ユア・ギフト(2)
しつこいくらいに口付けて、余すところなく私の肌に触れる。痣のある所も、無い所も、全く関係が無いらしい。そんなに強く求めておいて、何も言わないんだね。
耳の下くらいまでしかない短い髪を、ゼナはキスの度に両手で掻き上げるみたいに梳いて、地肌を撫でてくる。
「何か、終わった頃には、すごい癖が付いてそう」
思わず零した言葉に、ゼナは肩を震わせて笑うと、「ごめん」と明るく言って髪を正しい方向に手櫛で整えてくれた。どうせまた乱されるのだろうけど、ゼナの細くて長い指先が短い髪をぐしぐし撫でてくるのは心地が良かったから、何も言わなかった。
「シィラはずっと短いままだね」
そう言うゼナの髪は長い。背中の真ん中くらいまで伸びていて、毛先は好き勝手な方向にくるんと柔らかく弧を描く。重力を解除したら、きっとふわふわ宙に漂って、色素の薄さも相まってとても綺麗なのだろうなと思った。ベッドに入るまでは結い上げていたから、見ることは出来なかったけれど。
「こういう髪を、女性的って言うのかな」
私はそう呟くと、手を伸ばしてゼナの髪を指先に絡める。思っていた以上に滑らかで、それは簡単に私の指先から逃れて落ちた。妙な感動を覚える。自分の髪がずっと短いから、こんなにも長い髪に触れたのは、そういえば初めてのことだった。
「シィラは、男の子に生まれたかった?」
余計な思考に気を取られていた中での思わぬ問いに、私は目を瞬いてゼナを見上げる。ああ。こんなに短くしている、髪のことか。
確かに私の髪は、男達と同じほどに短い。むしろ私より長い男の方が多いくらい。だけど、そんな意識は私には少しも無かった。女に生まれてしまったから、きっとすぐに死ぬんだろうと言われて育った。自分自身も、きっとすぐに死ぬんだろうと思いながら生きてきた。だけど私はそれを苦痛と思うには至らなかった。
「ううん、私は別に。思ったこと無いな」
「そっか」
どうしてか私の回答に、ゼナは嬉しそうに笑う。こいつは私に、女で居てほしかったのか。それとも全く違う理由なのか。すぐに深く口付けられたせいで、あまり多くを問い返せそうになかったから、私は一つだけを聞き返した。
「ゼナは?」
女は希少で、ほとんど居ない。クラスメイトだった女の子の半分は、卒業前に衰弱死している。だけど私は親しいと言えるほど関わった子は特に居なかったから、こんな話をするのは初めてだった。私の問いを受けたゼナは、何度も口付けを落とした後で、私の目を見つめて、まるで愛を囁くみたいに甘い声で答える。
「女で良かったって、思ってるよ」
押し付けられた柔らかな身体が、お互いの性別を確かめているみたいだった。
「シィラ」
「ん?」
一度強く震えた後に呼び掛けられ、私は声がちゃんと出せなかった。手の平で口を押さえ、その中で大きく深呼吸する。そんな私を労うかのように、汗に濡れた前髪をゼナの指先が払ってくれるのに。彼女の手はまだ私の身体を熱くしようと撫で上げている。
「改めて思うけど、こうしてゆっくり一緒に居るの、久しぶりだね」
「……初めてじゃなくて?」
さっきから、行為の最中で唐突に雑談を紛れ込ませてくる。互いの呼吸が少し乱れていて、全然普通の会話の雰囲気なんて無いのに、内容だけはまるで他愛ない話ばかりだ。
「そっかなぁ、図書館とかで、よく一緒に居たじゃん」
「二人で過ごしたわけじゃ、ないでしょ」
「ふふ、たしかに」
宇宙警備の授業の課題を片付ける為に、何人かで図書館に行ったことは、確かにあったように思う。その大勢の中の一人がゼナだっただけで、私の中では「ゼナと一緒に居た」という感覚はまるで無い。だけどゼナにとってはそうではなかったとでも、言いたいのか。
「そうそう、初めて話したのも図書館だったよ。私、結構はっきり覚えてる」
「……そうだっけ」
「あー、ひどいなぁ」
言葉を紡ぐ合間に聞かされるリップ音と、それらが齎す感覚が、私の思考を曖昧にする。本当に覚えていないわけじゃないけれど。何と答えたら良いか分からなかった。私が授業をサボって図書館で寝ていた時のことだったと思う。授業中なのに、何でゼナが来たのだろうと驚いた。ギフトのある彼女なら、図書館で眠る私を遠くの教室からでも見付けられたのだと思う。教室がある建物は図書館の窓から確かに見えるから。ただ、教室の窓なんて、常人の目じゃ点としてすら見えない大きさだけれど。
『シィラも、サボったりするんだね』
そう言って笑っただけで、ゼナは沢山話そうとする様子は無かった。適当な本を近くの棚から引き抜いて、近くに座って、本当に読んでいたのかは知らないが、ただ傍に居た。わざわざサボってまで私の傍に来たなら、何か話したいこととか、言いたいことがあるんじゃないのかと疑問に思わずにいられなかった。だけど彼女が何か言わない限り、私から言えることも無い。授業の終わりを知らせるチャイムが鳴って、人の気配が増えるまで、私達は二人きりで、ただそこに居た。
「シィラ、ずっと格好良かったな」
「何が?」
「うーん、何だろうね。学校で」
ゼナの手がやわやわと胸全体を確かめるみたいに触れるから、返答が短くなる。下手に長く話していると、変な声が混ざりそうで嫌だ。
「最初の実技とかも、すごかったじゃん。初めて機銃を扱ったのに、目標、全部一人でぶち抜いちゃってさ。あの時の、先生の顔が可笑しくって忘れられないよ」
「あー……」
武勇伝みたいに言ってくれるけれど、私にとってはあまり良い思い出ではない。高評価は貰ったものの、「ほどほどを覚えてほしい」と悲しい顔で言われたことが居た堪れなかった。ゼナの言う通り、あれが初めてだったのだ。『ほどほど』みたいな器用なことが出来るわけがなかった。そんな器用さを習得するのに、私なりに苦労はしている。
「私はゼナみたいなギフテッドじゃないよ。たまたま、得意なだけ」
「あ。知ってたの?」
「有名でしょ。噂くらいは聞こえた」
そういえば、ゼナ本人がその特殊さを公言しているところは目にしなかった。『女』という希少な生き物である以上に、ギフテッドであることは『特別』だったのに。どうしてだったのだろう。私を見つめる為だけに使っているようなギフトだから、知られたくないとか? 聞いてみたい気持ちもあるけれど、肯定されると返答に困るから、その疑問は飲み込むことにした。
「実際、どうなの、こんな近くだと、まともに見えなかったりするの?」
「あはは、ううん。近くに居るときは、普通に見えてるよ」
特定の場所を、『よく見よう』という意志で凝視すると、ズームレンズで拡大するみたいにぎゅっと大きく、細かく見えるそうだ。意識をしない限りは、普通の視界であるらしいとゼナは語った。「らしい」と言うのは、彼女自身、自分の持つ以外の視界を知らないからだろう。
「私はそれより、シィラの見てるものが知りたいよ」
「だから私はギフテッドじゃないってば」
「そういうんじゃなくってさ」
瞳を覗き込むようにして顔を寄せてきたゼナが、私の目尻を愛おしそうに手の平で撫でる。彼女の瞳には熱が戻り、私達が今ベッドで行為の真っ最中であることを思い起こさせた。
「急に空気、変えないで」
「はは」
照れ隠しの言葉を軽い調子で笑い返してくれるくせに、ゼナの口付けは今を教え込むように甘い。
ずっと私を見つめていたゼナは、私が見る先のものも探して見つめていたのだろうか。私は私の見つめていたものなんて、何も覚えていない。特別な何かなど、捉えていたとは思えない。私にはあまり執着が無いのだ。ただ気儘に、宇宙に漂っていたかったから、宇宙警備を志望した。女に生まれたことで最初から短いと知っている命なのだから、警備職が危険だとか、そんなのはどうでも良かった。自由で気楽である方がずっと良かった。
彼女はそんな私に一体、何を期待していて、私から何を得たいと思うのだろう。
「シィラから、私はどういう風に見えてる?」
「どうって……」
期待される答えはまるで分からない。『今までのゼナ』を問われているのだとしても、ずっと見つめていたのは私じゃないから分からない。今此処に居るゼナのことしか、分からない。
「綺麗だね、真っ白で」
「ふふ」
美しい肌を見つめてそう言えば、ゼナは嬉しそうに、そしてちょっとだけ恥ずかしそうに笑う。
「汚れないもんだね」
醜い痣の浮き出た腕を擦り付けてみるが、その痣の色は、ゼナの皮膚には付きそうに無い。私のそんな行動に、ゼナは可笑しそうに声を上げて笑った。
「最初の『本当にいいの?』みたいな控えめな感じ、何処やったのよ」
「いやもう今更でしょ」
本気で移したくないと憂えていたなら、初めからこんな行為は許していない。ゼナも「そりゃそうだ」と言って、改めて私に覆い被さった。
「でも、痣なんかどうでもいいくらい、シィラは綺麗だよ。ほどよく引き締まってて、本当、羨ましいな」
言いながらゼナは、私の腹部の筋肉を丁寧に撫でて確かめている。性的な色を消して触れられると唐突にくすぐったく感じる。身を捩ると余計に筋肉が浮き出るのか、ゼナの手が止まらない。
無重力状態ではどうしても筋力が落ちていくものだけれど、私は生来、筋肉が付きやすい体質だ。適度な運動でもそれなりに保てている。ゼナの方は、筋肉の少ない細い身体をしていた。本人曰く、もっと筋肉を付けたくてこれでも精力的にステーションのジムには通っているらしい。少しも報われてないねと、笑い飛ばしてやった。
何でもない雑談、当たり障りの無い思い出話を何度も挟む。本当に話したいとゼナが願う話題へその内に辿り着くのかと思いきや、そんな様子は少しも無いまま、時間だけが過ぎていく。
「シィラ」
熱く濡れた声で何度も何度も名前を呼ぶのに、その後に、続きそうな言葉は聞こえてこない。まるで愛しているとでも言うみたいな声で呼ぶくせに、ゼナは特別な言葉を何一つ、口にしようとしない。余計な話ばかり積み重ねて、こいつは肝心の言葉を遂に囁くことは無かった。
ゼナは、真っ白で、滑らかな、綺麗な身体をしていた。傷も染みも、痣も、何も無かった。
それでもこんなに醜くなった私の身体を、愛おしそうに触れていた。全身の肌で触れて、唇で触れた。その感触が、皮膚がざわつく気配が、あいつの居なくなった後も全然、無くなってくれない。あの日、『好奇心』で私に触れたあいつは、それを『好奇心』のまま、ふざけるみたいに笑った顔のまま、何も伝えようとしないで帰っていった。
『シィラ、救助要請が入った。出られるか』
「はい」
相変わらず何の音も無かった機内に、ノイズ音が入り込む。今日は丁寧にボタンを押して応えたけれど、正直、機嫌はあの日以上に悪かった。
『気を付けろよ。もう、お前が最後なんだからな』
「アイ・サー」
短い言葉で私は通信を切る。そして口角を引き上げて、鼻で笑った。
「そう思ってんだったら駆り出してんじゃねえよ、クソヤロー」
もうこの広い宇宙の何処にも、ゼナは居ない。『女』はもう、私だけが残された。
やっぱり、要らなかったんだと思う。要らないんだと思う。女は希少だけど貴重じゃなくて。だから失っても、こんな口先だけで惜しいのだと伝えてくる。
私の痣はまた広がった。なのにまだ生きている。あんなに綺麗な肌をしていたゼナは、昨日、女特有の衰弱で先に死んだ。この痣は、女を殺す痣ではなかったのだろうか。もしくはこれは抗体で、痣があるだけ、私は長く生きるのだろうか。
女がどんどん死んでいく中、ゼナは私を失うことを危惧して、あの日、慌てて触れに来たのだと思っていた。だけど本当は、あいつは自分自身がもう長くないと気付いたから、会いに来たのかもしれない。細くて、筋肉が薄くて、白い身体だった。私が死ぬかもしれないなんて、二人になるのを待たなくても、思いそうなことだ。だからきっと、やっぱり、あいつは自分が死んでしまうと知ったから、今更、触れに来たんだろう。だけど。
「どうでもいいや」
そう、もう、そんなことはどうでもいい。私はハンドルを握って、加速のレバーを引く。補給用ステーションから吐き出される私の機体。数十秒後、微かなノイズと同時に、リーダーが何処か焦ったような声を聞かせる。
『シィラ、ちゃんと補給をしたのか? ステーションの残量が変わっていないぞ』
多分この時、私は生まれてから一番の大きな声で笑った。
「してねえよ」
応答のボタンへ手を伸ばすことなく、加速のレバーを引き続ける。補給のステーションはもう遠い。燃料残を示すメーターが真っ赤になっていた。機銃の弾もすっからかんのままだ。あのステーションで、私は何も補充しなかった。
私にとって、ゼナは特別な関係ではなかったし、親しい間柄でもなかった。数少ない女の一人で、あの日のゼナは『最後のもう一人』で、それ以上でも以下でもない。あいつがずっと私を見ていたことを、私はずっと知っていただけ。それだけだ。
好きだったとか嫌いだったとか、そういうのは何にも無い。
だけど私は、多分、
「――あんたにだけは、置いて行かれたくなかった」
ゼナはずっと私を、希少だとか貴重だとか、そんなこと何にも関係なく、掛け替えのないこの宇宙のただ一人として見つめていた。その視線をずっと知っていたから、私は女に生まれた虚しさとか歯がゆさを、一切知らないで居られたのかもしれないって、今更そう思う。
人類から女を奪った病とは全く違うものを、私は患った。ゼナが私に移して行ったのかもしれない。いつまでもくすぶり続ける面倒な内側の高熱と、皮膚の上を滑っていく体温の残りが、どうにも私をおかしくしていく。
任務は果たそうと思う。私は警備だから。『メーデー』と、私達を呼ぶ声が聞こえている。助けに行かなければならない。充分なスピードに乗ったこの機体があれば、弾など無くとも敵は間違いなく排除できる。その後のことは、もうどうでもいい。
私を見つめるゼナはもう居ないのだから。この広い宇宙の片隅で、希少でも貴重でもないただの火花になるだけだ。
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