外伝 頁-壱

@I-my

1

「ねぇ、」

何だよ。

「ここには何て書けばいいんだい?」

進路希望調査、記名欄。

名前だ、名前。

「そうなんだろうけどね、」

「分からないから聞いてるのさ」


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原案 M 編集 i

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8月31日午後3時46分 58


イライラする。

暑さは人を苛立たせる。

悪意を増幅させ、思考を鈍らせる。

その最たる場所に人を詰めこんで、暑いから気を付けろ等と学校はよく面白いジョークを言ってくれるのだ。

職員室を除いて、この学校のエアコンは節電を理由に機能しておらず、全開の窓からは生温い風が吹き込んでいた。

暑さが理由の休みが終わった今も、変わらず太陽は輝く事を止めずにCPUは熱暴走を続けている。

最も、それが無かろうと、最初から無能は無能であり、彼等が無能である事に何ら変わりは無い。

問題は、この俺にもそのデバフがかかっている事である。

太陽ごときが俺の邪魔をするな。

迷惑だ。

8月は終わり、苛立ちが続き、9月が始まる。


「――――――――」

教卓の向こうで、今日も馬鹿がノイズを垂れ流している。

わざわざあんな下らない事を考えていたのは、一重に退屈故だ。

今更だが、この愚図の話は至極浅い。

今も、2分前に全く同じ事を述べた事に気付いていないらしい。

価値の無い話を聞くのに、何故時間を費やさなければならないのか。

無能のくせに物を語るな。

「――――――――」


長い話を終え、満足気に教室を後にした。

教師が話すだけ話して、何故生徒じゃなく自分が満足しているのか。

ふざけた話だ。

俺の利益にならない奴は失せろ。

ホームルームを終え、時計を覗く。

さっさと家に帰って休みたい。

暑さで普段よりイライラしている事はある程度自覚していた。

この状態で、優しい人間を演じるのは無理がある。

ようやく帰れると思った矢先、頭の悪いクラスメートが俺に話しかけてきた。

実に暑苦しい。

「なぁ大神、今度の月曜、広陽町のゲーセンに遊びに行くんだけどよ、一緒に行かね?」

「うん、良いよ」

関わらないで欲しいんだけどな。

「おう、待ち合わせは駅前な」

「ん、楽しみにしてるね」

二三言会話し、俺も教室を立ち去る。


その後、何人かの生徒に話しかけられ、憂鬱な気分のまま下校した。

案外と美しい夕陽を眺めながら自転車を走らせる。

不快極まりない午後だったが、それだけは悪くない。

いつもの帰り道は、今日も人が少なかった。

どれも似たような形に並べられた住宅街を抜け、角を曲がる。

長い直線。

うんざりする。


しばらくして、登り坂に差し掛かり、サドルを降りた。

急な斜面の先には平らな道が続いている。

そこまでは歩くことにした。

大した荷物も載っていない自転車が、普段より重く感じる。

心理的な理由だろう。

ふと、鼻歌が聞こえた。

振り向くと、直ぐ後ろに小さな子供が耳障りな声で愉快そうに歌っている。

ひどく不愉快だ。

もう少しで坂を終えるという所で、青い帽子が脇を通り抜けていった。

「あ、」

その少年も帽子を追い掛け、俺を追い抜かして駆け登っていって、登り坂の向こうに消えた。

数拍おいて俺も登りきる。

子供はいなかった。

ただ目の前に誰もいない道と、背後に夕陽が残っているだけだ。

もう一度サドルに乗り、ペダルをこぐ。

もう少しだ。

薄れた意識を取り戻し、ブレーキをかけた。


到着。

自転車を降り、ドアを開ける。

家に入って、制服をハンガーにかけた。

夏の熱は家の中まで侵している。

鬱陶しい。

ベッドに身を投げた。

暫くすると、曖昧だった意識が覚め、苛立ちも冷める。


端末には幾つか通知が来ていた。

『次の土曜、一緒に映画観に行かない?』

藍崎真異とかいう、名前以外に特徴の無い女からだった。

中学の時、そんな愚図がいた気がする。

映画の紹介が下に続いている。

どうやらタイムリープものらしい。

映画その物は興味深いが、こいつに興味はない。

無価値な人間とも関わらなければならないのは、最近のコミュニケーション過多社会の弊害である。

俺に関わりたければ、俺に見合う位の価値有る人間になってからにしろ。

それこそ人生をやり直すんだな。

ま、脇役にはそれでも無理だろうが。


『ごめんね、実は予定が入ってて

誘ってくれて本当にありがとう

また誘ってくれるとうれしいな?』

これだけ媚びを売っておけばこの醜女も満足するだろう。

その後も幾つかの下らない誘いやら頼みやらに返信し、そして嘲笑った。

今日もNPC達は、箱庭の中で愉快に踊っている。


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「思い出せないのさ、それが」

本気か?

「本当さ。じゃなきゃこんな下らない事は言わない」

……どういう事だ。

「……こういう事さ」

大袈裟に肩をすくめている。

「他に、何か異変は無いのか?」

「不思議な事に、どうもその事以外は覚えているみたいなんだ。

所謂一般常識とか、自分の趣味趣向とか。

ただ、名前だけが思い出せない」

限定的な記憶の喪失、という事で良いのだろうか。

「とはいえ、簡単な事じゃないか」

何がだよ?



「君に教えてもらえば良いんだよ」



………確かにそうだ。

その原因はともかくとして、失われた記憶は、簡単に埋められるものである。

「教えてくれたまえ、僕の名を」

俺はそっと口を開いた。


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9月1日午前6時42分 58


……………夢は、醒めたのか。


意識が少しずつ、実体となっていく。

目の前には見慣れた自分の部屋が広がっている。

光の射す方向を向くと、閉められた窓の外に雲一つ無い空が広がっていた。

どうやらさっきのは、やはり夢だったようだ。

理由は分からないけど、ここ最近ずっとそんな夢を見る。

超現実的な悪夢。

今回は何もない所で溺れた。

この前は突然全身が床をすり抜けて落下。

その前は身体が砂となり崩れた。

訳が分からない。

だがこれが、俺の無意識やら深層心理やらを反映したものなら、中々恐ろしい。


ちょうど目覚ましが鳴る。

物思いに耽るのは後にしよう。

端末を開く。

『えっと、他に大丈夫な日とかある?』

そう表示されていた。

……昨日のか。


永遠にないから諦めて欲しい。

無視して着替え、準備をする。

カバンを掴んで家を出た。

停留所まで歩きバスに乗ると、いつも通り、制服に袖を通したNPC諸君が学習やら下らない会話やらに興じている。

楽しそうで何よりだな。

車窓の向こうを見ると、澄んだ蒼空が広がっている。

まるで作り物の様に綺麗だ。


『次は~灰谷駅前~灰谷駅前~~』

………そうだ。

奴に会いたくなくてこのバスは使うのを止めたはずだったんだが、忘れていた。

暑さのデバフは確りと効果していたらしい。

して、バスは止まり、果たしてそれはやって来た。

俺の隣に。


「よお、大神」

「おはよう、平木君。良い天気だね」

だから朽ちろ。

数言話した後、奴は楽しそうに普段の習性を披露してくれる。

知識をひけらかし、こう聞いてくるのだ。

「お前、知ってるか?」

その質問が求めている回答は至極明解だ。

「ん、いや。御教授願えるかな?」

見るに耐えない笑顔を浮かべる。

鏡見てから笑ってくれ。

「そういうと思ったぜ。教えてやるよ」

実に香ばしい。

あの担任と言い、頭の悪い奴ほど喚きやがるのは何でなんだろうな。

中身の無い話程長引きやすいのかもしれない。

成程、馬鹿と政治家はよく喋る。


また暫くして、バスを降りた。

知能は移るのだ、関わっていられない。

前を歩いていたデブと同じくらいの速さで足を動かす。

昨日ほどの暑さはなかった。

たまには、こうしてゆっくり歩くのも悪くはない。

薄汚れた住宅の角を曲がり、学校を視界に捉えた。

学力の高い学校に行けば馬鹿は減ると思い、わざわざ遠い高校を選んだが、今になってみれば全くと言って良いほど無駄だった。

ただあれらは、プライドの有る馬鹿は面倒極まりない、という事や、世の中の9割は低能で構成されている事を俺に教えてくれた。

感謝すべきだろう。


校門をくぐると、群れが騒がしく声をあげている。

校舎に入りロッカーを開けた。

中には見慣れた上靴と、見慣れない手紙。

裏には、御鏡 深花と書かれている。

知らない名だ。

少し考え、ポケットにしまいトイレの個室に入る。

封を開け、中身を開いた。

綴られた文章を目で追っていく。


……案の定そういう事らしい。

そこには流麗な字で愛だの恋だのが書かれていた。

『ーーー今日の放課後、視聴覚室にきていただけませんか?

もし、駄目でしたら構いません。』

一番下には大神とあった。

間違い、という訳では無さそうだ。

ポケットに突っ込み、トイレを出た。

これを出した奴が、俺の知らない名であった事が喜ばしい。

この高校、いやここに限らず、俺の知る中にまともな女は一人もいない。

この手紙の差出人が、俺を満足させ得るNPCである事を願う。

人生とかいうゲームにも飽きてきた頃合いだ、そろそろそういうのが1人位表れてもいいだろう。


教室に入り、有象無象達と挨拶を交わして席につく。

室内は女の五月蝿い声で溢れていた。

その中には、今朝バスで黙々と単語帳を読みふけっていた奴もいる。

「今日の小テスト勉強した?」

「全然してないよーヤバイよー(笑)」

面白い冗談だな。


丁度馬鹿が教室へと入り、ホームルームが始まった。

「席つけ、早くしろー」

スキップ機能くらい付けておいて欲しい。

「あー突然だが。今日から転校生がこのクラスに入る」

教室がざわめく。

有難い事にスキップされたらしい。

今日は何やらイベントが多いようだ。


「可愛い娘だからなー、仲良くしろよー」

そんな事は俺が決める。

無責任な紹介と共に扉が開いた。

その向こうから転校生は表れる。


━━━━━━━━初めまして


…………………………………………………?………………………………………………………

……………………暫く、何も考えられなかった。

思考を取り戻しても、視線を逸らせない。

しかし彼女は微笑んでいる。

いや違う、


━━━━━━━御鏡 深花です


笑っている気がした。


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「………解らん」

俺は名前が思い出せなかった。

「………は?」

「思い出せん」

「そりゃないよ……」

二人揃って忘れてしまったらしい。

大丈夫なのかな、これ?



「こんな事、本当に有り得るのか?」

まず有り得ない事態が、2つ重なっている。

どういう事だ、これは。

何が起きている?

「ん、記憶が駄目なら記録だね」

端末を開いてみる。

名前、名前っと……

暫く調べてみたけど、僕の名前は無かった。

ん、ここまで来ると怪しくなってきたな。

何者かの意思か、或いは夢か。

もしくは、僕は。

………存在しているのか?


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9月19日午後4時05分 58


「来てくれたみたいね」

視聴覚室の扉を開くと、夕陽の中に御鏡がいた。

手紙では解らなかったが、みかがみ みか、そう発音するらしい。

彼女の手からは目映い輝きが放たれている。

どうやら懐中時計の様で、夕陽を反射していたようだ。


「って事は手紙もちゃんと読んでくれたのね。

貴方の事だから心配だったけど」

ポケットにそれをしまい、知っているかの様な口ぶりで言った。


………いや、知っていたのだろう。

でなければ手紙が何故送られるだろうか。

だがそんな事は後回しだ。

「うん、読ませて貰ったよ。

でも、返事をする前に、聞かせてほしい事があるんだ」

「なに?」

とぼけてんじゃねえぞクソアマ。

「その仮面の事さ」

この女の顔は覆われていた。


………物理的に。



仮面というべきか、覆面というべきか。

今朝、初めて僕らに姿を現した時から、彼女はそれを身に付けていたのだ。

顔全体をすっぽりと覆い、美しい銀色の光を放っている。

表面には何の装飾もされていない。

強いて言えば、垂れた前髪だけだ。


当然、そこに幾つもの疑問が生まれる。

「………何でそんな物つけてるんだい?」

「あえて言うなら、嗜みかしらね」

「どういう事かな?」

「仮面と化粧は女の嗜み、ご存知?」

……面白い女だ。

「……面白い人だね」

「有難う、でも冗談よ。

……いえ、本当の事では有るのだけど。

あなたにしか見えてないの、これ」

だろうな。

クラスの奴らの反応を見て、それは分かっていた。

では何故、俺にだけ見えるのか。

他の奴らには見えていないのか。


……それは、あの手紙と関係があるのか。

「分からないなぁ」

「何がかしら?」

「僕は御鏡さんを知らない。

でも、貴方は僕を知っていて、手紙を送ってくれた。

……もしかして、前に会った事があったかな?」

彼女は微笑む。

「口説いてくれてる?」


………何故かまたそう感じた。

「そういうわけじゃないんだけどな……」

「残念。

そうね、これは運命…………いえ、宿命の赤い糸よ」

吹き出した。

「あら、失礼ね?」

「ごめん………で、その血の糸とやらで僕たちは結ばれてるのかい?」

「違うわ」

「?」

「縛られているのよ」



悪くない笑顔だった。


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「やあ、平木くん」

見つけた。

「おう、どうした」

僕の名を忘れた僕は、人に聞く事にした。

自己の記憶も記録も失われているなら、他人の記憶によって補うしかないだろう。


「いや、君に教えて欲しい事があってね」

彼は嬉しそうな顔をした。

「良いぞ、俺に分かることなら」

「僕の名前」

「お前の名前がどうした?」

「教えて欲しいんだ」

「お前……馬鹿にしてんのか?

それとも何かのゲームか?」


訝しんでいる様だ。まぁ当然かな?

「ああ、ごめん。馬鹿にしてる訳じゃないんだ。

でもゲームっていうのはある意味そうかな?

ここで正確なパスワードを答えてくれないと、僕はコンティニュー出来ないんだ」

彼は少し笑った。

「やっぱり面白いな、お前。

何だか良く解らんが………お前は大神、俺の友人だ」


平木くんはそういって手を差し出した。

握手して、僕は彼に礼を言った。

さてどうやら、はっきりと僕は存在していたらしい。

ならば、名前の忘却は何だ。

自己の象徴すら忘れ、僕は………?

僕は?



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9月20日午後9時50分 58



「もう来ていたのね」

「ああ」

実に興味深い。

この女は何故、何を隠しているのか。

俺に何を与えてくれるのか。

「さあ、早く行こ?」

御鏡はそう言って俺の手を取り、歩きだした。



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「よう、平木」

見つけた。

「?」

さて、これは奴の名を覚えているだろうか。

本人も俺も思い出せない以上、試せる手段はこれしかない。



「突然だが、この写真の人物を知ってるか?」

「……知っています」

平木は一瞥し、そう答えた。

「そうか。こいつの名前は?」

「………探偵か何かですか?」

「そうだな。とはいえ俺がしてるのは不倫調査でも怪盗の追跡でもない、もっと大切な事だ。

さぁ、早く教えろ」

「お断りします」

「急いでいる。早くしろ」

「どこの誰とも解らない方に教える訳にはいきません」



俗物が俺に逆らうのか。

流石に許せないな。



「……っ………あが…あ……」

「俺は教えてくれと頼んでるんじゃない、教えろと命令しているんだ」

更に腕を捻る。

「んがぁぁぁぁ!」

「……………」

「……お、おお……かみ……」

「……あ?」

「だから……ぐあぁ……しゃ、写真の……」

「何を言っている?、それは俺の名だ」

離した筈の無い腕が離れた。



「そ、そっちこそ何言ってんだ、大神は奴だ、お前なぞ知らん!」

……どういう事だ、おい。

「おい、待て、逃げんじゃねえ!」

走り出した平木を追いかける。

しかし、捕まえようと伸ばした腕は、奴に触れる事無くすり抜け、体が地面に打ち付けられた。

平木が、俺を忘れている。

いや、知らない……?



おかしい……おかしい、これじゃまるで………俺が……

「……クソが………クソがクソがクソがぁ!」

ゴミめ………殺してやる………

自らの体を起こそうと、地に支える。

しかし出来なかった。


俺の右腕は消えかけていた。

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