Reina』だって気づかなかった俺ってバカなの?

 いや、それは無理もないか。

 あの大人気のイラストレーターの『Reina』が高校生で、しかもクラスメイトだなんて普通思わないもんね。


「それでね、色んな依頼が来た時に、あっ、伊桜くんの作品だ! ってなって、受けちゃったんだー」


「それはどうもありがとう」


「で、キャラデザのほうは気に入ってくれた?」


「気に入ったもなにも、最高の出来だと思ったよ……」


 なにかを失った気分だ。

 いや、理由は分かってる。

 キャラデザの原案を見せられて、めっちゃくちゃ感動したあの『Reina』先生がまさか目の前にいる西園寺だったなんて。

 なんかこうイメージと違うというかなんというか……


 西園寺は見てくれはいいよ? 美人だし。

 けど、「ウケる」だの、「んだけどー」だの、イマイチ締まりのない発言を繰り返すクラスメイトが『Reina』だなんて。

 もっとこう、凛とした感じの人を想像したんだけどね。


「なあ、やはり分かんない」


「なにがー?」


 俺の質問に、西園寺は間延びした声で返事してくる。


「なぜ俺なんだ? クラスメイトってだけで、ほかの依頼を蹴ってまで俺の作品のイラストを担当するか? 普通」


「君がずっと書き続けているからだよ」


「え?」


 いきなり、「君」と呼ばれたことに驚いたのもあるけど、それ以上に彼女が何言おうとしているのかが分からない。


「伊桜くんが応募したのは初めてじゃないでしょう?」


「なんでそれを知ってるの?」


「それなりにパイプがあるのよ? だから、君が何度も選考に落ちたことも知っている」


 西園寺は机に両手をついて、真剣な顔で俺を見つめてきた。

 それは俺が初めてみた彼女の表情だ。

 いつものちゃらんぽらんなのと違って、凛とした表情。


「諦めるための言い訳はいくらでも言えるけど、諦めないための理由はなかなかないよ」


 君は後者を選んだ、と西園寺は付け加える。

 なぜか、今の西園寺は瑠璃川と被って見えた。


「そりゃ、諦めたくないからだよ……」


 寂しさを紛らわすために小説を書いては、それを公募に出していた。

 誰かに見せるために書いたわけじゃないのに、なぜか選考に落ちる度、次こそ受賞するものを書こうと、俺はずっとそういう矛盾した気持ちを抱えていた。

 今考えたら、俺はただ、諦めたくなかっただけだったんだね。


「それが伊桜くんの理由だね―――」


 そう言って、西園寺は机から手を離してぐるりと俺に背を向けた。


「諦めたくないから諦めない。正解だよ」


「お前が哲学みたいなのを言ってるのって、すごく似合わないんだよね」


「あはは、そうかなー? でも、それで、私は君のイラストレーターになったんだー」


 背中を向けられてるから、西園寺の表情はよく見えない。

 だけど、きっとさっきみたいな真剣な顔をしていると思う。


 このとき、こういうこと思うのは不謹慎かもしれないけど、髪をレースアップに編み込んだ西園寺の後ろ姿はとても綺麗だなって。

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