ギフト

ユア・ギフト(1)

 喧騒とは無縁の静かな世界。放っておけば浮いてしまう私の身体を繋ぎ止めているのは、操縦席のシートベルト。大人しくそれに繋がれたままで目を閉じていた私は、不意に入り込んできた小さなノイズ音に眉を寄せた。

『メーデー』

 がさがさと枯れ葉を掻き混ぜるようなノイズに紛れ、三度繰り返されるその言葉に、重い目蓋をこじ開ける。不確かな視界の中で手を伸ばし、まず本部へ連絡しようと寝惚けた頭で辛うじて判断した。だが、本部はとうに動いていたらしい。新しいノイズ音は、先程よりもずっと明確な声で私に語り掛ける。

『シィラ、出られるか』

 聞き慣れた男の声だ。応答の為に別のボタンへと手を伸ばし、苛立ちを示すように勢いよくそれを押した。そんなもの、相手に伝わりはしないのに。

「私、立て続けで全然寝てないんですけど。周り、他に居ないんですか」

 唸るようにそう返した私に、問い掛けてきた男は逡巡した様子で沈黙を落とした。

『はーいはいはい、リーダー、私が出られますよー』

 唐突に明るい声が入り込み、私は少しの安堵に息を吐いたが、それとは別に、疲れも感じた。元気な声は、疲れた身体には少々響く。

『近くに居たのか、ゼナ』

『偶々、補給の帰りで近くを通りましたー』

『ではゼナ、出動を頼む。シィラ、休んでいて構わない。起こしてすまなかった』

 私と、ゼナと呼ばれた女はそれぞれ了解の意を述べて通信を終える。だけどブツンと通信が切れた音は一つだけで、もう一つのノイズがまだ消えない。怪訝に首を傾けると同時に、女の声が柔らかく響いた。

『シィラ、操縦席に居たの? ベッドで寝た方が良いよ。それじゃ』

 こんなに静かで優しい声が出せるなら、先程の応答もこの程度で良かったのではないかという感想を抱いたのは、まだ寝惚けていたせいだと思う。掛けられた気遣いに礼を述べる暇も無く、ゼナは通信を切った。私の空間には再び静寂が訪れ、ぼんやりとした頭はこのまま眠り落ちてしまいたいと囁いている。だけど私はゼナの言葉に従うように、ベルトを外して奥の部屋へ、空気中を泳いで移動した。窓の向こうには無限に広がる星空だけがあって、他には何も無い。しかしそれは暗闇ではなく、幾つかの星が生み出す明るさが、操縦士不在の椅子を煌々と照らしていた。

 此処は広大な宇宙の片隅。私達の祖先の故郷であった地球は遥か遠く、帰省しようなどと思い立っても、もう一生の内には届かない。そんな場所で人類が拠点としているのは、月くらいの小さな星に根を張らせた巨大な宇宙ステーションになるのだけど、そこにすら私はもう随分と帰っていない。警備隊として働くことで得た自分専用の小さな宇宙船の中で、日々を気儘に過ごしている。補給や機体修理の為に専用のステーションへ立ち寄ることはあるけれど、居住域には用も無ければ興味も無かった。

 帰属意識が薄い性格であるのも自覚はある。でも正直、『女』というだけで珍しがられて、煩わしいというのが一番だった。

 この宇宙の片隅に残る『女』は、もうたった二人しか居ない。私と、さっき回線に割り込んできたゼナだ。女は、大体が生まれたらすぐに死ぬ。もしくは成長したってある日突然、衰弱して死ぬ。原因は分かっていない。女だけが適応できない何かがこの辺りの宇宙空間にあるのか、女だけが罹る病があるのか。何にせよ、今、残されているのは私とゼナの二人だけ。

 それでも人類は私達を珍しがる程度で、『絶滅危惧種』として丁重に扱おうなんて様子はまるで無かった。すぐに死んでしまうとは言え、『作り方』をもう知っているからだ。この宇宙ステーションで生活を始めた人類は、一人の例外も無く、全員が特殊なカプセルから生まれている。女が減ったことだけが原因ではなく、男の生殖機能も著しく低下している為だ。人は、かつての地球でそうだったような形ではもう生まれていない。だから今いる女は二人だけど、その内また作られて、私達くらい大きくなる子も出てくるだろう。つまり女は、希少だけど、貴重じゃない。

「淘汰ってやつかな」

 ベッドで眠ったお陰か、疲れが取れてようやく思考が晴れてきた。寝返りを打てば、ぎしりと軋むスプリング。寝室として使用しているこの部屋は、ボタン一つで簡易重力が生成される。浮いたままで眠る方が好きな奴も居るけれど、私は重力のある中でベッドに背を付けて寝る方が好きだ。疲れの取れ方が全く違う。と思う。多分。

 身体を起こして大きく伸びをする。それから大きな欠伸をする。疲れ果てた状態での救助任務を回避できた私は、おそらくこの後の仕事は無い。疲れ果てている状態をリーダーが確認したのだから、少し他に仕事を回してくれるはずだ。この隙に、食事も取っておいた方が良いだろう。お腹はまだ減っていないものの、任務がまた続いてしまってはかなわない。覗いた食糧ボックスは、まだあと二週間分くらいは残っていた。ただ、此処は食糧補給のステーションからも少し遠い。そろそろ一度戻って、補給をしても良さそうだ。

 ともあれ今日は何を食べようか。特に食欲の湧かない中での選択には時間が掛かった。別に、どれも食べたいわけじゃないんだよな。

『シィラ~、まーだ寝てるかなー』

「はあ?」

 ようやく一つの箱を取り出して食事を決めたところで、入り込むノイズ音と人の声。箱から手を離し、その辺に浮かせておく。声の聞こえた操縦席の方へと泳いで到達すると、逆さになった状態で応答のボタンを押した。

「今起きたとこ。何、ゼナ。用事?」

『うん、ちょっとそっち行ってもいい?』

「良いけど。任務どうしたの」

 時計を確認する。彼女が代わりに出てくれた時間からは、まだ二時間と少し。だけどゼナは『終わったとこだよ』と返してきた。随分とあっさりした仕事だったらしい。

「そう、お疲れ様。じゃあ待ってる、あー、どっかに停まってた方が良い?」

『大丈夫だよ、引っ付くの得意だから』

 私の機体は今、『留まる』という自動操縦に切り替えて宇宙空間に浮いている。此方に来ると言うのは、並走して通信で喋るなんて意味じゃなくて機内に会いに来るのだろうから、器用に引っ付いてくれないと難しい。接触したら機体が破損するし、ちゃんと接近して結合しないと、移動中に外れてしまって最悪の場合、宇宙空間に放り出されてしまう。何処か地上で機体を固定させた方が安全だろうと思った。しかし、まあ本人が大丈夫と言うなら、大丈夫なのだろう。「あっそ」と短く返して、私は彼女が来るのを待った。食事のことはもう忘れていた。

「本当に上手なんだね」

「えへへ、停まるの大好きだからね、停まる技術だけ高いの」

「褒められた理由じゃなかったわ」

 宣言通り、互いの機体を接触させることなくほどよく寄せて停まったゼナは、危なげなく私達の空間を繋げて、中へと入り込んできた。

「随分早かったね。小物だった?」

 私達、警備隊の相手はいわゆる『地球外生命体』だ。もはや私らもそうでしょって思うけれど、今も人類は『地球人』のつもりであるらしい。宇宙ステーションのカプセルから生まれてるくせにね。よく分からない拘りだと正直思う。

 さておき、私達とは全く違う形をした生命体が時々船を攻撃してくるから、警備隊はそれを処理しなければならない。星と星の間を航行している一般の船が、自分達だけでは追い払い切れなかった場合、先程のような救助要請が来るのだ。あまり武器を積めないような小さな船も多いせいだろう。お陰で警備隊としての仕事は絶えず発生して、時々、休息も儘ならない。

「んー、いつもと同じ大きさだったかな。でも私が着く前にリーダーが処理しちゃってたんだよね」

「……最初から私ら要らなかったじゃん」

「ホントにね」

 あいつらの処理に最も手慣れているリーダーが対応に出ていた為に、早く終わったということだったらしい。そんな簡単な任務で叩き起こされようとしていたのか、という不満と同時に、大変な任務をゼナに押し付けたわけじゃなくて良かった、という安堵も湧いてくる。眠かった時は「勘弁してよ」と思っていたものの、起きてしまえば「行けば良かったかな」と反省の念が生まれるものだ。ゼナはそんなこと、少しも気にしている様子は無いけれど。

「それで、突然どうしたの」

「うん、もう、私らだけなんだなーって思ってさ」

「……うん?」

 徐に伸びてきた腕が肩に触れ、宙に浮いていた私の身体を引き寄せる。手の届く範囲に掴める場所が無くて、寄せられた勢いのままで私はゼナの身体にぶつかった。肌が触れたわけでもなく、体温を感じたわけでもなかったのに、押し付けられた久しぶりの『人間』の存在感に、何だか皮膚がざわざわした。

「――何かもう、発想がいかれてるんだよね」

「あはは」

 結構ばっさり言い放ったつもりだったのに、ゼナは朗らかに笑って受け止めていた。私を抱いたままで彼女が膝を乗せたベッドは、まだ重力を示す音を鳴らさない。枕元のボタンに伸ばされる腕を叩いてやっても良かったのだけど、考えている内にゼナの指先がボタンを押して、二人分の体重にベッドはいつもより大きな音で軋んだ。

「だって先に死なれちゃったら、もう一生、女の身体に触れなくなるかもしれないでしょ? 自分の身体触ってもつまらないしさぁ」

「何も共感できないわ」

 そういうわけでゼナは私の身体に触らせろと言ってきた。「何処を?」という質問に答える彼女の臆面ない回答は、端的に言えばセックスしようと言っているのだなと、流石に分かるものだった。こういうことを言う『男』はそれなりに居たが、『女』に言われるとは思ってもみなかった。

 強引に私をベッドまで運んだゼナは、その強引さとは裏腹に、私を見下ろす形で留まっている。どうやら、私からの返事を待っているらしい。こんな風にゼナを近くで見つめたことは無かったのに、その視線が身体に馴染むと思う私が居る。

「別にいいけどさ」

「え、まじで」

 私の回答も充分におかしかっただろう。別に私はこいつを愛してなんていないし、こいつと特別仲が良かったこともない。また、こいつが抱く好奇心も、私には無い。付き合ってやる義理なんて少しも無いという考えと同時に、私の中に芽生えたのは違う好奇心だった。私は上体を起こして、ベッドボードを背にして座る。ゼナは私の動きを大人しく見守っていた。

「あんたが本当に、良いならね」

 そう言いながら、私は首元まできっちりと上げていたファスナーを下ろし、中に着ていたシャツのボタンを外した。勝手に肌を晒していく私を、ゼナが見つめている。袖を抜き取って、下着だけになった身体は、もう、すっかりと醜い。いつからか私の身体に現れ始めた赤黒い痣が、今はもうすっかり大きくなって、お腹や腕の各所に広がっている。感染症だったとしたら、こうして同じ空間に居る時点で問題なのだろうけれど、こいつが望む行為に及べば、どの感染パターンであったとしてもほぼアウトに違いない。

 それなのに、ゼナが驚いた様子で目を見張ったのはほんの少しの時間で、身体の痣なんて何も目に入ってないみたいな顔をして穏やかに笑った。

「思ってたより、胸あるね。えっちな身体」

「あんたは思ってたよりずっとバカだったわ」

 躊躇なく私の肌へと伸びた腕をもう、振り払う気は無かった。こんなリスクを乗り越えてしまいたいほどの強い好奇心が彼女にあるのなら、別に、付き合ってやっても良いと思った。

 繰り返すが、私とゼナは特別、仲の良い間柄ではない。今までほとんど接点なんて無かった。ただ学年が同じで、顔馴染みであったことは否定しない。人類の拠点となっているステーションで生活していた頃に、義務教育で通ったスクール。同じクラスではなかったものの、お互い宇宙警備を志望していた為、専用の授業がある場合には同じ教室に居ることもあった。話した記憶はほとんど無い。あの時は、女も私達二人だけじゃなかった。

「んー、気持ちい」

「……キスしたことなかったの?」

「いやあるけど。でもシィラの唇が薄くて何か、いい」

「はぁ、そう」

 あるんだ。「無い」と言われても意外な気持ちは抱いたのだろうけれど、「ある」と言うのも意外に思った。

 だってゼナ、ずっと私のことが好きだったでしょ。

 その言葉は飲み込んだ。ゼナは何か言いたげにした私のことなんて全く気付いていない様子で、唇を落とす場所を変えている。

 私達に接点がほとんど無かったことは、嘘偽りない。だけど、こいつから一方的に向けられる想いまで知らなかったとは、流石に言わない。

『――ゼナって、目が良いんだってさ。ギフトらしいよ』

 何処かから聞こえてきた噂話だ。カプセルから生まれる人間は、時々、異常な身体能力を持つことがあるらしい。ゼナはその内の一人であったようだ。そんな特殊で稀なギフトを、こいつは随分と下らないことに使うものだと私は当時から呆れていた。ゼナは、いつも私を見ていた。遠くからでも、ごく近くからでも、隙あらば注がれる視線。私の何がそんなに気になるんだかまるで分からないけれど、私がゼナを認識した頃からずっと、それは途絶えること無く続いている。今でも、宇宙の遠い遠い場所から、こいつが時々、私を見ている気がする。多分、気のせいなんかじゃない。さっきの通信の『操縦席に居たの?』という言葉だって、私の応答の速さを指摘したように装っていたけれど、本当は見ていたから、回線にも割り込んだのだと思う。

 女があと二人だからなんて、どう考えても嘘でしょ。それが良い口実だとでも思ったんじゃないの。

 閉じていた目を開けて、私に触れているゼナを見上げる。瞳はあまりに熱くて、見つめられているだけで何処か火傷でもしてしまいそうだ。こんな目を、私はずっとずっと、知っていた。

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