第四十一話 決着

「教師に暴力を振るうなんて退学ですよー」


 壁に激突したアオイ先生の額からは一筋の血が流れていた。ただ、その表情はにこやかだ。いや、笑みが張り付いていると言った方がいい。


「生徒に体罰を加えた教師のほうが先に免職だよ」


 ニココはアオイ先生に向かって身構えた。その体罰を振るわれていたミキはアオイ先生のテレキネシスから解放された。だとすると、アオイ先生は少なくともテレキネシスを発動できないくらいのダメージを負ったに違いなかった。


 ミキは艦長席の近くの床に横たわっていた。その四肢は無残にもねじくれている。ぴくりともしない。


 九重はそんなミキを身じろぎもせずに見ていた。死んでしまったのかとも思ったが、どことなくそんなミキの姿に違和感も覚えていた。アオイ先生を出し抜こうとするほどの者が、こんなカンタンに倒されるだろうか。


 アオイ先生はニココに向かって手を差し向けた。


「荻川さん、あなたはもうわたしの生徒ではありません」


 アオイ先生のひたいから血が肌に吸い込まれるように消えた。


「こっちこそ願い下げよ」


 ニココは言い返した。その瞬間、ニココは何かに押さえつけられたかのように姿勢を崩した。アオイ先生のテレキネシスが今度はニココに向けられていた。九重は、ミキのことを気にしている場合ではなかった。アオイ先生のテレキネシスを打ち消すべく意識をニココに集中する。力場がニココを守るイメージだ。


 すると、アオイ先生が九重のほうを向いた。


「布川さんね? 凄い力です。数千年に一人現れるという人間のエスパー。運だけではなかったのですねー。こんな形で出会わなければ、仲良くできたかもしれないですね」


 九重は取り合わない。精神を防御に集中する。だが、結局、ニココの体は壁に向かって勢いよく飛ばされ、ニココはしたたかに打ち付けられた。


「無駄ですよー。この船のシステムを使って、わたしのテレキネシスを増幅しました。それにしても、凄い力です。ワイズの力をワイズの技術で増幅しなければ対抗できないとは。『キューブ』の力を使えば、布川さん以外にもエスパーを見つけられるかもしれませんね。楽しみです」


 アオイ先生は口の端を歪めた。九重は、自分の体が凍りついたように動かなくなるのを感じ始めていた。


「アオイ先生、『キューブ』でいったい何をされるつもりですか」


 事態を静観していたエトアルが唐突に聞いた。


「中条さんは授業妨害はしないのですね」

「本国からのオーダーがありますので」


 エトアルは何の感情も表に出していなかった。アオイ先生もそれ以上は突っ込まない。


「まあ、いいでしょう。勉強熱心なのは感心です。もちろん『キューブ』を止めて、人を古代の縛りから解き放つのです。それだけではありませんが」

「それだけではない、というのはどういうことでしょうか? ……ちなみに、それはルーマンとどう関係するのですか。本国が気にしているだけの理由があるのですよね」

「関係するのはルーマンだけではありません。この『キューブ』は、大掛かりな精神改変兵器。ここから出されている波動は、ケンタウリの精神に何らかの形で作用しています。それが何かはわかりませんが。わたしはすべてのヒトを管理するのに使おうと思ってます。中条さん、あなたの国に忠誠心をもつのもいいですが、先生に従うほうが生徒として正しいですよー」

「ルーマンへの技術供与はどうなりますか」

「ことが済めば、この船を差し上げるつもりですよー。約束通り」


 エトアルは黙っている。アオイ先生が目的を遂げた後で、この船をルーマンがもらったとしても、そもそもルーマン主星国がそのときに存在しているかどうか怪しい。


「地球の人間たちに作ってもらいましたから、人間も同じものを作れるでしょうけどねー。でも大丈夫です。あなたたちはみなわたしが管理してあげますからー。『キューブ』に接続すれば簡単です」

「先生は誇大妄想狂ですか」


 エトアルがついに口答えのように聞こえることを呟いた。


「いいえ。実験のためです」


 アオイ先生はたんたんと言った。


「わかりませんか? この船を見ても」


 エトアルはアオイ先生を睨みつけていた。圧倒的な力の前になすすべはない。アオイ先生が自己顕示欲からか質問に答える性質なのを逆手に取った時間稼ぎも、決定打を見つけられるほどの時間は稼げない。そして、アオイ先生の意図など、エトアルには想像もできなかった。


「もしかして、すべてのヒトの力を集中させる?」


 九重には思い当たることがあった。


「正解。さすがです。それでは、次に、何のためでしょうか?」


 九重は、正解が分かっていたが、言うのをためらった。自分やニココの夢が、目の前の暴力教師と同じなのがイヤだった。だが、話を進めるためには、答えるしかない。


「……人智外星系探査」


 九重は呟いた。


「そう! そうです、布川さん。人智外星系、ヒトの最後のフロンティア。ですが、この一万年、どこまで行っても何も発見できていません」

「希少鉱物や新たな法則が発見されたりして技術革新がしばしば起こったはずですが」


 エトアルが指摘した。一般に、人智外星系探査は宝探しといわれ、未知の星を探査するロマンと一攫千金の代名詞でもある。


「そんなもの、いくらあってもしょせんは俗世の富に過ぎません。わたしが見つけたいのは、わたしたち以外の生命体」

「それは夢物語じゃないですか。ワイズから提供された数少ない真実の一つ。人智外星系にヒトの理解できる生命体はありえない」

「そうですね。でも、『キューブ』は一万年前から伝わるワイズの伝説の通り、存在しました。ワイズではお伽話扱いでしたが、禁止されていた技術を使ってテレパシー連結をすれば、ほら、簡単に」


 そう言うと、アオイ先生は中央のメインモニターを指し示した。九重、エトアル、そして痛そうに体を押さえたニココはモニターに映った巨大構築物を見た。


「布川さんがわたしのこの喜びを共有できる生徒でよかったです。津川さんは残念ですが、みなさんも、わたしの気持ち、わかってくれますよね? この船の技術と銀河系のすべてのヒトの力で人智外星系を探索する。きっとわたしたち以上の生命体が発見できるはず。わたしを次の次元に引き上げてくれる、本当の神。ワクワクしませんか」


 つまり、アオイ先生の「気持ち」が共有できないようならミキのようになる、と言っているのだ。


 ニココが体を押さえながら立ち上がった。


「確かに、人智外星系は甘くない。先生の言う通り、それくらいしないと未知のものは本当には明らかにはならないかもしれない」


 アオイ先生はうなづいた。


「たいした力ももたないバーナードなのに、頭脳は明晰なようですね」

「でも、そんなやり方じゃ、わたしは納得できません。それじゃ、先生が面白がっているだけです。みんなの力を利用して」


 エトアルはため息をついてから、意を決したように言った。


「先生、残念ですが、わたしも先生のやり方には賛同できません。端的にリスクが大きすぎます。先生が失敗すれば、銀河系の既知の生命体が消耗品のように捨てられるだけです。成功しても同じかもしれませんが」


 九重も、アオイ先生に従うつもりはなかった。


「先生、冒険したいなら一人で行ってください。おれたちはまだここで学ぶことがあります。おれたちはまだ何も知らないんです。むりやり力を合わせるんじゃなくて、ケンタウリやルーマン、人間、そしてワイズのみんなが平和裡に力を合わせるには何が必要か、を」


 アオイ先生の額の目が閉じ、下の二つの目が開いた。赤く怒りに燃えていた。


「あなたたちはまるでワイズ評議会のようなことを言うのですね。評議会は同じようなことを言って、約一万年、あなたたちの進化を待ちました。ですが、いつまでも紛争、戦争ばかり! 宇宙に目を向けることなど思いもしない野蛮人じゃないですか。……わかりました。しょせん野蛮人のあなたたちに最後まで期待したわたしが愚かだったようです。エスパーの力は惜しいですが、元々計算外。なくてもいい」


 アオイ先生がそう言った瞬間、船のデバイスで増幅されたテレキネシスが九重たちを押し潰したはずだった。


 目を閉じて力の奔流に打ちのめされるのを覚悟した九重が、しばらく何も起きないので目を開けると、アオイ先生が停止していた。赤い二つの目を見開いたまま。


「みなさんの意見、確かに承りました」


 誰もが動けないそのとき、立ち上がったのはミキだった。

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