第七話 銀河人類帝国皇女

「ここにこうしておれば、おまえの肉体のある次元ではほとんど時間は経たん。ここはな、いわば、超加速次元じゃ」


 その女子はえらく悠長にしゃべった。超加速が聞いて呆れた。


「いったい何を言っている? おまえは誰だ」


 九重は、自分の体が見えないことに気づいた。周囲も暗く、目の前の不思議なドレスを着た女子以外、認識できない。そして、そのドレスの女子は顔をセンスで隠しており見ることができない。


「ほほほ。もっともな質問じゃがな。まずはおまえに少しく情報を提供してやらねばな。でなければ、同じようなことが何度も起きての。おまえが困るからの」

「ヘンな夢を見ているな、おれ。無理もないか」


 九重は明晰夢を見ているのだと確信した。疲れ切ったときに起こる、夢のなかで夢だと気づく現象だ。


「それももっともな反応じゃがな。よく聞け。おまえの開けたあの封筒のなかにな。今の民間の技術では検出されない致死性の毒が仕込まれておった。前の戦争で使われたヤツじゃ。でもな、今からおまえの体を耐毒性に改変するからの。安心せい」

「いくら異星人との生活が不安だからって、われながらどうかしてるな」


 九重は自分の妄想が夢で具現しているのだと思った。


「そう思うのも無理はないがな。じゃが、毒は毒じゃ。おまえはもう大丈夫じゃが、他の人類には危険じゃ。さいわい熱処理で無毒化するからの。おまえが目覚め次第、わらわのパイロキネシスであとかたもなく燃やし尽くしてやるからの。それが夢でないことの証明と思え」


 パイロキネシス。火を自在にコントロールする超能力で数千年前に使えた者がいたとかいないとか。人間社会では伝説だ。それこそ今は、扱えるとしたら三つ目人くらいかもしれない。もしそれが本当なら確かに夢ではない。夢だったとしても、夢から覚めて夢だと気づいたところで痛くもかゆくもない。


「けっこう凝った夢だな。わかったよ。信じるよ。で、結局、おまえは誰なんだ」


 その不思議な女子は顔を覆っていたセンスをたたんだ。その顔は、見覚えのあるような顔に思えたが、濃い霧がかかっているようでよく見えない。センス、何か意味があったのか。


「よかろ。わらわの名を聞いて知るがよい。銀河人類帝国皇女ヒトエイチヌノヒメじゃ」

「ヒトエイチ?」

「ヒトエでよい」


 顔にかかった霧。怪しげな雰囲気。暗い空間にうすぼんやりと発光した姿。


「幽霊?」

「……まあ、似たようなもんじゃの。でもな、少し違っておる。わらわは、おまえじゃ」


 九重はまるで理解できなかった。銀河人類帝国は一万年以上前になくなったはずだ。それも皇帝以下、皇族が全員謎の失踪を遂げたことで。


「わらわの話が飲み込めんのも無理はないがな。銀河人類帝国皇族は精神生命体としてより高位の次元へと移行した。じゃが、この世との縁が切れたわけではない。たまに精神寄生体として子孫の遺伝情報から発芽することがあるのじゃ」

「たまに発芽」


 九重はぼんやりと繰り返した。


「ふつうは発芽した時点でその前の人格は吸収され統合されるが、おまえの場合、なぜか併存しておる。さすがわらわといったところじゃ。面白かろ」


 ヒトエの顔は見えないはずだが、なぜか九重には笑ったのがわかった。


「面白くない。どうしておまえがおれなんだよ。んなわけない」


 九重はアイデンティティ崩壊の危機だ。赤の他人としか思えない人格が自分を名乗っているのだ。


「そう思うのもしようがないがな。だが、実際、わらわはおまえの心の中におるのじゃ」

「……わかったよ。もういい」


 九重は、すでに自分の理解を大幅に超えている事態に突っ込むのを止めた。夢のなかで言い争っても仕方ない。ヒトエはセンスを開くと九重に向けた。


「これからの話をするとな。わらわが表に出ると面白くない。『強くてニューゲーム』なんぞ、ちいとも面白ろうないわな。じゃから、『弱くてニューゲーム』。つまり、おまえに任せるぞ。もっとも、どうもわらわの見る限り、おまえの置かれておる立場は少々ハードモードのようじゃ。『弱すぎてニューゲーム』じゃとすぐに死んでしまうからな。そこは多少面倒みてやる。あとはがんばれ。わらわを楽しませよ。つまり、おまえも楽しめということじゃ。ほな、な」


 ヒトエはセンスをゆっくりとあおぎながらフェイドアウトした。それと同時に、九重は目を覚ました。


九重が起き上がり机を見ると、昨日の封筒と手紙二通がそのままになっていた。


「なんだ、夢か」


 そう九重が呟いたとたん、封筒と手紙が中に浮かぶと、青い炎に包まれて、一瞬の後に完全にチリと化した。


 !? 九重はいっしゅん頭が真っ白になった。これは幻覚か。


 だが、机に近づくとうすぼんやりとあたたかい。九重はパイロキネシスが使えるようになった、のか。


 ほかに燃やせるものはないかと探してみる。紙は今やアナクロすぎるメディアで、部屋にはそんなにない。だが、寮の割り当て表はもういらないはずだ。九重は紙を持って、燃えろ、と念じた。


 何も起こらない。


 二、三分、紙を見つめてみた。何も起こらない。やはり夢か、と思ったが、紙は思い切り擦り上げたように熱くなっていた。だが、それ以上はムリだった。


 パイロキネシスを使うにはもう少し修行がいるのかもしれない。確か「慣れろ」と言われた気がする。後回しだ。

 

 誰かが九重を毒殺しようとした。こちらのほうが対応を要する緊急事態だ。「ライトヒューマンソサイエティ」の関係者が怪しいのは間違いない。手紙を持ってきた女子から当たっていくべきだろう。だが、誰なのか。一千人を超える女子生徒の中から、顔情報を当たっていくのはムリだ。顔情報は生徒には公開されていない。かといって、まさか、毒殺されそうになったので生徒の顔情報を見せてください、と学校に掛け合うわけにもいかない。


 ヒトエによればふつうの技術では検出できない毒物だったということだし、なにより、燃やし尽くしてしまった。証拠はない。銀機高警備に言うことはできない。


 戦争で使われるような毒物。誰が入手できるのだろうか。エトアルは軍服を着ていた。ルーマン主星国のエリートはみな軍人だ。だが、そもそも九重を殺す動機は。人間だというだけで殺そうとするほど憎んでいるのだろうか。あまりにもわからないことが多すぎる。


 とりあえず何事もなかったことにしよう、と九重は思った。今日からプリンセス科の授業は始まるのだ。制服に着替えて登校しなければならない。制服は、入寮パンフレットによれば、部屋のクローゼットにすでに用意してあるらしい。嫌な予感しかしなかった。

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