第56話 二人だけの結婚式


 終点の駅に着いた直希とつぐみは、駅から出ると近くのコンビニでパンとジュースを買った。

 少し歩くと、海が見えて来た。

 直希たちは、かなり遠くの街にまで来た気になっていた。しかし実は、直希たちの住む街から二駅ほどの所で、今見えている海も、言ってみれば直希たちがいつも見ている海なのだった。

 堤防の石段に腰掛け、一緒にパンを食べて笑い合う。


「おいしいね」


「私のもおいしいわよ。食べてみる?」


「いいの?」


「代わりにナオちゃんのも、少し頂戴ね。はい、あーん」


「あーん」


「どう?おいしいでしょ」


「うん、甘くておいしい。じゃあお返し。あーん」


「あーん」




 食べ終わった二人は、陽の落ちた海岸で手をつなぎ、静かな海を見つめていた。


「つぐみちゃん、これからどうするの」


「そうね。まずはお家を見つけるのよ。それから二人で、どこかで働くの」


「お家って、どうやって見つけるの?」


「私もよく分からないけど……でも大丈夫よ。私たちは結婚するんだから、そう言えば、誰かがくれるはずよ」


「そうなんだ。つぐみちゃん、やっぱりすごいね」


「お仕事だって見つかるから、心配ないわよ。でも朝になってからね。今日はもう遅いから、大人もそろそろ寝る時間だし」


「じゃあ、僕らはどこで寝るの?」


「それは……そう、あそこでいいんじゃないかしら」


 そう言ってつぐみが指を差した場所。それは海の家だった。


「でも、誰もいないよ」


「あそこは夏にしか開いてないのよ。だから誰もいない。隠れるのにちょうどいいでしょ」


「隠れるって、誰から?」


「お父さんたちが探しに来るかもしれないでしょ。私たちの結婚に反対してるんだから、当然でしょ」


「そう……だね、そうだよね…………あっ」


 直希が空を見上げると、顔にぽつりと雨が落ちて来た。


「つぐみちゃん、雨……雨みたい」


「え……」


 ぽつぽつと雨が落ちて来る。二人が慌てて立ち上がると、雨の勢いが急に激しくなってきた。


「うわああああっ、雨だああああっ」


「もう、何よいきなり」


 二人は手を取り合い、慌てて海の家へと走っていった。


「びしょびしょになっちゃったね」


「ま……まあ、こういうこともあるわよ。でも大丈夫よ。こんなことぐらいで、私たちの結婚はなくなったりしないんだから」


 つぐみが雨を拭いながら、精一杯強がって見せた。




「……ちょっと寒いね、つぐみちゃん」


「そ……そうね……」


「つぐみちゃん、大丈夫?震えてるよ」


「だ、大丈夫よ。ナオちゃんだって、震えてるくせに」


「ぼ……僕は寒いから……」


「男の子なのに本当、ナオちゃんって駄目よね。いいわ、じゃあこうしましょ?」


 そう言うと、つぐみは直希を抱き締めた。


「どう?これなら暖かいでしょ」


「……うん、あったかい……」


 直希の体温、直希の匂いに包まれたつぐみは、嬉しそうに小さく笑った。

 あの映画で見た、二人で雨宿りしてる時と同じだ。

 そう思うと自然と、「小さな恋のメロディ」で流れていた歌を口ずさんでいた。


「つぐみちゃん、その歌」


 直希の耳元を、つぐみの優しい歌がくすぐる。

 その歌声に安心したのか、直希も小さく笑い、つぐみを抱く手に力を込めた。





「ねえナオちゃん」


 つぐみが直希の耳元で囁いた。


「今から結婚式、しない?」


「結婚式?」


「うん。私はナオちゃんが好き。ナオちゃんと結婚したいの。だからね、ここで結婚しましょ」


「結婚式って、お父さんたちも一緒じゃないと、出来ないんじゃないの?」


「本当なら、そうなんだけど……でもね、みんな私たちの結婚に反対なの。だから私たちだけでするしかないのよ」


「そう……なんだ」


「それにね、結婚式をしてしまえば、いくらお父さんたちが反対しても、もう遅いの。だって結婚したら、二人は絶対に離れられないんだから」


「そうなんだ。つぐみちゃん、やっぱり物知りだね」


「どう?結婚式、する?」


「うん、つぐみちゃんと結婚する」


 つぐみはポケットから、真っ白なハンカチを取り出した。そしてそれを頭の上に乗せると、両手を組んで目をつむった。


「ナオちゃんも、目をつむって」


「うん……」


 直希もつぐみに倣い、目をつむって両手を組んだ。




「私、東海林つぐみは、新藤直希と結婚します。新藤直希を夫として、愛し続けます」


「僕、新藤直希は、東海林つぐみちゃんを妻として、愛し続けます……つぐみちゃん、愛し続けるって、何?」


「いいの。結婚の時は、こう言わないと駄目なの」


「そうなんだ……分かった」


「じゃあナオちゃん、私の手を握って」


「うん」


 直希が、つぐみの小さな手を優しく握る。


「じゃあ、私にキスして」


「ええええええっ?キスするの?」


「ば、馬鹿!そんなに驚かないでよ。私だって恥ずかしいんだから。でもね、キスをしないと結婚出来ないんだから、しょうがないでしょ」


「そ……そうなんだ……結婚って、恥ずかしいんだね」


「い……いいわよ。じゃあナオちゃん、キスして」


「う……うん……」


 直希が生唾を飲み込み、震えながらつぐみの頬にキスをした。


「ちがうわよ、ほっぺじゃないの」


「ええ?じゃあどこなの?」


「もう、ナオちゃんは子供なんだから。いい?ほっぺのキスは、子供がするものなの。私たちは結婚するんだから、キスはお口同士でするのよ」


「お口に……そうなの?」


「ええ、そうよ。だからこのキスは大事なの。結婚した二人が、ずっと一緒にいるっていう約束のキスなの」


「分かった……じゃあキス、するよ」


「うん……」


 雨に濡れ、寒いはずなのに、二人の体は熱くなっていた。直希が震えながら、つぐみの唇に自分の唇を重ねる。

 直希の体温が、唇を通じてつぐみに伝わってきた。その感触に動揺し、つぐみが体を強張らせる。しかしやがて、動揺は安息感へと変わっていった。

 直希の唇もいつの間にか、震えていなかった。

 二人は抱き合い、長い時間唇を重ね合った。





「……」


「……」


 キスの後、お互いに気まずくなったのか、ずっと無言だった。

 外は雨。海からの風も吹いてくる。

 濡れた服のせいで、二人の体温は下がっていき、がたがたと震えながら身を寄せ合っていた。


「……つぐみちゃん、大丈夫?」


「だ……大丈夫よ、これぐらい……ナオちゃんこそ大丈夫なの?」


「僕……ちょっと寒いよ……でも、つぐみちゃんの方が震えてるから」


「そ、そんなことないわよ。私は大丈夫よ」


「本当?でも……唇も紫だし……」


 そう言うと、雨に濡れた上着を脱ぎ、両手で力の限り絞った。そして広げると、つぐみの肩にそっとかけた。


「……ありがとう、ナオちゃん。でもナオちゃん、いいの?」


「寒いけど……でもつぐみちゃんが震えてるのは、嫌だから」


「ありがとうナオちゃん。ナオちゃんと結婚してよかった」


「僕も……」


 その時、二人の前に大きな人影が現れた。

 二人が同時に驚き、体をビクリとさせる。




「こんな所で何をしてるんだ!」

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