原点回帰の回顧録


 午前七時という早朝に、唐突な連絡を貰った私は、その足で病院へと向かっていた。


「……くそ! 一体何がどうなってるんだ!」


 足早に過ぎる人々の雑踏は、私の呟きを意にも介さず、淡々と流れてゆく。


 そう、ナユタが命の危機に瀕したところで、その事を気にとめるのは、彼女と長い時間を過ごした私程度しか存在しない。ナユタは私にとって大切な存在でも、この世界にとっては取るに足らない存在なのだ。


「遅かったわね」


 ナユタが入院する病院に到着した私を出迎えたのは、芽衣だった。白衣をはためかせながら近づく芽衣に対し、私は彼女の胸ぐらを掴んで怒鳴り声を上げる。


「一体どういう事だ! アイツが心臓に爆弾を抱えてるのは知っていたし、突然の余命宣告も覚悟していた。だが、どうしてお前が出張って来る!? 実験体として彼女を提供すれば、余命を遅らせる事ができるって話も、きちんと説明してくれるんだろうな」


 怒りに任せて声を上げるが、芽衣は意にも返さない。ただ、煩わしそうに私の腕をほどきながら、ため息交じりに語り出す。


「私の目標は知っているでしょう? 不死の実現。その一環として、脳だけを生かし続ける研究をしているの。結構需要あるのよ? お金持ちのお年寄りとか、病気の体に蝕まれている人とかにね。そういう人向けの宗教法人の後援を得て、実現段階にまで漕ぎ着けたんだけど……。電話でも話したけれど、ここから先は貴方の力が必要なの」


 芽衣という人物を良く知る私にとって、その答えは予想の範囲内であった。しかし、それでもなお嫌悪感から寒気を感じる。彼女は命を大切にするあまり、命を軽んじてしまっている。


「心臓が止まっても、脳だけを生かし続けるって事か。そんなくだらない実験に、どうしてナユタが巻き込まれなくちゃならない。モルモットなら、金持ちの爺共を使えば事足りるはずだ。それに、俺は法を犯すつもりも、ナユタの命を弄ぶつもりもない!」


「出資元を実験に使うのは、金の卵を産むガチョウを殺してしまうようなものよ。法的な問題は付きまとうけれど、私の息のかかった大学の設備を使えるし、後援団体も秘密保持には協力してくれる。それに、彼女の命を弄ぶわけではないわ。彼女を生かすのよ」


「生かす……か。言いえて妙だな。お前の事だから、未来の技術の礎としてナユタの命を無駄にしない、みたいな意味なんだろう?」


 芽衣は私の問いに対し、イエスともノーとも答えず、悪戯に舌を出して見せた。


「それで、どうするの? あなたの協力があれば、これからも彼女と意思の疎通が図れる可能性が残るわよ。もちろん脳だけを永遠に生かし続ける事は、今の私には不可能だし、いつかお別れをしなければならない事に変わりはない。けれでも、その日を先延ばしにすることはできるわ」


 芽衣は私に手を差し伸べる。この手を握れば、私は人として超えてはならない一線を越えてしまう事になる。


 しかし、悪魔の誘惑はいつだって甘美な香りを携えているものだ。私が魂を売り払えば、ナユタの命を長引かせることが出来る。


「俺は……」


---------------


 意識が現実へと引き戻される。

 芽衣の所有する研究室の一画。

 どうやら私は、机の前で腕を組みながら眠っていたらしい。


 目の前のモニターでは、二次元のモデリング姿になってしまったナユタが、視聴者からの質問に答えていく動画が流れている。コメントに対して返答していく方式の、雑談配信というものらしい。


「ようやくお目覚め?」


 後ろからは白衣に身を包んだ芽衣が、口を尖らせていた。


「……すまない」


「いいのよ。慣れない事で気苦労も絶えないでしょうし。それより、夢でも見てたの?」


「どうしてそう思う?」


「変な顔して寝てたから」


 芽衣は悪戯っぽく舌を出して、私をおちょくる。その表情が、夢で見た芽衣に重なり、思わず苦笑が漏れる。


「ああ、見ていたさ。この研究に誘われた時の夢をな」


「そう……」


 沈黙と共に、どこか思い空気が流れる。ナユタの元気な声がスピーカーから流れ、ている事は、僅かながら救いだった。


「なぁ、ナユタは後どれぐらい生きていられる?」


「……持って二か月、ってところかしら? 別のチームに研究させてる実験の成果次第では延命できるかもしれないけれど」


「短いな」


「ええ。不死にはまだまだ遠いわよ」


 二か月。それは短いようで長いような時間だった。


 ナユタは本来、一か月も前に死んでいるはずの存在だ。


 それが今、肉体が命を失っても画面の中で言葉を喋り、見ず知らずの誰かと他愛もない会話を続けている。


 本当にこれで良かったのだろうか。私はいまだに覚醒しきらない頭の中で、そんな事を考える。


 あの日、悪魔の差し伸べた手を握り返したのは私のエゴだった。

 ナユタの命を助ける事は、彼女の為ではない。私の為だ。


 そして、ナユタは私のエゴに付き合わされる形で、今も生きている。


 いや、これは生きていると言えるのだろうか。そもそも、生きているとはどういった状態の事を指す言葉だっただろうか。


『そんな事を聞かれても~、私は普通の女の子ですし~』


 質問のコメントは見ていないが、ナユタが視聴者への返答でそんな事を言っている。


「普通の女の子……」


 ナユタは本当にそう思っているのだろうか。それとも、秘密がバレないよう、Vtuberとして作り出した設定に準じてそう言っているのか。

 そして、視聴者には彼女の言葉はどのように受け止められているのか。


 それを知る術を私は知らない。

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