第42話 介護の覚悟


「……失礼、します……」


 仕事を終えた明日香が、恐縮した面持ちで西村の部屋の扉を開けた。




 しずくを助けようとして、腰を痛めた西村。

 東海林先生の診察では、慌ててしずくを抱えた為、筋をすこし痛めたのだろう、とのことだった。腰に湿布を貼り、念のため明日は部屋で大人しく寝ているように、それでもまだ痛むようなら、一度レントゲンを撮ろうと言われた西村は、いつもの調子で「まいったまいった」そう言って笑っていた。




「あのぉ……西村さん、不知火です」


「おおっ、明日香ちゃんかいの。仕事、お疲れさんじゃったな」


 中に入ると、西村は布団で横になっていた。明日香の顔を見て起きようとしたが、明日香が慌てて中に入り、それを制した。


「西村さん、駄目だってば。ちゃんと寝てないと」


「ほっほっほ。全くもって情けない話じゃて。昔はこんなことぐらい、何てことなかったんじゃがの」


「ほんと……すいませんでした」


「何がじゃ?ああ、しずくちゃんのことかいの。大丈夫じゃよ、どこも怪我はしとらんからな」


「いえ、そうじゃなくて」


「わしが調子に乗って、あんたが駄目じゃって言ってた二階に連れていったんじゃからな、罰が当たったんじゃろうて」


「そんなことないってば。その……ごめんね、西村さん。今日二人を見てくれたことも、それから……いつも」


「ほっほっほ。わしが好きでやっとることじゃて。あの子たちと遊んどると楽しいんでの」


「ごめんなさい……」


「明日香ちゃんや、そんなに謝られても困るんじゃよ。どうせなら、わしにその……おっぱいの一つも触らせてくれる方が、よっぽど嬉しいんじゃがの」


「全く……ほんと、変な人だよね、西村さんは」


「そうかのぉ」


「そうですよ。ふふっ」


「ほっほっほ」


「それで……ね、お詫びって言う訳じゃないんだけど、今日の晩御飯、あたしが食べさせてあげようと思って」


 そう言って枕元に置いたのは、菜乃花特製のおかゆだった。


「別に西村さん、病気って訳じゃないんだけど、姿勢も辛いだろうし、この方がいいんじゃないかってダーリンが」


「そうじゃな。今は入れ歯も外しとるし、その方がいいかものぉ」


「それじゃあ西村さん、あたしにしがみついて。ゆっくり起こすからね」


「うほほほっ。明日香ちゃんに抱き着けるとは、役得役得」


「じゃあ……1.2の3」


 明日香の合図で、西村がゆっくりと上半身を起こした。明日香はすぐに、西村の背中にクッションを置き、腰を安定させた。


「どう?痛くない?」


「快適快適。大丈夫じゃよ」


「そ、よかった……それはそれとして、そろそろ離してくれませんかね」


「おおっ、これは失敬失敬、ほっほっほ」


「ふふっ」





「ほらほらあおいちゃん、いつまでも落ち込まないの」


「はいです……」


「いや、だからそれ、立派に落ち込んでるから。何度も言ってるけど、西村さんの怪我はあおいちゃんのせいじゃないから。それにそもそもの話をしたら、あおいちゃんにお願いした俺のせいなんだから」


「そんなことないです。直希さんは、私を信頼して任せてくれましたです。それなのに私……」


「まあ、子供の行動は予測不能だし、介護とはちょっと違うからね。でも西村さんも、よくあの場所から走れたよね」


「そう、ですよね……私でも、その……対応出来たかどうか……」


「だよね。誰も西村さんが、そんなに早い動きをするなんて思わないさ。あとは、まあ……慌てていかなくても、しずくちゃんが怪我をすることはなかったと思うけどね」


「ええ?そうなんですか」


「う、うん。話を聞く限り、せいぜい尻餅をつく程度だったと思うよ。でもまあ、そこで咄嗟に助けようとした西村さんは偉いよ。だから今のは、ここだけの話ね」


「は……はいです」


「ただいま」


「おう、おかえりつぐみ」


「つぐみさんつぐみさん、今日はその……すいませんでしたです!」


「え……ああ、西村さんのこと?まあ確かに、怪我には違いないし、入居者さんの安全を見守るのが私たちの仕事だけど、今日のことはいいんじゃないかしら。西村さんの容体も悪くないし」


「ほらね、つぐみも同じこと言うだろ」


「勿論、こうならない為に私たちは日頃から、緊張感を持って働かなくちゃいけない。だから……今日のことは、いい勉強になったんじゃない?」


 そう言って、あおいの頭を優しく撫でる。


「目の前で入居者さんが怪我をして、悔しい?」


「……はいです、悔しいです」


「そうよね。でもね、あおいがこの道で生きていくなら、こういうことはこれからも必ず起こる。次はもしかしたら、もっとひどいことが起こるかもしれない」


「おいおいつぐみ、今そんなこと言わなくても」


「でもね、私たちはそれでも頑張らないといけない。立ち止まる訳にはいかないし、利用者さんは他にもたくさんいるの。口癖だから、もう直希から聞いたことがあるかもしれないけど、落ち込むのと反省は違うのよ」


「はい……です……」


「いつまでもそんな顔をしてたら駄目。あなたがそうやって立ち止まっている間にも、他の利用者さん、入居者さんたちの時間は動いてるの。冷たい言い方になるかもだけど、くよくよしてないで切り替えないと、他の利用者さんたちの迷惑になってしまう。言ってる意味、分かるかしら」


「はいです……分かりますです……」


「いつまでも引きずっていると、次の事故を起こしてしまう。だからね、あおい。そうやっていつまでも、自分の失敗を気にしてしまうんだったら、この仕事は向いてない。今すぐやめるべきよ」


「そ、そんな……つぐみさん、それはあおいさんがかわいそうです……」


「菜乃花もよ。無事故を目指す、それは当然のこと。でもね、私たちは人間なの。相手も人間。間違いは必ず起こる。それは昨日までの直希みたいに、体調が悪くて注意が散漫になったり、悩み事に気を取られたりした時に起こるの。だから私たちのような仕事に携わる人間は、プライベートも充実させないといけない。仕事のオンオフをしっかりつけて、メリハリのある生活を心がけないといけないの。でないと必ずまた、こういうことは起こってしまうの」


「そこで俺の話を持ってくるところが、つぐみらしいよな」


「当たり前よ。私は今、直希にも言ってるんだからね」


「確かに……俺たちの仕事は、全身全霊をもって挑まないといけない仕事なんだからな。自分が充実してないと……心に余裕がないと、どうしてもミスが多くなってしまう。

 あおいちゃん、それに菜乃花ちゃん。これからする話は、俺が前にいた施設で実際にあったことなんだけどね、いつかはしないといけないと思ってたんだけど……今するべきだと思うから言うね。ちょっと辛い話だけど、覚悟して聞いてほしい。

 俺がいた施設で、新人の女の子が入って来たんだ。あおいちゃんと同じ年の子だったかな。専門学校を出て、張り切ってこの世界に入ってきた。その子が初めての夜勤を終えた日、朝食時にちょっとトラブルがあって、日勤の人たちはその対応に追われていたんだ。その時の入居者さんは6人、その子はベテランの日勤さんに任されて、食事の見守りをしていたんだ。

 夜勤明けでテンションもあがっていたその子は、入居者さんたちと楽しそうに話をしていた。

 その時突然、その子の前で食べていた入居者さんが、喉を詰まらせた。

 慌てたその子はその人の後ろに回り、背中をさすったり叩いたりしながら、大声で先輩たちを呼んだ。でも……

 その人は救急車で運ばれたんだけど、結局そのまま亡くなったんだ」


「……」


「そんな……それで、あの……その人は……」


「ずっと泣いてたよ。あの人を殺したのは自分だって、ずっと自分を責めてた。亡くなった方の家族の人も、あなたのせいじゃない、自分を責めないでって言ってくれたんだけど、その子、ずっと泣きながら謝って……そして結局、仕事をやめてしまったんだ」


「……ショッキングな話だと思うけど、介護や医療の現場では起こりうることなの。そしてその子は、自分が殺してしまったと感じ、その罪の呵責に耐えられなかった。優しい子よね……でもね、結局その子は、その仕事に向いてなかったことになるのよ」


「つぐみさん……」


「おいおいつぐみ、そのセリフは俺に取っとけよ。お前が悪役にまわることはないだろ」


「……ありがとう、直希。でもいいの。あおいと菜乃花は私の大切な友達。だからね、私が言うべきなの」


「全く……分かったよ、今回はお前に任せる」


「あおい、それに菜乃花。私たちの職場の現実がこれなの。こういうことがいつ起こってもおかしくない場所で、私たちは働いてるの。だからこそ、緊張感を持って全力で向かわなくてはいけない。でもね、どうやっても起こってしまうことはあるの。

 それにね、入居者さんたちはみんな、私たちよりも先にお迎えが来てしまうの。その時が来たら、しっかり泣けばいい、悲しめばいい。でもね、それで仕事がおろそかになるようなら、この仕事をするべきじゃない。他のみなさんやスタッフの迷惑だから」


 つぐみが言い放った言葉は、あおいと菜乃花の胸に重く響いた。


「どうかしら、あおい、菜乃花」


 そう言って、二人を見てつぐみが優しく微笑んだ。

 あおいも菜乃花も、そのつぐみの笑顔に心を揺さぶられ、瞳が涙で濡れた。


「はい、はいですつぐみさん、私、頑張りますです」


「私も、私もです。つぐみさん、直希さん。私もあおい荘で、これからも働いていきたいです」


「よかった……それじゃああおい、今日の件はこれでおしまいよ。しっかり反省して、次につなげなさい」


「はいです……はいですつぐみさん」


「菜乃花もね。頑張るのよ」


「つぐみさん……」


 つぐみが二人を抱き締める。二人はつぐみの胸で、声をあげて泣いた。


 そしてそんな彼女たちを見て、直希は嬉しそうに笑顔を見せたのだった。

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