その6 男が入るべからざる聖地
勢いで強引に瑠璃川にショッピングモールに連れてこられたとはいえ、学校一の美少女との外出にはやはり胸踊るものがあった。
瑠璃川は肩出しの半袖の白いワンピースを身に纏っていた。袖はふわふわと膨らんでいて、スカートの丈も割と短かった。所々フリルが付いてて、控えめに言ってすごく可愛い……
瑠璃川と一緒に歩いていて分かったことがある。彼女は物凄く周りの人から注目されている。漫画やアニメじゃないから、そういう人達がヒソヒソと何を言っているのかは聞こえないけど、多分、その子めっちゃ可愛くない? 的な会話なんじゃないかな。
「隣に歩いてる男って彼氏かな?」
あーあ、聞こえない聞こえない。俺と瑠璃川を見てこんなベタな会話をする人など存在するわけが無い。俺は耳を塞いで、近くから聞こえてくる会話の続きを頑なに聞こうとしなかった。これは現実逃避ではない、俺の中の世界観を守る正当防衛だ。
漫画みたいにこういう会話が露骨に聞こえないものかと思ったら、まさかほんとに近くを通った人がボソッと呟いたのが耳に入ってくるなんて。
やはり、瑠璃川はこの世界の法則を超越した存在なのかもしれない―――ほんとに漫画でしか起きえないと思っていたイベントをリアルで体験することになるとは……
ふと瑠璃川の横顔を見てみたら、思わずドキっとしてしまった。くりっとした目に雪を彷彿とさせる白い肌。綺麗な長い黒髪。そして、横から見た時のすっと通った鼻筋。何一つとっても完全無欠で、眩しい。
ここにいる男たちに俺が瑠璃川の裸とパンツを見たことがあると知られたら、袋叩きにされるに違いない。
ほんと、男の理性をいとも簡単に崩壊させる存在感を漂わせてるよね、瑠璃川って。
「なにきょろきょろしてんの? 早く行こう?」
お前は注目されていることに慣れているのか……入学した日から、動物園のパンダみたいに別のクラスからもいっぱい男子がやってきて瑠璃川を見に来てたから、慣れて当然か。愚問を発したことを詫びよう―――なんて俺が考えている間に、瑠璃川は俺の手を繋いで、とことこ歩いた。
その手はちっちゃくて、柔らかい。そしてほのかに瑠璃川の体温を感じる。
彼女はなんでこんなに簡単に異性と手を繋ぐことができるのだろうか。やはり今までモテてたから、こっちの方にも慣れてるのかな。
「手……繋がなくても歩けるって」
恥ずかしさとなんとも言えない感情が入り交じって、俺は少し悪態をつく。
「人の目を気にしない。わたしたちはわたしたちなのだから」
考えていたことを全て見透かされたように、瑠璃川は俺にそんな言葉をかけてくれた。
気づいてたんだね。俺が周りの視線にビクビクしていたことに。そして、俺たちではなく、お前と誰かのことを考えていたことに。
瑠璃川の言葉から少し勇気を貰って、俺は彼女の手を握り返した。その途端―――
「にひひ」
―――彼女は振り返って、俺に向かって照れたように笑った。綺麗な歯並びがキラキラと光っている。
「早くいかないと可愛いの売り切れちゃうよ!」
「下着の在庫ってそんなに少ないわけないだろう!」
そうツッコミを入れつつ、俺は瑠璃川の後ろについて、ショッピングモールの中にあるランジェリーショップに向かった。
なんだここは!?
天国か!?
彩り鮮やかな女の子の下着が陳列されているランジェリーショップ。
そしてなんのためにあるか分からない下着の機能を成してないものがたくさん置かれている。
思わずじーっと見つめてしまう。
このほとんど透け透けで薄いやつはなんのためにあるのだろう……
まさに男の聖地。妄想が捗る。
「ねえ、ジロジロ見ないでよ? 不審者みたいだよ?」
「うん?」
瑠璃川にそう言われて、我に返って周りを見てみたら、店の中にいる女性達の視線は俺に集まっている。
俺は勘違いしていた。
ここは天国ではない。天国の見た目をした地獄であった。少なくとも男にとってはね。
俺は女性達の視線に背徳感を感じて、瑠璃川のそばまで近づいて、あくまで彼女の買い物に付き合っているという体を呈していた。
「ねえねえ、これとこれ、どっちのが可愛い?」
瑠璃川が手に取ってるのは紫色に黒い花が縫われているセクシーな下着と白い生地の上にリボンやフリルが付いてるシンプルだが可愛い下着だった。
可愛いけど、お前はそれでいいの? どっちの面積も俺のハンカチより狭い気がするよ……
「ど、どっちもいいじゃない?」
堂々と振舞おうと努力すればするほど、言葉がしどろもどろになる。
ランジェリーショップ、魔性な場所だ。
「あはは、じゃ、試着してくるね!」
透けていないだけで、ほとんど無に等しいそれを着て、お前は何をするつもりだ、瑠璃川!
最近の女子高生はみんなこんなにませてるのかな―――それはそれでありなんだけどね……
瑠璃川が試着室に入って俺1人だけが取り残されたので、不審に思われないように、視線を床に落とす。
ふと、俺の前に興味を引くような札があった。
「3点セット―――」
3点セット!? ブラとパンツ以外にも下着が存在するのか!
恐る恐る、札に書かれている内容の続きを見る。
「―――ブラ、パンツ、Tバックの3点セットで〜す」
一瞬、体が硬直したのを覚える。
好奇心が背徳感に勝ったせいか、俺はその「3点セット」とやらに手を伸ばした。そしてゆっくり中身をチェックする。
「3点セット」はその名の通り、同じデザインのブラとパンツが入っていた。そして、パンツとはまったく同じような―――ただお尻を覆う部分が大幅に削られている―――Tバックもあった。
思考が混乱する。
Tバックはパンツではないの? それともTバックの上にパンツを履く感じなのか?
女の子はブラとお揃いのパンツを履くのが普通だって誰からか聞いたことがあるから、どう考えても、ブラ1個足りなく無いか?
4点セット―――ブラ2つとパンツ、Tバック―――なら分かるけど、3点セットはどうやって使うんだ?
そして、俺は自分の辿り着いた結論に、悪寒を感じた。
まさか、パンツとTバックは使い分けなのではないだろうか。そう、例えば、普通の日は機能性重視のパンツを履いてですね、か、彼氏とかとデートする日はやる気満々のTバックを履くような使い分けを女の子はしているのではないだろうか……
触れてはいけない、俺にはまだ早い大人の扉に触れちゃった感じがして、俺は心の中で慌てる。
これが、勝負バンツって文化なのか!?
まさか瑠璃川もTバックを持っているのか!?
普段家ではセクシーだけど、一応普通なパンツ履いてるから、想像もしてなかったけど、可能性はあるな……そう思うと体の一部が火照ってしまって思わず前屈みな姿勢になる。
ここは魔境や……
にしても、瑠璃川遅いな。
「伊桜くん、ちょっと来て〜」
そう思った時に、瑠璃川の声が聞こえた。声の方に振り向くと、試着室から手を出して俺を招いてる瑠璃川がいた。
なんだろうと思いつつ、試着室に近づくと、瑠璃川は一気に俺を中に引っ張りこんだ。
そこにはさっきの紫のブラとパンツしか身につけていない瑠璃川の姿があった。
「なにぼーっとしてるんだよ? 感想を言ってごらん?」
自分の姿にまるで恥じらいを感じていないかのように、瑠璃川は聞いてきた。
「……いい」
「声がちっちゃくて聞こえないー」
「エロい」
「ちょっと! そこは可愛いでしょう!」
思わず本音を言ってしまった。
ていうか、問題はそっちですか?
なんで堂々と俺をお前が着替えている試着室に引きずり込んだの?
こういうのってほんとの彼氏にしてやりなよ……俺は勘違いするから。
「じゃ、次は白い方に着替えるから、見ててね〜」
「はい?」
瑠璃川が耳を疑うような発言をしたから、聞き返した。
「うん? 伊桜くんに選んで欲しいから、見ててねって言ってるんだけど?」
「まさかとは思うが、お前、俺の前で着替える気?」
「そうだよ? なにかおかしなこと言った?」
ダメだこいつ。感覚がおかしい。家でのあのラフな格好といい、風呂場の蛇口が壊れたときにお湯を掛け合ったことといい、こいつは羞恥心を持ち合わせていない。
ていうか、俺に見られてもいいのかよ!そ、その色々大事なところを……
ペットボトルでお湯流した時はできるだけ見ないようにしていたからいいものを、今ここで着替えたら、100パーセント何もかも俺に見られてしまうよ!
「ちょっと! 伊桜くん! なんで出ていくのよ!」
逃げた。
俺は試着室からも、魔境からも逃げた。
とりあえず走りながら、瑠璃川にRINEで買い終わったら連絡してって連絡入れといて、俺は人生最高スピードで猛ダッシュして、ランジェリーショップを出ていった。
もう、あそこにこれ以上にいると、犯罪者になってしまう気がする。
男の聖地? いや、遠くから見てるだけならそうかもしれないけど、いざ中に入ってしまったら、ただの魔境だ。理性を奪われるぞ!
そして、俺はしばらくショーピングモールをぶらぶらと歩いていた……
「もう、なんでいなくなるのよ!」
RINEで連絡貰って、瑠璃川と合流したら、彼女はつんつんしたら破裂しそうな顔をしていた。
「だって……」
「男だからしゃんとしなさいよ!」
「男だから無理だろうが!」
無茶言うなよ……あそこで堂々とできる男なんて早々いないと思うぞ?
「言っとくけど、別にデート中にいなくなったから怒ってるわけじゃないからね! 疑似恋愛の一環をサボってることに対して怒ってるからね!」
それ、ツンデレに聞こえるのは俺だけですか?
そういう言い方辞めて? ほんとに勘違いするから。
「ごめん……」
「ふーんだ!」
「これ……」
腕を組んで頬をふくらませる瑠璃川の手を取って、俺はさっきぶらぶらした時に買ったイヤリングを握らせた。
珍しく貝殻の形をしたイヤリングで、キラキラして可愛いと思った。
そして気づいたら買っていた。
「えっ?」
「瑠璃川に似合うかなって……ほ、ほら、俺ってデート中にいなくなったわけだし、その、お詫びにというか……」
「うふふ」
「なにがおかしいんだよ!」
「わたしの言った通りだなって思って」
「言った通り?」
「伊桜くんは優しい人だな〜って」
頬が熱くなるのを感じる。ほんとに瑠璃川に似合うと思ったから、プレゼントしたいなって思ったから買っただけなのに……優しいなんて言われたらなんて言えばいいか分からなくなる。
「あはは、伊桜くん、顔真っ赤―――さっきのわたしの下着姿を思い出して興奮してるの〜?」
「ちがっ……」
「でも、ありがとうね……」
俺が反論しようとしたら、瑠璃川は俺が渡したイヤリングを頬に当てて、いつもと違った笑顔を見せた。微笑んでいるような、愛しいものを肌で感じているような、そんな笑顔。
「ねえ、付けて?」
「え?」
「これ付けて?」
瑠璃川は急に耳にかかってる髪をかきあげて、イヤリングを耳に当てた。その仕草に、俺は思わずドキっとした。
「そ、そんなの自分で付ければいいだろう!」
「疑似恋愛の一環だよ?」
「ったく、しょうがないな」
疑似恋愛を自分の行動を正当化する理由として使っている瑠璃川に、なぜか俺は嫌な気持ちになれなかった。
そっとイヤリングを受け取り、俺は彼女の耳にゆっくりとそれを付けた。
「似合ってる?」
「うん、すごく似合ってる」
「あはは」
気のせいか、瑠璃川の頬は少し赤い気がした。
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