第八十九話

 ふふ、とグレイが微笑む。

 不思議そうに首を傾げるヘレナにグレイは続ける。


「ごめんなさい、私今までヘレナさんのことが少しだけ怖かったんですの。ヘレナさん、普段はソフィアさんとクレアスノールさんくらいとしか会話しませんでしょ、私も含めて他の生徒にはどこか素っ気ないというか妙に距離があるように感じてましたの」


 全くもって心当たりのないヘレナはさらに首を傾げる。彼女としては他の生徒と会話する時もソフィアやクレアと話すときと同じように対応しているつもりであった。

 確かに慣れないことではあるし人見知りが出て少し顔がこわばったりもしたが怖がられるような態度は取ってないはずだった。


「何よりヘレナさんも他の二人も頭がいい上にかなりの家の出ですからね、どこにでもいるような商家の娘には話しかけるのもはばかられます。下手したら不敬罪で首が飛ぶ可能性だってあったわけです、気軽にとはいかないわけです」


「……だからみんな私と話す時敬語でへりくだるんだ。でも、ソフィアはともかく私は貴族ですらないよ。というか王族ですらないのに不敬罪って大袈裟な……」


 苦笑いを浮かべるヘレナは思い返した自分の立場のややこしさに内心ため息をつく。そしてその中でもう一つ気になる疑問が浮かんできたのだった。首を傾げるヘレナであったがグレイは特に気にすることもなく続ける。


「でも、こうして話してみるととあなたも私たちと同じだってことが分かって、それに安心したんです。私はずっと貴方のような人が欲しかった」


 唸り声を出しながら手すりに飛び乗ったヘレナはそこに座って再び空を眺める。そんな彼女を見てグレイは驚きとともに広げていたノートを勢い良く閉じる。慌てて立ち上がりヘレナに駆け寄ろうとする。


「大丈夫、大丈夫。落っこちるなんて間抜けなことはまずないから。ねぇ、グレイ。あなたの夢ってどれくらい大きいの?」


 今度はグレイが首を傾げる番だった。

 どういうことかと尋ねる彼女に答えることなくヘレナはただ静かに空を見上げている。自分の座った隣の席にノートを置いてグレイはヘレナの隣に立って同様に空を見渡す。

 西日でやや赤く染まり始めた空にはちらちらと星が輝き始めていた。


「あの星くらいでしょうか。他の人から見たらなんてことないちっぽけな星屑、私自身ふとした拍子に見失ってしまうくらいに小さく遠い……。正直に言えば私にあの頃の夢はもう見れません、でもだからといって諦めることはできないのです。私が諦めたら本当にそれは忘れ去られてしまうわけですから」


「辛い?」


「辛くない……と言えば噓になります。毎晩自分の非力さを恨んで理不尽な世界を憎む日々です。ともあれ私には時間がないんです、ってこんな話をしてもどうしようもないですわね。もっと明るい話をしましょう、そうですね……」


「何かできることがあるなら私、力になるから。一人で抱え込んじゃだめだよ」


 ぱぁー、っと顔を輝かせたグレイは衝動のままにヘレナに抱き着く。


「―――私もそうだったから」


 興奮のあまりもう離しませんわ、と抱き込んだグレイにはヘレナの静かな囁きが聞こえることはなかった。

 ただ物言わぬ風が二人の間を通り抜けヘレナの言葉を攫って行った。

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