第三十六話 恒星間航行
サイコシップ・アネモネアペンニナを建造したのは、阿賀校長を幹部とするライトヒューマンソサイエティの協力企業。表向きは銀河機構の最新鋭探査船だ。実際、探査船としての機能も持つ。
もっとも、九重たちの眼前に映し出されている映像はスペースシップとしてはそう特殊なものではない。 ヒトの感覚でわかりやすいように補正された眼前の宇宙を投影しているだけだ。その星空は、瞬きながら移動しているように九重の目に映っていた。
「荻川さん。そろそろ頭が冷えた頃でしょう。拘束を解きますが、暴れようなんて思わないように」
硬直していたニココの表情が、まるで止まった時から解放されたように少しずつ生気を取り戻していく。だが、その表情は険しい。九重のほうをちらと見て力なく微笑む。
「どうしてわたしの拘束を解いたんですか」
ニココは体をほぐしながらアオイ先生に聞いた。
「もちろん、授業を受けてもらうためです。まあ、他のバーナードの方たちのいるところに置きに行くのもめんどうですし」
モノ同然の言い草だ。だが、そんな物言いにもニココはいちいち反応などしない。
「みんな安全なのでしょうね」
ニココに関心のあるのは具体的な危険だ。アオイ先生によれば、バーナード人はさしたる役に立たない。ということは、いつ消されてもおかしくないわけだ。
「ええ、もちろん安全です。事故のないように気を付けていますから。それに、バーナードの方たちがいないと困ることもあります。船外修理とか」
「事故」というところでニココの眉がぴくりと動いた。
武装生徒たちを使った「実習」には、十分に人死にが出る可能性はあった。実際、重傷を負った者もいる。死者が今のところいないのは、運に恵まれたにすぎない。仮に死者が出たところで不幸な「事故死」というわけだ。
「……人間の武装生徒、様子がおかしかったのはなぜですか」
ニココの次の関心は、人間の生徒たちがなぜ短期間で危険なテロ行為に加担したか、だ。
アオイ先生はブリッジを見渡す位置からコンソールを操っているケンタウリ人の様子、それを見つめるメイフェアの様子を観察していた。
いったい、アオイ先生は何を監督しているのだろう、と九重は思った。
「荻川さんもなかなか勉強熱心ですね。ご想像の通り、お薬です」
アオイ先生はとくに隠し立てをするつもりはないようだ。
「命令に従わないと恐怖を感じる薬物を投与しました。私のオリジナルです。人道的でしょう? 命令に従うと快楽を感じる薬物でもよかったんですよ。でも、それだと命令を求めるようになってしまいますから。かわいそうでしょ?」
アオイ先生は慈愛に満ちたかのような笑みを浮かべた。依然として額の下にある二つの目は閉じていたが。
「……校長先生や先輩の様子は少し違っているようでしたが?」
九重はおそるおそる口を挟んだ。
「それは感受性が鈍ってきているからです。一年前、わたしが銀機高に赴任してからずっとお薬を散布してますから。少し考えればわかるはずですよ」
アオイ先生の閉じられた二つの瞼が少し開いた気がした。九重に仕掛けた接触性の毒が効かなかったことを思い出したのかもしれない。
アオイ先生は携帯端末を取り出すと、なにやら操作し始めた。操作といっても傍からはテレキネシスで浮かせた携帯端末を見ているようにしか見えない。
「質問時間はもう終わりです。津川さん、ちょっと」
アオイ先生は無言で立っていたミキを手招きした。
「みなさんをエンジン区画に案内してあげてください」
そう言うと、アオイ先生はメイフェアの方を向いた。
「寄居さんも、ここはもういいですから、みなさんと一緒に」
メイフェアは、さっきまで気を取られていた何かから解放されたかのように、九重たちに向き直った。
「きちんとレポートをとっておいてしてくださいねー。津川さんもですよ」
アオイ先生はそう言うと、スクリーンを振り返った。
九重とニココも、スクリーンを注視した。メイフェアもだ。
みな、息を呑んだ。そこにはケンタウリ星系の三連恒星があった。
「こちらです」
ミキは事務的にそう言うと、それぞれに恒星間航行の感慨に浸っている九重たちを尻目にエレベータに向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます