シケイダの儚き難題


 芽衣の研究室を訪れると、私のディスクに見知らぬ女性が座り、芽衣と向き合って何かを話していた。


「あら、今日は早いのね」


 私の存在に気づいた芽衣が、女性との会話を中断して私に手を振る。同時にその女性が振り向いて私の事を凝視する。


 白衣に身を包んだ小柄な女性。髪は短髪で飾り気のない程度の化粧をしている為か、ボーイッシュな少女の様な印象を受ける。しかし、首元の隠しきれない微かなシワから、私や芽衣よりも一回り年上なのだろうと予想する。


「貴方が湊蓮先生でございますか?」


 抑揚のない落ち着いた声には、どこか排他的な敵意が感じられる。


「もし取り込んだ話でしたら、席を外しますが」


 まさか芽衣の友人などという事は無いだろう。この部屋を訪れるのだから、スポンサーと何らかの関係がある人物に間違いはない。そして、スポンサーたる宗教法人は、私たちの反社会的な研究を支援するような団体だ。


 もしもこの女性が団体の関係者だとして、芽衣と重要な何かを話していたとするならば、私は余計な事を聞かない方が良いだろう。知らなくて良い事を知った人間に対して、スポンサーがどのような対応を取るのか、全く予想できない。ナユタに関する話であれば後で芽衣から内容の共有があるはずだ。ならば私は、二人の話を聞かない事が最善だろう。


「もういいわ。話は終わったし。……こちらの方は甲斐かい先生。私と同じで、不死に関する研究をしている方よ」


「……初めまして、湊です。よろしくお願いします」


 紹介されて黙ってい無視するわけにもいかず、私は甲斐と紹介された女性に手を差し伸べる。甲斐は私の手を表情を変えずに握る。


「甲斐です。湊先生の事は存じ上げております。BCIの世界的権威と伺っておりました。わたくしとは異なるアプローチですが、人類の為に永遠の命を追い求める同士として、何かとご指導賜る機会もあるでしょう。どうぞよろしくお願いいたします」


 ぶっきらぼうな言い方だが、お世辞を言う位の社交性は持ち合わせているらしい。言葉の言い回しが少し胡散臭いが、この組織に長くいると思想にも影響を受け始めるのだろうか。


「嬉しいお言葉ですが、買い被りですよ。BCIの分野はまだ発展途上だからこそ、少し手を付けただけで話題になりやすいだけです。私よりも優秀な技術者は、世界にいくらでも居ます」


 脳からの信号をもって肉体の動作を介さずに機器を操作するBCIことブレインコンピューターインターフェースは、本来であれば障害を持つ人々の日常生活をサポートするための物だ。それを不死の研究に応用できるのは、脳だけを生かし続ける技術を持つ芽衣が居てこそである。


 私は永遠の命に興味などない。ただナユタに生きていて欲しいだけだ。


「ご謙遜を。現状でも脳だけの人間がインターネット上で活動するのに不足が無いレベルにまで技術が進んでいると伺います。これは湊先生のお力添え有っての成果です」


「ありがとうございます。甲斐先生はどのようなアプローチで人類の課題に挑まれているのですか?」


 ナユタの事に話が上がり、思わず話題を切り替える。正直な話、あまり団体の人間にはナユタと関わって欲しくないのだ。


「私はアポトーシスの研究をしております。ゲノムの解析や、他生物の遺伝子情報を人間に応用することで、永遠に若い細胞を複製し続ける事ができないか。それが、ここでの私のテーマです。先生が人の死の定義をすり替えるアプローチならば、私は人が人のまま永遠に生きられる方法を模索しているのです」


 アポトーシスならば畑違いの私でも聞いた事がある。人間の細胞は一定の期間で自死するよう設定されている。これにより、がん細胞が増殖するのを防いでいたり、劣化した不要な遺伝子を残さずに済む反面、どれほど健康を維持したところで百二十歳を超えて生きられる可能性が非常に低くなるという。


 不死の研究としては、順当なアプローチなのだろう。むしろ、芽衣のように脳だけを生かし続ける事で不死を実現しようと考えるのが邪道のようにも思える。


「……バイオテクノロジーに関する知見は、あいにく持ち合わせてはおりませんが。しかし、もしも私にお手伝いできることがあれば、何なりとお申し付けください。できる限りのお力添えはさせていただきます」


「はい。是非ともよろしくお願いいたします」


 私は心の中で、あまり関わり合いたくないと思いながら、社交辞令としての挨拶を交わす。対する甲斐という女性も、言葉だけは好意的な態度だが、その目は私に対する敵意を感じさせるものだった。


 やはり私はこの組織の中において、芽衣が連れてきた不穏分子なのだろう。

 当然だ。ここでは法に触れる研究が平然と行われているのだ。部外者が見聞きした情報が外に漏れれば、いかなる社会的制裁が下されるか分からない。


「それでは私も自身の仕事がございますので。失礼いたします」


 甲斐は芽衣に頭を下げると、研究室から立ち去る。私は甲斐を見送ろうと立ち上がる芽衣を横目に、自身の端末を起動させる。


 芽衣が見送りの為に扉を開けると、セミの鳴き声が聞こえた。来る時には気づかなかったが、廊下のどこかに迷い込んだ個体でもいるのだろうか。


 セミの寿命は成虫になってから一週間と言われているが、実際には数週間から一か月ほど生きるらしい。しかし、それでも十分に短く儚い命だと感じられる。


 それは我々人間が八十年以上の寿命を持っているからこそ感じられる憐憫なのだろうか。もしも我々が永遠の命を手にしたとき、果たしてセミの一生に対して何を思うだろうか。


 モニターを付けると、モデリング姿のナユタが出現する。


「おはよう! 蓮さん!」


 誰もが不死を追い求めるこの場所で、最も儚い命である彼女は今日も笑顔だった。

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