第124話 ヘルパーが勝てないもの


「直希さん直希さん、どうかしましたですか。何だか騒がしいようですが……って、えええええええっ?」


 玄関先に来たあおいが見た物。それは取っ組み合いをしている明日香と節子の姿だった。


「節子さん節子さん、何してるんですか、って明日香さんも」


「ああアオちゃん、毎度です。今ちょっと取り込み中なんだ、あはははははっ」


「節子さん節子さん、やめてくださいです」


「いいよ、あおいちゃん。悪いけどちょっとだけ、好きにさせてもらえないかな」


「直希さん……どうしてですか」


「いや、最初は俺も驚いたんだけどね。何て言うか……こういうイベントもありかなって」


「イベントって、そんな」


「直希、何かあったの」


「あのその……どうかしたんですか」


 そう言って現れたつぐみと菜乃花も、その光景に唖然とした。


「いい加減にしてよね、このアンポンタンはっ!」


 髪を引っ張られる明日香がそう叫び、節子の腕を握る。節子はそんな明日香の言葉にも怯まず、明日香の髪を引っ張る。


「ちょっと直希、なんで止めないのよ」


「あ……節子さん、その……落ち着いてください……」


「つぐみも菜乃花ちゃんも、ちょっとだけ見ていてくれないかな」


「見ていてって……あなた正気?明日香さんがその気になったら、節子さんなんて」


「大丈夫だよ。ほら、明日香さん、ちゃんと手加減してくれてる。流石、喧嘩慣れしてるよな」


「……なんであなたって、そう能天気なのよ」


 つぐみがそう言って溜息をついている間に、明日香が態勢を入れ替えて節子の上に乗った。


「やるじゃないの。いくら手を抜いてるとはいえ、あたしがマウント取られるなんてね。でもどう?これでも反撃できる?」


 そう言ってニヤリと笑う明日香を見て、節子が怯えた目で手を振り回す。


「いい加減にしろよ、この……クソババア!」


 至近距離で節子にそう叫び、頬をつねった。


 節子は明日香の勢いに目を見開き、動きを止めた。


「全く……ダーリンってば、こんな活きのいいババアを連れてきてるんだったら、最初に言っておいてよね。虫の居所の悪い日だったら、本気になってたかもしれないじゃん」


「はははっ、すいません」


 そう言って明日香の手を取って立たせる。節子はつぐみによって起こされたが、まだ怯えた様子で明日香を見ていた。


「大丈夫でしたか、節子さん」


 あおいがそう言って節子の顔を覗き込む。すると節子は、反射的にあおいの頬を張った。


「あらまた……これはちょっと本当に、お仕置きがいるのかしらね……おいババア!あんた今、何したか言ってみろ!」


 明日香が一歩進み、そう怒鳴った。それは先程とはまるで違う、本気の叫びだった。

 節子はその威嚇に怯え、直希の元へ走ると腕をつかみ、顔をうずめた。


「そうやって最後は逃げる。そんな覚悟で人のこと、殴ってんじゃないわよ、全く」


「あー、ママが喧嘩してるー」

「喧嘩―」


 庭で遊んでいたみぞれとしずくが、そう言って中に入ってきた。


「ママー、喧嘩、勝ったのー?」

「勝ったー?」


「……明日香さん……二人の前で、そんなに喧嘩してるんですか?」


「え?いやその、それは……あはははははっ、いいじゃんいいじゃん、そんな小さいことは」


「いやいや、小さいとかの問題じゃなくてですね……駄目ですよ明日香さん。少なくとも、子供の前では自重しないと」


「……はい、ごめんなさい」


「クソババー、ママに負けたのー?」

「負けたのー?」


「ほらー、みぞれちゃんしずくちゃん、明日香さんの真似しちゃってるじゃないですかー」


「……面目ないです」


「みぞれちゃんしずくちゃん、駄目だよ、そんな汚い言葉使ったら。そんな言葉を使ってると、おブスちゃんになっちゃうよ」


「おブス?」

「おブス?」


「そう、おブスちゃん。そうなっちゃったら嫌だろ、二人共」


「はーい、分かったー」

「分かったー」


 そう言うと、二人は節子に頭を下げた。


「ごめんなさい、クソババア」

「ごめんなさい、クソババア」


「あ……なんか勘違いしてるわね、この二人」


 そう言ってつぐみが笑った。


「あおいちゃん、大丈夫だった?」


「はいです。昨日に比べれば、ショックも小さかったですので」


「ごめんね、いつも損な役回りで。後で頬、冷やしておくんだよ」


「はいです」


「しっかしまあ……中々の逸材が入ってきたわね。ほんとに大丈夫なの?この人」


「まあね。直希には考えがあるみたいだし」


「あ、その……大丈夫です。私もその……頑張るつもりですから」


「そっか……あんたたちがそう言うんならいいか。じゃあ、頑張ってね」


「ええ、言われなくてもそのつもりよ」


「ですです。私たちも頑張りますです」


「それにしても、その……明日香さん、本当に喧嘩するんですね」


「え?あはははははっ、こんなの喧嘩の内に入らないって。それにまあ、あたしもちょっとだけ怪我しちゃったし。いくらババア相手とはいえ、これはショックだわ」


「……明日香さん」


「あ……あはははははっ、ごめんごめんって。節子さん、だったね」


「クソババア、こんにちは」

「こんにちは」


 罪のない笑顔で笑いながら、みぞれとしずくがそう言って節子に近付く。


「あ、その……みぞれちゃん、しずくちゃん、あまり近付かない方が」


 菜乃花が心配そうに二人に声をかける。しかし二人は気にしない様子でそう言うと、節子の手を取って笑った。


「ぷっ……」


 あどけない笑顔を向けられた節子が、落ち着かない様子で直希の顔を覗き込む。その様子に直希が思わず吹き出した。


「あ……ごめんね、節子さん。何て言うか、ここに来て初めて、素の節子さんを見れたみたいで」


「確かに……そうね、今の節子さん、子供に話しかけられて困ってる、普通のおばあさんって感じね」


「はいです。節子さんの新しい顔、見れて嬉しいです」


「クソババア、お返事は?」

「お返事は?」


 そう聞かれ、節子はますます動揺して直希の腕をつかむ。その様子に直希は苦笑し、節子の頭に手をやった。


「みぞれちゃんしずくちゃん、この人は節子さん。クソババアじゃないからね。ほら、言ってみてごらん?」


「節子―」

「節子―」


「こらこら、節子さんはあんたたちより年上なんだからね、ちゃんとさんを付けなさい」


「分かったー。節子―」

「節子―」


「いやいや、分かってないからそれ」


「……いいさね」


「え」


「……別にいいさね」


 二人を見て、節子がそうつぶやいた。


「……すごいな、みぞれちゃんしずくちゃん。節子さんがここに来て、初めて違う言葉で喋ったよ」


「そうなの?つぐみん」


「ええ。節子さん、昨日ここに来てからずっと、『そばにいて』しか言ってなかったから」


「そうなんだ……流石、子供のパワーはすごいわね」


「昔、聞いたことがあるわ。私たちヘルパーがどれだけ頑張っても、子供と動物には絶対勝てないって」


「子供と動物……なるほどね、真理だわそれ」


「でしょ?ふふっ」


「節子さん、そういう訳ですから、明日香さんとみぞれちゃんしずくちゃんのこと、よろしくお願いしますね。それと分かったと思いますけど、ここに来る人来る人に対して、俺たちにしてるようなことは絶対しないようにしてください。明日香さんは大人だし、喧嘩慣れもしてますから、ちゃんと手加減してくれます。でもみんなそうとは限りませんからね。分かりましたか?」


 直希が少し強い口調でそう言うと、節子はうつむきながら小さくうなずいた。


「まあ、そういう訳で明日香さんも、節子さんのこと、よろしくお願いしますね」

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