奇々舞々・下
甲斐先生に案内されたのは、殺風景な小部屋だった。となりの部屋の様子を伺える巨大なはめ殺しの窓があり、刑事ドラマで見る、取調室のような印象を受ける。
そして、窓ガラスの先に存在している女性に目を奪われる。
形こそ人間の女性と同じだが、透き通るゼラチン質の肌が彼女は普通の人間ではないことを示していた。
そんな人物が、コンクリート張りの部屋の中で、真ん中にぽつんと存在している椅子に腰掛け、机に置かれたノートパソコンを操作している。
『という訳で、今日はゲストのナユタちゃんと一緒に配信していきたいと思いますぅ~』
窓の先の声はスピーカーを通してこちらの部屋に聞こえてくる仕組みのようだ。より一層、取調室のような印象が強まる。
「彼女が季舞ララなのですね」
私の問いに甲斐先生は「はい」と答える。
「……それで、私に何を求めているのでしょう?」
この場所は甲斐先生にとって不可侵の領域のハズだ。組織の人間であっても、この場所には立ち入られたくないらしい。
そんな聖域に通されたのだから、私を研究チームに引き入れたい理由と、季舞ララという女性とは何かしら関係があるのだろう。
そして、お茶汲みも掃除もできない私に求める事など一つしかない。
「湊先生にはララの為のBCIを製作して頂きたいのです」
私は予想していた答えに満足しつつ、不可解な点を質問する。
「ララは不死の存在なのでしょう。現状の彼女を見る限り、通常のインターフェースの扱いに不都合は見られませんが?」
甲斐先生は残念そうに目を伏せ、ため息をつく。
「ララは不死の研究の実験体として生み出した存在です。不死を目標にデザインした個体が、必ず万能な不老不死を実現できるのであれば、私の研究はとっくの昔に完結しております。違いますか?」
私は甲斐先生の答えに首を振る。つまり、ララは不死ではないのだ。
「……状況を説明願えますか?」
「遺伝子のコピーにエラーが起こり始めました。分かりやすく言えば、がん細胞ですね。ララは細胞単位での老化は遅い為、一つ一つの細胞の寿命が長く、今すぐに命に危険は有りませんが、それでも緩やかに進行が進んでいます。ですが、不幸な事にエラーが起こり始めた箇所が喉元の声帯近くなのです。そう遠くない未来に、ララは声を失う事でしょう」
「なるほど。つまり貴方は、ララにVtuberとしての活動を続けてほしい。その為に、自身の声に頼らない音声の入力方法を与えようとしている。私を欲しがる理由がようやく理解できました。ナユタの脳に接続されたBCIについては、芽衣から聞いたのですか?」
「はい。結月先生のレポートで、BCI技術を用いたコミュニケーションについて書かれておりました。彼女の研究では、生きた脳との意志の疎通がかねてよりの課題でしたから、その解決の糸口とララの問題の解決は繋がると考え、結月先生の研究には注目しておりましたから」
分かっていた事だが、芽衣にとってナユタは私を担ぎ出す格好の口実だった訳だ。
「さて、私からお話できる事は全て話しました。どうかララの為にBCIを用立てしては頂けないでしょうか? 本来であれば、この暗い研究所の奥底で、私以外の人間と関わるはずのないララが、多くの人々に愛されたのはVtuberという文化のおかげなのです。彼女が声を失う事は、多くの人々との繋がりを絶つことに他なりません。彼女を救えるのは湊先生だけなのです」
甲斐先生は喋りながら次第に興奮し、最後には涙混じりの声色になる。
私は甲斐先生に対して抱いていた不信感がすっかり抜け去っていた。
自身のエゴで生み出した存在を愛してしまった彼女の葛藤は、自身の勝手でナユタの死を先送りしている私には理解できる。いや、似たような状況の私だから理解できる。
「分かりました。彼女の為のBCIを作製しましょう。ただし、条件があります」
「……なんでしょうか?」
甲斐先生が身構える。全ての情報を開示してしまった以上、優位性は私の方にある。私の返答次第で甲斐先生とララの運命が決まるといっても過言ではないだろう。だからといって、無理難題をふっかけようなどとは考えていない。
ナユタと同じように、配信という行為に魅入られた季舞ララ。彼女が何を求めてVtuberとなったかは、今はまだ知らない。
それでも私は、ララとナユタをどこか重ねて見てしまっていた。
「ナユタの事が終わるまで、研究チームの移籍については待って頂きたいのです。見たところ、ララには時間があるように見受けられますが、ナユタに残された時間は限られています。私は最後まで彼女の側にいてやりたいのです」
私の答えに、甲斐先生は安堵したように胸をなで下ろした。
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