最後の配信
私にとって芽依の研究室で過ごす日々はすっかり日常になっていた。
終わりはいつか来る。それが分かっていながらも、その日はずっと先のような気がして。もう時間が無い事は分かっていながらも、その実感はどこか希薄だった。
「今日は皆にお別れを言ってこようと思うの」
ナユタの口からその言葉を聞いた時、ついにこの日が来てしまったかと覚悟を決めた。
「そうか……」
既にナユタのSNSでは、引退宣言がなされていた。一応の体裁としては、大学のオープンキャンパスに行った事で自分の将来を見つめ直し、受験に向けて勉学に専念するという事になっている。
芽依からもナユタの余命が今日から明日にかけてと聞いてはいたし、常々終わりを意識してきたつもりではあった。しかし、いざナユタが最後の配信を行うと宣言すると、正直堪えるものがある。
「その……なんというか、よくここまで頑張って来たな」
思わず口から出たのは、そんな言葉だった。
「あはは、好きでやって来たことだよ。全然、辛いとか苦しいとか思わなかったしね」
そうは言いつつも、ナユタが陰で努力してきたことはよく知っていた。動画の編集をしたり、放送の細かい段取りを考えたり、SNSのメッセージを返したり、コラボの時には打ち合わせもしていた。
本人は気にしていない風に振る舞っていたが、心無いコメントが寄せられた時だってあった。けれどもナユタは、Vtuberとして誰かの心に残るための努力を辞めなかった。
そのモチベーションは何処から来たのだろう。そもそも人はなぜ配信なんてするのだろうか。手間はかかるし大変な割に、努力したからと言って必ず成功できるとは限らない。そのうえ、自身のプライバシーが侵されるリスクもある。
そこまでして、なぜ配信を行うのか。お金の為なのか、承認欲求を満たす為なのか、それとも自己を高める経験の為なのか。
いいや、やはり誰かと繋がっていたいのだろうか。コミュニケーションの手段として、自分を中心に多くの人々と関わりたい。その気持ちは、承認欲求という四文字が意味するものと、どこか違うような気がした。
「みんな、ナユタの事を記憶に焼き付けてくれると良いな」
「うん。その為にも、最後までしっかり頑張るよ!」
少なくとも、ナユタの誰かに覚えていてもらいたいという感情の事を、私は承認欲求とは呼びたくなかった。彼女の思いはもっと純粋で、しかし余命に縛られ切羽詰まったものだ。
「それじゃあ、配信の準備してくるね」
「ああ」
「……蓮さん、辛そうな顔してるのに絶対に泣かないんだね」
「大人は子供の前では泣かないもんだよ」
「あはは、最後まで子ども扱いか。ざーんねん」
ナユタは別れ際、そんな言葉を言った。
ため息が漏れる。ナユタの事はとっくに大人だと思っていたが、どこかで子ども扱いしてしまうのは年長者の性だろうか。
「大丈夫?」
芽依が声をかけて来る。どうやら昨晩は私を送った後、この研究所に泊ったらしい。彼女は気にしていない様子だが、どこか引き目を感じてしまう。
「ああ。それよりも、海珠のヤツに連絡してやらないと。一応、この眼鏡のお礼はナユタの最後に立ち会う事だったから」
この研究室は芽依のものだし、ナユタの事は曲りなりにも芽依の実験なのだから、彼女の許可なく部外者の海珠をナユタの最後に立ち会わせるのは道理に反する。私は承諾を得る意味合いで、さりげなく海珠の話を振った。
「ふぅん。まあ、いいけど」
芽依は無感情に了承する。自分の回りくどい言い方が作戦であった事が見透かされているようで、少し恥ずかしく思う。
気を取り直してメールエディタを開き、海珠へメッセージを送る。ナユタの最後が近づいている事、もし最後に立ち会いたいならこっちの研究室で待機していた方が良い事、ついでにナユタが最後の配信を行う事も併せて記載しておいた。
「……なんだか、生前整理をしている様で嫌だな」
「終わりが来ることが分かっていても、こればっかりは覚悟のしようがないわね」
「だな。それにしても、表向きの引退の理由が大学受験か」
まるで未来に希望が有るかのような、引退としてはこれ以上ないほどの理由だ。視聴者の人々は、きっとナユタが前向きに人生を歩むための一歩を踏み出したと思うだろう。それが言葉通り、全ての終わりとは知らずに。
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