あおい荘にようこそ

栗須帳(くりす・とばり)

第1章 家出少女とあおい荘

第1話 お腹を空かせた家出少女


「……」


 目の前に倒れている少女がいたら、どうするのが正解なのだろうか。


 世知辛い世の中、一つの決断がその後の人生を狂わせることもある。

 声をかけていいものか。不審者呼ばわりされないか。

 痴漢扱いされるのだろうか。

 きっと世の男たちは、とまどい悩むことだろう。


 しかし彼、新藤直希は違った。


 迷うことなく声をかけた。


「どうしました?大丈夫ですか」


 直希の声に少女は反応しない。苦しそうに、小刻みに息をしているだけだ。




 今日は7月20日。


 天気予報では猛暑日だと言っていた。


「熱中症……?」


 直希が少女の肩に手をやり、再び声をかけた。


「大丈夫ですか?」


 肩を揺さぶられ、ようやく少女が目を開けた。


 そして視界に入った見知らぬ男の手を握ると、息絶え絶えにこう言った。


「お水……お水をください……それからあと……何か食べる物を……」


「お水と食べ物……分かりました。とにかく中に」


 少女が差し出された手を弱々しく握り、立ち上がろうとする。


 しかし力が入らず、そのまま直希の胸に倒れ込んでしまった。


「……ちょっと我慢してくださいね」


 直希はそう言うと、彼女を抱きかかえて立ち上がった。


「あ……」


 少女の胸が締め付けられる。


(これ……これって、お姫様抱っこ……)


 直希が立ち上がると、少女は直希の肩に手を回し、そのまましがみついた。


「大丈夫ですか?中に入りますよ」


 太陽の光を背に語り掛ける直希に、少女は思わず、


「王子様です……」


 そうつぶやいた。





 靴を脱ぎ捨てた直希は、まっすぐ食堂へと向かった。


 中にはテーブルが5卓あり、奥がカウンターになっている。


 テーブル席に少女を座らせると、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、コップに注いだ。


「とりあえずこれ、飲んで下さい。あ、でも落ち着いて、ゆっくり飲んで下さいね」


 しかし少女はコップを受け取ると、あっと言う間に飲み干した。


「ごほっ、ごほっ」


「そうなるから言ったんですが……慌てなくてもまだありますから。ゆっくり飲んでくださいね」


 そう言ってペットボトルをテーブルに置くと、少女はペットボトルを両手でつかみ、そのまま口にした。


「聞いてない……まあ、その様子なら大丈夫ですね」


 直希が苦笑し、カウンターから皿を持ってきた。


「昼の残りだから、こんな物しかないんですけど」


 海苔が巻かれた小さめのおにぎりが8つ。そして卵焼きと焼きたらこ。


「よかったら食べてください」


 そう言って笑う直希は、天使にしか見えなかった。


「い……いただきますです!」


 言うか言わないか、少女は両手でおにぎりをつかむと、夢中で口の中へと運んだ。


「あ、いや……そんなに慌てて食べると喉、詰まりますよ?」


「はい……むぐむぐ……ありがとう……むぐむぐ……ございますです……」


「ははっ」


 麦茶の入ったコップを置くと正面に座り、直希は改めて少女を見つめた。




 次々とおにぎりを平らげていく少女。余程空腹だったのか、自分の目にどう映るかなんてお構いなしで、口に放り込んでいく。


 髪はストレートで少し明るめの茶色。小さい顔立ちに大きな瞳が印象的だ。


 ほっそりとした体形だが、服の上からでもよく分かる立派な胸。


 白を基調としたワンピースは気品があり、つばの大きな白い帽子を見ても、避暑の為に別荘に赴くお嬢様のようにも見えた。




 食べ方を除けば。




 時折おにぎりを喉に詰まらせると、麦茶で一気に流し込む。そうこうしている内に、皿の上にあったおにぎりを全て平らげてしまった。


「嘘だろ……小さめに握ってたとは言え、三合近くあったんだぞ……」


 何もなくなった皿を見てつぶやく直希をよそに、少女は残った麦茶を飲み干し一息ついた。


「おいしかったですー」


「あ、あははははっ。満足していただけて何よりです」


「あ!そうでした!あのその、この度は見ず知らずの私の為に、こんなに親切にしていただいて……ありがとうございますです!」


「いいですよ。残りもんでしたし」


「これが残り物……あのその、ここは天国でしょうか」


「天国って、そんな大袈裟な」


「大袈裟じゃないです!ここは涼しくて、飲み物だってありますです。それにおいしいおにぎりまで。炎天下の外が地獄なら、ここは天国です!」


「あ、あはははっ。ま、まあ元気になったようでよかったです、その……」


「あ、ごめんなさいです。命の恩人を前にして私、名前も名乗らずに。私、風見あおいと申しますです」


「風見……あおいさん、ですか。俺は新藤直希です」


「新藤直希さん……そのお優しい雰囲気にぴったりのお名前です」


 そう言って、あおいと名乗った少女が頬を染めた。


「それでその、風見さんはどうしてあんな所で」


「はい、実はその……私、お腹が空いてまして」


「いや、それは知ってます。と言うか、今のを見てその説明はいらないですから」


「はい……ごめんなさいです。あの、私……」




「どうした直希。お客さんか」


 声に振り向くと、そこに直希の祖父母、栄太郎と文江が立っていた。


「ああ、じいちゃんばあちゃん」


「だからナオちゃん、そうやって私たちをコンビみたいに呼ばないの」


 そう言って文江が笑う。


「この人、風見さんって言うんだけど、家の前で倒れてたんだ」


「倒れてたって……ちょっとあなた、大丈夫なの?」


 文江があおいの隣に座り、心配そうに見つめた。


「は、はいです、大丈夫です。新藤さんに助けていただきましたので」


 二人が直希を見ると、直希が小さくうなずいた。


「まあその、何て言うか風見さん、お腹が空いてたみたいなんだ。それと軽い熱中症で」


「でももう大丈夫です。新藤さんにお飲み物とご飯、いただきましたので」


「そうなのかい?あんまり具合が悪いようなら、病院に行った方が」


「びょ、病院はいいです」


「ん?」


「あ……その、実は私……」


 三人が顔を見合わせる。


 あおいは観念して小さく息を吐くと、少しうなだれて口を開いた。




「実は私、家出してきたんです」

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