天国は1と0のバーチャル世界に
秋村 和霞
プロローグ 大誤算の初配信
或る昼下がりの事。
私こと
登録者数は50万越えで配信歴も長く、一般メディアへの出演も経験のある超有名Vtuberは、画面の中で苦しそうに声を漏らしながらゲームをプレイしていた。何でも、ゲーム付属のリングを使い、フィットネス感覚でアドベンチャーを楽しめるゲームらしい。
視聴者からのコメントでは、センシティブという単語が飛び交っている。どうやら運動による息切れが口元のマイクで拾われ、なまめかしい
「なるほどな。これと同じことを、お前も配信でやろうとしたわけだ」
私はデュアルモニターの片側で動画を流しつつ、もう片方の画面に映る3Dモデルの少女に向けて声をかける。
「えっと……ね。こんな事になるなんて、思って無くてね。蓮さんもやりたい事やって良いって言ってくれてたし、ゲームも買ってくれたし、ネットにも繋げてくれたから……配信しても良いのかなって思ってね」
モニターの少女は、上目遣いで申し訳なさそうに、言い訳の言葉を重ねる。語尾が消え入りそうに話す様子と表情からは、反省しているようにも見えるが、彼女は3Dモデルのアニメーションであり、彼女を操作する魂が本当に反省しているのかを読み取る術は無い。ただ、反省しているように見える出力を選択しただけだ。
「それで、その結果がこれだな」
私は動画を再生していたブラウザを操作し、とある新人Vtuberのページへと移動する。
新人Vtuberの名前は「
チャンネル登録者数は1143人。投稿されている動画は、昨夜の生配信のアーカイブのみで再生数は3754回。普段は動画サイトを見ない私にとって、初配信後のこの数字がどれほどのものなのか測りかねるところだが、アーカイブの動画冒頭の自己紹介の中で「当面の目標は登録者数1000人!」と宣言している事から、おそらく凄い事なのだろう。
動画のコメントには、「化け物」「メスゴリラ」「ラスボス」といった単語が連なる。先ほどの有名Vtuberのコメントにあった「センシティブ」という単語が用いられた投稿は一つしかなく、それも「センシティブを力技で回避する新人で草」というものだった。
前世だか魂だかの候補として、霊長類最強という女性アスリートの名前が挙げられているのには思わず笑ってしまったが、おそらく本人の思惑とは逸れた書き込みの多さに、私はナユタの事が心配になる。しかし、ナユタ本人は、比較的好意的なコメントとして受け止めているらしい。
しかし、問題はコメントではなく、ナユタが注目されてしまう状況そのものだった。
「……まだ法的な課題をクリアしていないのに。動画から研究室のことがバレたらどうすればいい?」
「蓮さん! 元気出してください。笑顔ですよ笑顔!」
頭を抱える私を、モニターの中の少女は慰める。その容姿は、ブラウザで再生されているVtuberと全く同じものだった。
動画の中で彼女は、リングを使った動きを恐ろしい速度でクリアしていた。さらに、時間が経っても疲労した様子を見せる事も無く、息も全く乱れていない。その人間離れした身体能力が話題になったようだ。
確かにこれではアスリートと誤解されても仕方が無いだろう。
だが、ナユタは決してアスリートなどではない。
「いいんじゃない? 正体を隠してネット上でコミュニケーションが取れるなら、ナユタちゃんも息抜きになるだろうし。それに、年頃の女の子の話し相手が私たちだけってのも可哀想じゃない」
私の背後から
白衣を身にまとい、長身で肉付きが良い体型。特に胸に栄養が行渡っているらしく、異性受けのするプロポーションをしている。釣り目に赤いふちの眼鏡をかけている事から、少々気のきつい印象を受けるが、実際は何を考えているのかよく分からない変人だ。
「しかし、リスクがある。ナユタが配信を続けていれば、動画配信サイトのIPをもとにこの部屋を割り出される可能性が捨てきれない」
「この研究室の対策は万全よ。大学のネットワークからも切り離されているし、海外のルートサーバーを経由しているからDNSからもこの部屋を特定する事できない。それに、セキュリティも最新のアルゴリズムを改良した特別性。配信サイト経由でIPを特定してこの部屋に辿り着くのは、まず不可能よ。何より、
犯罪行為というのならば、行っているのは我々の方でないか? という言葉を私は飲み込む。
「……あの、私にも分かる言葉で言って貰ってもいいですか?」
芽衣の言葉にナユタはクエスチョンマークを浮かべながら尋ねる。芽衣は優しげな表情を作り、私を押しのけモニターに付属されたマイクに顔を近づける。
「安心してって事よ。ナユタちゃんは動画配信したいのよね?」
「はい!」
「どうして?」
「一人でも多くの人に、私の事を覚えていて欲しいからです!」
元気よく答えるナユタに対して、芽衣の口元が引きつるのが分かる。努めて笑顔を維持しているのだろう。
「分かったわ。それじゃあ、私が活動を許可しましょう。この不愛想な男が何を言っても気にしなくていいからね」
そう言いながら、芽衣は立ち上がり私に向かって手招くジェスチャーをする。私は喜びで小躍りするナユタを置いて、席から立ち上がり、芽衣に連れられ隣の部屋へと移動する。
「いいのか、芽衣。俺たちにはクリアしなければならない課題が山ほどあるんだぞ」
「あのね……私から持ち掛けておいて、こんな事言うのも変な話だけどさ。あのナユタって子は、蓮にとって大切な人なんでしょ。だったら、少しは彼女の事も考えてあげなさいよ」
芽衣に詰め寄られた私は言葉に詰まる。確かに、ナユタをこの狭いネットワーク上で閉じ込め、私たちとだけ会話させていては行きも詰まるだろう。
それに、ナユタの言った「一人でも多くの人に、私の事を覚えていて欲しい」という言葉は、私の心の深い所を抉り出した。
「すまない。この秘密を守り抜く事ばかり考えてしまっていた」
「ええ、その気持ちはありがたいけれど、彼女を悲しませるような事はしてはダメ。ほら、ナユタちゃんって凄くいい子なんだもの」
「そうだな。あの性格は昔から変わらないんだ」
ナユタは昔から私にとって大切な人だった。だからあの日、芽衣から悪魔の研究を持ちかけられた時に、その手を握ってしまった。それが法的にも倫理的にも許されない研究なのだと知りながらも。
「……蓮。ナユタちゃんの事、絶対守るよ」
芽衣は部屋の中央に置かれた「彼女」を見つめながら、決意に満ちた言葉で言った。
「ああ。もちろんだ」
私も「彼女」を見る。もう後戻りはできないのだ。
部屋の中央には円形の水槽があった。周囲には様々なケーブルが配線されており、部屋を埋め尽くす多くのサーバやストレージ、ネットワーク機器に接続されている。
そして、水槽の中には裸体の少女が浮かんでいる。どことなく神秘的な雰囲気を漂わせる少女の頭部には、配線された多くのケーブルが接続されていた。
彼女こそVtuber「阿僧祇ナユタ」の中身であり、社会的には一か月前に死んだことになっている私の幼馴染その人であった。
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