第一章 5 その気持ちが報われたような気がする


目の前に、赤と白の花がたくさん広がっている。

どこまでも綺麗で、けれどどこまで続いているのかもわからない風景。

そんな中にわたしはいた。

花を踏まないように、傷付けないように歩いていく。

途方もなく続く花畑の中で、人影をひとつ見つけた。


白の花の中で、その人が優しく微笑んでいたのが見えた。

けれど、顔はよく見えなかった。一体、"その人"は誰なのだろう…?

わたしの方に気づいたその人は、わたしの名前を優しく、呼ぼうとする。

「○○○○――――――」


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目覚まし時計の音が鳴る。

ジリジリと急かすような音を止めると、目の前には本棚がいくつも並ぶ、よく知っている自分の部屋。

けれど久々にここで起きるからか、その風景には少し懐かしさのようなものを覚えた。

「さっきの夢、なんだったんだろう……」

誰の記憶かもわからない夢。いつも見るのは悲しい夢なんだけど、今日のそれはなんだか幸せな風景のようにも見えて。

時計が指す時刻は「9:00」。今日の予定を思い出して、ゆっくりと起き上がる。


「えっと、今日は確か…」

スマートフォンを充電器から外して、メモアプリを開く。アプリにはざらっと本の名前と、作者の名前が並んでいた。

買おうとしていた作家さんの新刊リストだ。3日間眠っていた間の分も入れると、今日買いに行くのは全部で5冊。

本棚を埋め尽くすほどのたくさんの小説の中に、新しいものがまた一つ二つ並ぶさまを想像して、出かける準備をしよう。

寝間着のボタンを外そうとした瞬間、ドンドンとドアが叩かれる。

「芽衣ちゃんー!朝ごはん冷めちゃうよーー!」

……朝ごはんを食べるのを、うっかり忘れてしまっていたのだった。


「芽衣ちゃん、昨日からずっとぼーっとしてるよね」

「えっ、そうかな!?」

「そうだよ。朝ごはん食べ忘れるってことはたまにあったけど、リビング行くより先に着替え始めるのは初めてだよ」

わたし…咲坂芽衣は自他ともに認める「本の虫」だ。

大好きな小説があったから夢中で読んでしまって寝食を忘れるのはしょっちゅう、お部屋は年ごろの女子としてどうかと思うほど本棚で埋め尽くされている。

最近では本棚を増やし過ぎて、自分の身長で届くか怪しい位置にまで本棚を置こうとして、お母さんや葉月ちゃんに止められたことまである。

けれど一回死んでしまった影響だろうか、葉月ちゃんの言う「リビング行くより先に着替え始めるのは初めて」っていうのには、覚えがなかった。

「あはは。ものすごく楽しみな新刊があったから、楽しみすぎてつい…」

「もう、本の虫なのはいいけど、身の回りのこともちゃんとね!」

「はーい」

葉月ちゃんはわたしの妹だけど、いつもこうやって身の回りのことをうっかり忘れちゃう「本の虫」なわたしをフォローしてくれる。

お母さんはお仕事が忙しくて、お父さんは今お仕事の都合で海外にいるから、家の家事はほぼ葉月ちゃんがやっている。

まだ中学生なのに、すごくしっかりしている自慢の妹だ。


「あ、そうだ芽衣ちゃん」

「どうしたの?」

「今日は夕方までには絶対帰ってきてね。一人でご飯食べるの、すっごい寂しかったんだからね!」

「…あはは。わかったよ!」

精一杯、笑いかけて葉月ちゃんにそう言う。

葉月ちゃんはわたしが死んでしまったことも、吸血鬼になってしまったことも、何も知らない。

ただ、事故で入院していた。ということに彼女の記憶の中ではそうなっているらしい。

たとえ死んでしまったとか吸血鬼になったとか、そんなことには及ばなくても、まだ中学生の葉月ちゃんにとっては大事だったんだろう。

ほんの少しの罪悪感と、それでもこの子が笑っていられる喜びを抱えながら、わたしはまた家を出る準備をする。


電車に乗って、いくつか駅を通過した後、よく知るあの場所に向かう。

わたしにとって、それは最も心が躍る場所なんだろう。と言っても駅ビルの中にある大きな書店だけど。

17歳の女子高生の平均よりは少し低いらしいわたしの背では、届かないほどに高く本が積まれている様子は、いつも息を呑む光景だ。

勿論この中の全部を読みたい、とまでは言わないけれど、この中から運命の出会いともいえるような一冊…いや二冊…

とにかくたくさんの「面白い物語」に出会えるなら、こんなに嬉しいことはないだろう。


スマートフォンのメモから書き写してきた本のタイトルと作者名を見ながら、小説のコーナーを歩いていく。

「えーと…これはこっちの出版社で……」

買おうとした5冊のうち、3冊目まで見つけたところで、ひときわ目を引く人影を発見する。

それもそのはず、その人の髪は真っ赤だったんだから。

勿論周りの人達からも目を引いているその人の姿に、何故かわたしは"懐かしさ"のようなものを覚えていた。

何か、強く惹かれこんでしまうような……。


「……あら、メイじゃない、どうしたの?こんな所でぼーっとして」

「うわっ!?カメリアさんこそどうしたんですかっ!?」

ずっとその人…カメリアさんを見つめていて、思わずびっくりしてしまった。相変わらず、ハッとするほどの美しさだ。

真正面から見つめられると、それだけで顔が火照ってしまいそうになる。

そんなわたしの様子を知らないかのように、カメリアさんは話を続ける。

「私、人間社会の書物に少し興味があるのよ。もしかして、芽衣も同じように?」

「あはは…はい、わたし本がすっごく好きで。今日は新しく出た本を買いに来たんですけど……」

"書物"なんて言い方が、妙に古めかしくてちょっとおかしく感じてしまう。そういえば、カメリアさんだって何百年も生きているんだっけ。

「すっごく好きなら、私に本をオススメしてくれるかしら?」

「えっ、いいんですか!?」

何ということだろう。まさかこの人と、趣味を共有できる時が来るなんて。


わたしはまだ、カメリアさんという人のことをよく知らない。普段何をしているのか、何を考えて生きているのか。

それだけじゃない、どういう性格で、どういう人のことが好きで、どういうものが好きなのか、ということも、まだ何も知らないのだ。

自分の命の恩人ですらある人のはずなのに、何も知らない。

けれど、今この瞬間だけで、なんだかカメリアさんに何歩も近づけた気がした。

――――「芽衣ちゃんは、本が絡んだらいっつも暴走するから、少しは自分を抑えてね!!」

葉月ちゃんに、いつだかそんなことを言われたような気もするけれど、今は気にしていられない。

命の恩人であるカメリアさんに、接近するチャンスだ。


「と言っても…カメリアさんがどういう本が好きなのかわからないから、オススメって言われると難しいんですけど…」

カメリアさんはしばらく考えるような仕草をして悩んで、首を傾げた後、

「……そんなに難しく考えるものなのかしら?」

と、疑問を口にしていた。どうしよう、何か変なこと言っちゃったかな。

「あ、そうだ!せっかくなので、吸血鬼が主役の小説とかどうですかっ!」

「それはいいわね。私の住んでいた国にもそういうものはあったけれど、読んではいないもの。

あの頃は吸血鬼というだけであまり良い扱いを受けなかったから、どうも手が伸びなかったのよ」

「あれ、カメリアさんって外国の人だったんですか?」

「そうよ。この国に来たのは確か150年ほど前になるわ」

150年ほど…とんでもない長さにどうにも現実感がない。150年前といったら、まだ明治時代だったはずだ。


「それで、問題の本はどこかしら?」

「これです、カメリアさんの好みに合うかはわかんないですけど…」

手に取ったのは自分も一度読んだことのある、ラブロマンス小説だ。

小さな文庫本で、ページ数もそこまで多くないけれど、内容はとても面白かったのを覚えている。

小説そのものはとても悲しい結末で終わったけど、それでもなお印象に残るほどの作品だった。

「ありがとう。それがメイのお気に入りの本なのね。大切に読ませてもらうわ」

「えへへ…あとで、感想聞かせてください」

カメリアさんと一緒に、本屋の中を回る。一緒に歩いているとまるで……

「……あら、この『最弱スキルで勇者パーティを追放された俺、実は手違いでチートスキル持ちだったけど、

今更戻って来いと言われてももう遅い。俺はスローライフを満喫してみせる』というのは、タイトルなのかしら?」

「それはタイトル…だと思いますけど、何も全部音読しなくても…」

まだまだわたしにもよく知らない世界があるようだ。


「結局、いっぱい買っちゃいましたね」

「私もだいぶ買ってしまったわね。

本屋を出た後も、まだわたしたちは一緒にいた。わたしがずっと話をし続けていても、まだカメリアさんは微笑んで話を聞いてくれた。

「あの、わたし…カメリアさんに助けてもらって、本当に良かったと思ってます」

「そう。それなら、本当に嬉しいわ」

そう言うとカメリアさんは、は今までよりもずっと強い笑みを見せてくれた。

「あれから…あなたを助けてから。もしあなたが化け物になってしまったことで傷ついてしまったとしたら、

そんなことをずっと考えていたの。けれど…メイ。あなたの口からそう聞けたなら、その気持ちが報われたような気がする。本当にありがとう、メイ」

「ごめんなさい…わたし、最初は本当にびっくりしてて、自分がどうなったかもわからなくて、とても不安だったんです。

けど、リリスさんともお話して、こうやってカメリアさんともまた会えて、やっと自分がどうすべきかわかったんです」


いつの間にか、自分がこれからどうしたらいいのかわからない、というような不安は、ほとんど消えていた。

少し制限はあっても、このまま変わらず生きていけばいいのだ。

ただ変わらず学校に行って、友達と一緒に過ごして、大好きな本を読んで、そんな毎日を繰り返す。

今の自分に出来ることは、それなんだ。

そんな思いを噛みしめながら、駅ビルを出て、駅に向かう。


改札が目の前に見えたところで、急にカメリアさんがこちらを見た。

「メイ、危ない!!!」

「え……?」

その声とほぼ同時に、頬に何か鋭い痛みが走る。気が付くと、頬からは血が流れていた。

一体、何が起きたんだろう。全く理解が出来ないまま立ち尽くしていると、


「見つけたぜ吸血鬼……!亜人狩りの名にかけて、お前を退治する!」

銀のナイフのようなものを構えた男の子が、わたしとカメリアさんの方を睨んでいた。

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