第3話 魔王さま、やめてください死んでしまいます。

 薄汚れた布衣一枚で囚われていた女の子は、どれほど長くここで過ごしているのだろうか。煤けた肌や茶色の髪を整えれば、相当な美少女であろう人だった。


 どうやら俺を救助に来た兵か何かと勘違いしたらしいが。非常に残念です。違うんですよ。俺。


「いや、その……音楽に詳しい人を探してるんですけど」

「はい?」


 かくかくしかじか。


「――道理で、助けに来てくれたにしては、ひよわそうな男だと思った……」

 鉄柵を握り締めたまま、あからさまにショックを受けて落ち込む女の子。


「音楽……いっしょに捕まった仲間に、吟遊詩人は居ないな」

「え、バフで入れてないんですか」

「何言ってるのかさっぱりわかんない」


 彼女はアーベンクルト王国の高名な剣士、リシャと云い、魔王討伐の為に送り込まれた精鋭部隊の一員だったのだが、魔王に敗れ、生き残った仲間共々投獄されていたらしい。


 しかし、仲間達は次々と処刑や獄死に斃れ。数か月経った今も、ただ一人、石牢で過ごしていたとの事だった。先程覗いた石牢で、アーベンクルトへの忠誠を刻んでいた男もリシャの仲間だったのだろう。


「……お願い。なんとか私をここから逃がして。王国に伝えなければならない事がある。とても大事な事なの。皆を護る為に」


 と、言われましても……石牢のトカゲ男の持っていた槍に突かれたら痛そうだし。


「タカシ、あなた、それでも人間なの?絶望に満ちる世界に、希望の光はもう差さないの?」

 

 目に涙を浮かべて訴えるリシャの説得に、少しずつ絆されてしまう。

 俺は、答えあぐねながらも、一つの解決策を見出そうとしていた。 

 

「私がまだ生かされているのは、アーベンクルトの人々に一縷の希望を持たせる為……いずれ、機を見て私も殺され、皆の前に首を晒される。希望を絶望に変えてしまうのが、奴の手口だから」


 リシャは自身が死ぬ事よりも、それを利用され、故郷の人々が苦しむ事を恐れて震えている。大抵の事は冗談交じりに受け流しきた俺でも、その涙を放ってはおけなかった。それに正直、好みのタイプだったし。


「そんな事はさせないよ」

俺は口を開いた。

「俺が魔王さ……いや、魔王と交渉してみる」


「そんな事ができるの?」


「意外と話は通じるし、なんとかしてみる――」


―――――――――――――――――――――――――


 ――なんとかならなかった。


 魔王の紫の長髪が蛇の様に伸び、俺の首に巻き付くと、軽々と身体を持ち上げられて、壁に叩きつけられた。


「おごっふ……!!」

 背中に走る衝撃。

 髪を振りほどこうと藻掻くが、冗談の様な力強さで、とても剥がせそうにない。


 俺は、この時初めて、瞳を紅く輝かせる魔王が、本物の力を持つ存在であり、慈悲を持たない、人とは相容れない存在である事を、身を以て知る。


「調子に乗るな。人間」

 魔王の、低く凄む声。

「貴様は余の客人ではあるが、部下でもある。立場を弁えろ」


 リシャの解放を申し出た途端、雰囲気が一変した魔王の制裁。

 だが、孤独に耐えるリシャの為にも、簡単に弁えてなるものか。

 

「あんたを、満足させる、曲、を、作る。きっと」

 ぎりぎりと締め付けられる喉から、息も絶え絶えに声を絞り出す。

「そして、その暁には、望みを叶える、とも、言った。契約は、守るのが、万魔の長だと言っただろうがっ……!」


「余に詭弁を弄すかッ……!」

 首を絞める髪の力が語気と共に強まり、俺の意識は遠のきかけた。


 しかし、魔王さまの御髪おぐしがぱっと離れ、解き放たれた俺は床に落ちて崩れ落ちる。

「がはッ、げほっ!うぅ……」


「……興が削がれた」

 情けなく嘔吐する俺を、侮蔑に細めた眼で見下ろす魔王さま。

「だが、今の非礼を見過ごしはしない。代償を払ってもらう」

 再び玉座に座り、頬杖をついて思案する。


「人間どもとのいくさにも飽いてきていてな。ただ戦うだけでは味気ない。国歌だけではなく、余の軍勢を鼓舞し、余自身の戦に華を添える音楽も作ってもらおうか」


「……やりますよ……」


 事態は、更に厄介になった。

 自分だけだけではなく、他者の命を救う為の曲作り。



 ここまでが、俺が、ラスボスたる魔王さまの”戦用”BGMを作り、演奏を指揮する事になった経緯だ。

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