阿僧祇<那由多
画面に映し出された
「那由多……」
その呟きを聞いて、私は密かに安堵する。やはり京爺さんは那由多ではないナユタの姿を知っていた。それはつまり、那由多の死後もナユタの事を見ていたのだ。
「あ、あのね、お爺ちゃん。私ね……」
ナユタは声を詰まらせる。無理もない。彼女は最後まで私への返答を保留にしていた。だから私は、プレゼン用に持ち込んだノートPCが芽衣の研究室と繋がるよう、研究室内の無線ネットワークに接続していた。
そして私の予想通り、ナユタはこのノートPCにやって来た。肉親の声だけでも聴こうという魂胆だろう。
そんな中途半端な事、私は許すつもりは無かった。芽衣が予言した、ナユタに残された時間の事はナユタ自身も知っている。つまりこれが、祖父と会話できる最後の機会かもしれないと本人も理解しているはずだ。
「お爺ちゃん、私ね。ちゃんと生きてるよ」
ナユタがやっとの様子で口を開く。私と京爺さんの会話を聞いていたのだろう。そして、那由多は死んだという京爺さんの言葉に対するアンサーなのだろう。対する京爺さんは黙ってナユタの言葉に耳を傾ける。
「やりたい事を見つけて、最近は毎日配信して……いろんな人が私の話を聞いてくれるの。コメントもいっぱいくれて……もう学校に行って、普通の女の子になる事はできないかもしれないけど、配信の時は皆が普通の女の子として話しかけてくれるんだよ」
ナユタのプロフィールに書かれていた普通の女の子。それは阿僧祇家に生まれた上に持病を抱えていた那由多にとって、決して望めないものだった。
Vtuberにもいろいろなタイプがあるが、その中には成りたい自分を演じている人も多いだろう。ありのままの自分をさらけ出す人も居るだろうが、少なくともナユタは理想を演じるタイプだ。那由多では叶わなかった普通の女の子を、ナユタになる事で叶えたのだ。
「那由多……那由多なんだな」
京爺さんは腕を組んで、プロジェクターの出力映像の中の少女を見入る。
「……京爺さん、カメラはこちらです」
私は持ち込んだノートPCに付属しているカメラを指す。ナユタからは京爺さんの表情が見えていないと思い言葉を発したが、我ながら二人の再会に水を差すような空気の読めない事をしたとすぐに後悔する。
「……すまないが、那由多と二人にしてくれないか。話しておきたい事がある」
私は逡巡の末、席を立つ。
「分かりました。外で待ってるので、終わったら呼んでください」
一度、京爺さんに頭を下げ、そのまま扉を開いて外に出る。
外に黒服が雁首揃えて部屋を守っていた。もともと扉の前に居た二人と、京爺さんのボディーガードをしていた二人の計四人だ。ナユタと京爺さんの事ばかり考えて、彼らの事をすっかり失念していた。彼らは訝しげに私を見る。
「……少し外で待っているよう言われまして」
「……」
誰も返事をしなかった。どうにも気まずい。四人全員が一律で同じ黒服にサングラスという出で立ちは、個性を完全に殺した機械のような印象を受ける。そんな四人に取り囲まれて、無言を貫けるほど私のメンタルは強くない。
「えっと……み、皆さんも大変ですね、立ちっぱなしで……あはは、すいませんちょっとお手洗いに……」
私は余計な事を言った気恥ずかしさと、重々しい空気の重圧に耐えかねて、そそくさとその場を後にする。
そのまま廊下の端のお手洗いに逃げ込み、本当に用を済ませてから洗面台で顔を洗う。冷水を顔に付ければ、基本は気持ちの切り替えができるというものだ。
洗面台の鏡には、情けない表情の私が映る。ポケットハンカチで顔をぬぐいながら、ナユタと京爺さんは何を話しているのか考える。
思い出の話をしているのだろうか。別れを惜しんでいるのだろうか。まさか叱責を受けてはいないだろうか。
いや、考えていても仕方がない。後でナユタから話を聞けば良いのだ。
気合を入れなおした私は、ゆっくりと歩いて元の部屋へ戻る。
ちょうど視界の先で、四人の黒服が守る扉が開く。私は慌てて、小走りにその部屋へ戻る。
「すいません、ちょっと外しておりました」
中から出てきた京爺さんは、肩を落としどこか悲痛な様子だった。その姿は、年相応の老人の様に見える。普段は気張って見せているが、やはり京爺さんも老いているのだ。
「那由多は……あとどれぐらい持つ?」
悲痛な老人は私にノートPCを手渡しながら聞いた。
「……芽衣の見立てでは、あと一週間ほどです。詳しい事は、先ほど渡した資料の中に書いてあります」
「そうか。では、私は間に合ったという事だな」
京爺さんは二人のボディーガードを引き連れて、部屋の中に戻って行った。
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