第三十五話 出航

「先生、質問があります」


 とにかくこの会話を引っ張るしかない、そう九重は感じていた。出航してしまえば、逃げ場は今以上になくなる。


「ルーマン人はエンジン要員として、ケンタウリ人はいったいどんな役割が与えられているのでしょうか」


 アオイ先生はよしよしと言わんばかりに頷いた。


「それ、気になりますよね。サイコパワーには二種類あるのです。一つは、同じ次元平面上に作用する力。ルーマンの方たちのテレキネシスですね。もう一つは、別の次元平面上、精神世界に干渉する力、短く言えば精神干渉力、ですね。そのケンタウリ星系にある未知の機械は、その次元にあります」


 九重にはそもそも「サイコパワー」なる語彙がないはずだった。だが、なぜか意味がわかる。それに、別の「次元」という言葉にも不思議なことに違和感はない。


 アオイ先生は続けた。授業は始まっていた。


「サイコシップの推進力の技術は、その危険性から厳しく制限されているとはいえワイズでは既知。ですが、この精神干渉力を統合し次元に穴を開け干渉するほど増幅する技術はこのわたしのオリジナル。危険だからといって制限するなど、ワイズ主星評議会のお偉方は保守的すぎます」


 そう言うと、アオイ先生の額の瞳が瞬いた。


「一万年前から作動している機械を停止させたらどうなるかわからないのは確かです。ですが、だからといって、リスクをゼロにするまでなんて待てません。それに、必要な精神干渉力だって、ケンタウリのみなさんに協力してもらえれば問題ありません。精神干渉力の使い過ぎもサイコパワーの使い過ぎと同様に生命力も消費しますが、なんでもそうです。がんばりすぎて死んでしまう人なんていくらでもいます。なのに、すでに何人ものがんばった方々の尊い犠牲の上にあるわたしの研究計画を禁止するなんて非道です。だからもう、評議会には黙って研究することにしました。とはいえ、この実習、きちんと単位を出しますから安心してくださいね。先生、仕事を放りだす気はありませんから」


 そう言うと、アオイ先生は隣のメイフェアに声をかけた。


「寄居さん。まだソラさんは見つかりませんか」

「船内ではケンタウリ人が一名、行方不明のままです。それ以外に変わりはありません」

「おかしいですね。記録上はソラさんは乗船していたはずですが。まあ、いいでしょう。ソラさんも不思議な生徒ですが、しょせんは人間。この船の出航にはマイナーな要素です。行方不明のケンタウリの方も、船のどこかにはいらっしゃるのでしょうし」


 メイフェアは確かに委員長然とした優等生のような雰囲気ではあったが従順だ。ここにいるケンタウリ人全員が実質的には人質だと考えれば、ほかに選択肢はないのだろう。それはみな同じだ。自分自身さえそうなのだ。


 それからアオイ先生は近くにある端末に目を向けた。端末はテレキネシスで効率よく手早く操作され、エンジンルームにいるエトアルを呼び出した。


「なんでしょう、月崎先生」


 エトアルの声からは何の感情も感じられなかった。


「そろそろ出航しましょう。ケンタウリ星系はそう遠くありませんから、みなさんがそれぞれにがんばれば脱落者は出ないはずです」

「……善処します」


 エトアルの顔は無表情なままだったがその声は苦渋を隠しきれていなかった。


「中条さん。計算上は相当に余裕があるはずですが?」


 アオイ先生がエトアルの声に含まれる逡巡に気づいた。


「……アオイ先生、テレキネシスは強い者もあれば弱い者もいるのです。このサイコパワー増幅装置は、あまりそういう個人差は考慮されておらず、各人に応分の負担といっても、弱い者には過剰な負担となります」

「なるほどー。個体差って、そんなにあるものなのですね。それでは出航前に銀機高から補充しましょう。何人いれば足りそうですか?」

「いえ、その必要はありません。なんとかします」

「そうしてください。それでは、出航です」

「わかりました」


 エトアルの声は絞り出されたかのようだった。サイコシップのエネルギー要員をこれ以上増やす必要はない、犠牲者は自分たちだけにする、そんな意思が九重には感じられた。


 次の瞬間、九重たちの目の前のスクリーンに映っている星々が瞬いたかと思うと、位置が変わり始めた。


 サイコシップ・アネモネアペンニナはケンタウリ星系に向け出航した。

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