第29話 メヌエットは響くことなく

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、返り血を浴びた兵士たちを睨み上げる。


 微塵も罪悪感を感じていない様子の連中は、むしろ達成感に笑ってすらいた。


「てめえら……」

「……こいつ、本当に変ですよ。よく見たらこの服は……」


 わなわなと震えている俺の着ているものが、魔王軍のものだと気付いたらしい男の顔色が変わり、警戒するような目つきになった。


 しかし、その口がその事を告げることはなかった。

 

 首が飛んだら喋れなくて当然だよな。


 誰かが叫んだ。

「……ゴーレム!! 機動戦タイプよ!」


 前触れもなくその場に乱入してきたゴーレム……石の人形が曲刀を振り回し、反応の遅れた兵士を数人薙ぎ倒す。首や四肢が飛び、俺にも血飛沫が掛かった。


 散り散りになった兵士たちは弓や槍で応戦するが、石の塊にそんなもんが効く訳がない。そして石の塊とは思えないほどに素早い動きを見せるゴーレムは、次々と兵士たちを撫で斬り、叩き潰し、吹き飛ばしていく。


 いいぞもっとやれ。全員、くたばれ。


 俺は座り込んだまま、音楽の代わりに、呪いの言葉を吐き続けた。


 しかし、兵士たちも魔城に直接乗り込んで来るだけあって、相応の実力を持つ精鋭揃いだった。残った数名が魔法を使って応戦する。一人の女性魔導士が使う風の刃はゴーレムの堅強な肉体を削り、風化させていくものだ。兵士たちは体勢を立て直し、一進一退の攻防が始まった。


 だけど俺はその戦いを見届けるつもりなんてなかった。


 死闘を尻目に、よろよろと立ち上がると、その場を歩き去る。俺の足は勝手に、この状況をどうにか出来る唯一の存在、魔王さまの元へ向かおうとしていた。




 城内には、既に死体の山が出来上がっている。


 床は流れた血一色。壁や天井にも届くほどの血飛沫。

 そして、相打ちになったのであろう人間たちと、モンスターたちの屍。


 遠くから微かにモンスター達の咆哮と、人間の叫び声、そして剣と爪と魔法が衝突する音がする。戦場は刻々と変わっていっているのだろう。


 おびただしい数の死が満ちる魔城内を、前を向き続けて歩く。 


 俺の脳は、俺の目に映る全てのものを否定していた。



 首を刎ねられた、吸血鬼。

 頭蓋骨を砕かれた、スケルトン。

 身体中に矢を受けて力尽きた、巨人。

 魔法で上半身を焼かれた、ラミア。

 二人で四つの部位にされたゴブリンの双子。



 俺は足を止めなかった。立ち止まってしまったら、その全ての現実が伸し掛かって、二度と立ち上がれくなりそうな気がしたから。


 しかし、胸に幾本もの剣を突き立てられたハルペイアの姿を見てしまった瞬間、俺はついにその場に崩れ落ちてしまった。


 あどけなかった表情はそのままで。虚ろに開かれた瞳に、光はもう無い。



「う、うう……誰だ……?」


 周囲に倒れている人間どもの死体の間から呻き声がして、俺は振り向いた。


 ハルペイアの鋭い足爪に身体中を、そして両眼を抉られた瀕死の兵士が、俺の気配に気付いたようだ。


「頼む、回復魔法を……」

「そんなもん使えねえよ。そのまま死んでくれ」 


 そう吐き捨てて、俺は上階を目指して再び歩き出した。



 上階へ抜ける階段にも、戦死者は溢れていた。

 一歩一歩、それを避けながら、剣と魔法の音が鳴り響く天守へと向かう。




 玉座の間に入ると、魔王さまと、四人の人間が戦っていた。


 いつもの御姿の魔王さまと切り結んでいるのは、三人の男たちと、一人の栗毛の女性剣士の後ろ姿。綺麗に髪を編んでいるのですぐには気付けなかったが、それはリシャだった。


 魔王イアレウスの動きにいつもの精彩と覇気はない。オーソドックスな魔法と、髪を変化させた刃や槍だけで戦っている。苦戦しているのは弟との決戦で力を消耗しすぎた所為であるのは間違いないが、対峙する四人の『勇者』の力が本物である事も大きかっただろう。


 これまで魔王に挑んできた者たちを見届けてきたから、判る。彼等こそが魔王を討ち滅ぼす為に運命づけられた、真の勇者なのだ。全ての者はこの瞬間のための犠牲だったのだ。


 それでも、いつもの魔王であれば、難なく返り討ちに出来ただろう。俺達の魔王の実力はあんなもんじゃない。お前等なんて、汚い真似をしなければ、このクソ悪くてクソ強くて、そしてちょっとだけ優しい、この魔王に敵うはずなんてない。



 その戦いに『音楽』はなかった。

 

 鳴り響くのは、剣が弾ける音。振り抜く音。魔法が出現する音。ぶつかる音。

 そして、いつの間にか、ぽっかり空いた天井から降り注いでいた雨の音。


 こんな時でも、俺の頭は音楽に満ちている。


 こんな戦いを想定して作った曲もあるし、この戦いに相応しい旋律、フレーズも次々と湧いてくる。しかし、それらを演奏する者はもう居ない。


 俺はただ、もう決して鳴り響く事のない楽団の音たちを思い浮かべながら、あいつならこうする、こいつならこうする、と、それぞれのフレーズを口ずさんでいた。



 やがて、身体中に矢と魔法と剣を浴びた魔王は、地に落ちた。



「……イアレウス!」

 我に返った俺は、思わず彼の元に駆け寄る。


 水溜まりを蹴って、ぱちゃぱちゃという音が響く。


「っ! 何者ッ……!?」

 俺の存在にその時初めて気付いたらしい勇者ご一行が、急に割って入った凡庸な一人の男を見つめ、固まる。


「……!」魔王に止めを刺そうと、剣を構えていたリシャも同様だった。



「………」

 血を吐き、苦しむ魔王さまの傍らに寄り添う俺と、それを取り囲んで困惑している勇者たちの睨み合いを、リシャの言葉が断ち斬る。


「……どきなさい。タカシ」

「……知り合いなのか?」

「そんなものではない」


 訝しむソーサラー風の男に凛と応えるリシャの口調は、あの儚げな囚われの少女のものではなく、立派な一人の戦士。きっとこれが本来の彼女の姿なんだろう。


「良く判らないが、面倒だ。諸共始末すれば済む事よ」アーチャーぽい男が囁く。

「……」

「その出で立ちは師団長のもの。この憎き魔王の殺戮に手を貸していたのは間違いない」

「……いいえ、彼は……違う」


 リシャは目を伏せながら、言った。

 しかし、その寸前に彼女の眼が俺に伝えようした事は判った。


 ――否定して。そうすれば助かるから。



 しかし、仲間達を、友人を、家族を、音楽を。この世界での全てを奪われた俺は、震えながらこう返してやった。


「いいや、俺は確かに魔王イアレウスさまの腹心だ」


「汚い真似をしやがって。戦う力も意思もない連中も皆殺しかよ。てめえらの方がよっぽど悪魔じゃねえか……!」



 リシャ以外の三人が嘲笑った。

「それを魔王の配下に説教される筋合いはない」


 その嘲笑ちょうしょうはすぐに止み、リーダー格らしい長身の優男が俺に剣の切っ先を突き付けて、穏やかに呟いた。


「何者でもいいさ。邪魔をするなら、死んでもらうだけだ」

 その背後に、背中に槍を突き立てられて死んでいるテオタの姿が見えた。


 経緯はどうあれ、最後まで魔王の傍に寄り添って戦ったのだろう。

 だったら、俺だって……


「……やってみろよ。魔王を倒したいなら、先ずは俺が相手だ……っ!」


 武器なんて何も持ってない。ならばせめて口で言い負かすくらいはしてやる。

 泣かしてやるからなお前ら。


 がくがくと震えながら立ち上がると。


「く、くく………ははは、ははははは!」


 蹲って苦しんでいた魔王さまの肩が震え、そして笑い出した。爆笑だ。

 

「……!?」俺も、勇者たちも驚く。


「わ、笑わせるな詫歌志。片腹痛いわ……く、く……ははははは」

 お腹が痛いのは、矢がたくさん刺さってるからじゃないでしょうか。

 あとその台詞、爆笑しながら言う人は初めて見ました。


 どうやら俺が啖呵を切ったのが相当なツボだったようだ。


「よくやったぞ。我が片腕」そして魔王はにやりと笑う。


 爆笑したおかげなのか、俺が話している間にある程度回復したからなのか、魔王は魔法を解き放つ力を取り戻したようだ。


 そうだ。魔王、やっちまえ。こいつらを……人間どもを!


 

 しかし、それは彼等を倒す為のものではなく。


「……転移魔法!? まだそんな力が!」

「させるかッ!!」


 鋭く反応した勇者たちだったが、魔王の魔法の発動は遥かに速かった。


 その姿と怒号が一気に遠のく。



――――――――――――――――




「う………うう……」


 ふと気が付くと、なんか見覚えのある所で倒れてた。

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