第5話 新藤直希という男
「あれ……どこですか、ここ……」
深夜、あおいが目をこすりながらそうつぶやいた。
見慣れない天井、見慣れないカーテン。
「……そうでした。私、あおい荘に住むことになったんでした」
ふかふかの布団に顔を埋める。
「ふふっ……三日ぶりのお布団……気持ちいいです」
幸せそうに笑い、枕を抱きしめた。
「大変でしたけど、おかげでこんな素敵な所に住めるようになったです……直希さんには本当、感謝です。他のみなさんも優しそうで……ふふっ、こんな気持ち、初めてかもです……
明日からのお仕事も、頑張らないとです。私だってちゃんと自立できるって所、父様に認めてもらうんです」
そう言って寝返りをうつ。いつものベッドと違って、一回りするとすぐに布団からはみ出てしまう。それが新鮮で、布団から落ちずに寝返りがうてるよう、何度も試す。
くすくすと笑いながら回る。そしてそんなことをしている自分がおかしくて、また笑った。
「少し喉、乾いちゃったです」
直希から、冷蔵庫は自由に使っていいと言われていたので、起き上がり食堂に向かうことにした。
「あ……」
食堂のテーブルで、電気スタンドの灯りの下、ノートを開いている直希と目が合った。
「あれ?あおいちゃん、どうかした?ひょっとして眠れないとか」
「ちょっと喉が」
「ああ、喉が渇いたのか。いいよ、冷蔵庫の中の物、好きに飲んで」
「ありがとうございますです……じゃなくって、直希さんこそこんな時間に、何してるんですか?」
壁に掛かった時計を見ると、12時をまわっていた。
「これは入居者さんの健康ノート。明日主治医の先生が来るから、念のため目を通しておこうと思って」
「こんな時間まで、いつも働いてるんですか?」
「もう寝るけどね。それにまあ、ここのスタッフは俺だけだし、ぼちぼち自分のペースでやってるからかな。それに早く切り上げた所で、別にすることもないし」
「すごいです……でもそれなら、私にも言って下さいです」
「うん、いずれお願いするよ。でも、今日のあおいちゃんはお客さんだから」
そう言って、コップにジュースを注いだ。
「ジュースでよかった?」
「は、はいです。ごめんなさいです、色々と気をつかっていただいて」
「ははっ、そんな所で落ち込まないで。それに明日からは、しっかり働いてもらうから」
「直希さんはどうして、このあおい荘を始めようと思ったんですか?」
「う~ん、簡単に説明するのは難しいけど……俺ね、小さい時に両親を亡くしてるんだ」
「……」
「夏休み、じいちゃんばあちゃんの家に泊まりに行ってた時、家が火事になって。それからはずっと、じいちゃんばあちゃんの世話になってた。
うちの親、と言うかじいちゃんばあちゃん、小さい街工場を経営してたんだ。まあ他に従業員っていっても二人だったし、本当に小さい工場。それでもそこそこ利益はあったし、俺には結構な額のお金が残されてた」
「遺産……ですか」
「うん。それに火災保険やら生命保険、足したらまあ……普通の人じゃ手に入らないぐらいのお金が残された。
じいちゃんばあちゃんも、父さん母さんも仕事人間で、ずっと頑張ってきた。そしてこうして、俺に結構なお金を残してくれた。でもね、高校ぐらいになった時に思ったんだ。この金って、何なんだろうって」
「どういうことですか?」
「みんなが死に物狂いで残したお金。幸せになろうと頑張った結果のお金なのに、父さん母さんは死んでしまった。お金ってひょっとしたら、人を幸せに出来ないんじゃないかって。
そりゃあ勿論、あるに越したことはないけど、でも幸せってそれじゃないんだって思った。
大学に入って色々考えたんだけど、つまるところ人って、人との触れ合いが一番幸せなんじゃないかって結論になったんだ。
そんな時、地元のボランティアに参加したんだけど、高齢者の数がすごいことに気づかされた。なのに福祉のシステムが追い付いてなくて、お年寄りが邪魔者扱いされている。
今まで頑張ってきた人たちの為に、俺に何か出来ないかって思ったんだ。
幸い俺には、どれだけ贅沢してもなくならないお金がある。だったらこれで、みんなを笑顔に出来ないかって考えた。その結果……かな」
「お金で人は、幸せになれない……」
「極論だけどね。でも突き詰めたらそうだと思う。いくらお金があっても、健康じゃなかったら使うことも出来ないし、何より独りぼっちじゃどうしようもない。だからここで、一人でも多くの人に楽しく暮らしてもらえれば、って思ってる」
「ここって、家賃おいくらなんですか?」
「入居者さん?月5万だよ」
「それってお部屋の」
「全部込みだよ。光熱費も食費も込みで5万」
「ええっ?たったそれだけなんですか?お風呂もご飯も入れて」
「あおいちゃんも5万だからね」
「そんなに安くて、ここの運営成り立ってるんですか?」
「お金儲けで始めたんじゃないからね。それに俺、金には困ってないから」
「じゃあ月々の収入は、30万」
「それだけあれば十分だよ」
「直希さんって、変わってますです」
「そうかな?でもおかげで俺も毎日楽しいし、この仕事を初めてよかったって思ってる」
「変わってますです。でも……すごいと思いますです」
「あおいちゃん?」
「直希さんの力になれるよう、私も明日から頑張りますです」
「うん。お願いするね」
「はいです。じゃあ私、そろそろ部屋に戻りますです。一日目から寝坊する訳には……あっ」
勢いよく立ち上がったあおいが、バランスを崩して倒れそうになった。
「あおいちゃん!」
咄嗟に手を出した直希。
何とかあおいの体を支えられた。
が。
またしても直希の手に、重厚感のあるやわらかな感触が伝わってきた。
「はっ……」
「あ……こ、これはその……」
「ふにゃああああっ!」
あおいが胸を隠し、そのまま部屋へと走っていった。
「あおいちゃん気をつけて、そこ、段差が」
「ひゃっ!」
食堂出口で、見事につまずいて倒れた。
「大丈夫?」
直希が心配そうに駆け寄る。しかしあおいは慌てて立ち上がると、
「おやすみなさいです!」
そう言って、部屋に走っていった。
「……」
手の平に残った感触。
少し頬を赤らめた直希が頭を掻き、
「そろそろ寝るか……」
そうつぶやき、小さく笑った。
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